1996年11月19日~12月14日
田中隆博の作品は、外見上さまざまな素材によるさまざまな現われ方をする。油絵具やグアッシュによる、ごく一般的な意味での絵画やドローイングである場合もあり、何枚もの写真の展示である場合もある。既製のオブジェを組み合わせた立体である場合もあるし、また多くの場合、音響や光、ときには温度、といった、空間感覚・五感に関するあらゆる素材が動員される。しかし彼の作品が語っているものは、基本的につねに一つである。そういう意味で、田中は非常にストイックな姿勢をもった作家ということができる。
その<基本的なもの>とは、なにか。<知覚>の問題である。いかに人間は外界の現象・事象を自らの感覚のなかに受容するのか、という問題である。田中の作品は、いわば、人間においてそういった知覚がいかに成立しているかを告げる装置なのだ。したがって田中の行為は、いかなる意味においても<表現>ではあり得ない。この作家が、通常行なわれるところの作者自らによる作品の説明とか、創造の意味とか製作衝動の根源とかを語ることを断固として拒み続けているのは、そのせいなのである。田中の作品が受容される、とは、すなわち、観客一人一人が、作品がもたらしてくる刺激によって自らの知覚がどのように変容したか、自らの感覚内においてどのような事件が発生したのかを測定し、問い直すことだ。だから、通常、作品の背後にあると想定される<意味>などはそこにはないし、<作者>は、いない。わたしが理解できうる限りでいえば、田中の作品が負っている性格は、以上のようなものだ。
ルネサンス期西欧芸術が発見した<遠近法>という視覚形式は、神の視点からみられた中世的な視覚ではなく、人間の視点から世界を合理的に把握しうる画期的なものであった。世界の形象は視覚線の束として一個の眼に集中する。網膜を一枚の窓としてそこに集中する映像を捕えるこの視覚形式は、しかし主観と客観の根本的な分裂を生み、観念論と実在論という二つの極端な態度を生み出すにいたった。ようするに形象を映像として捕えるこの視覚形式は、ものが本当にその映像と一致するのか、この映像は実は人間の脳が恣意的に作り出したものにすぎないのではないか、という疑惑を生みだすようになる。こうして物質と精神はお互いに知悉し合うことがまったく不可能な、接点のない存在であることになってしまう。観念論と実在論は、精神と物質の各々の側からみられたこの分裂の表現であるにすぎない。
19世紀末から今世紀初頭にかけて、観念論と実在論の分裂を収拾して認識の統一を図ろうとした思想家のひとりとして、たとえばペルグソンがあらわれる。彼によれば、わたしたちの脳髄は世界の表象を一手に引き受けて自前で作り出せるほどの特殊な存在であるはずがなく、わたしたちの知覚は、自らの脳髄の側でではなくあくまで物象の側で行なわれるのである。それぞれすべてが互いに関連づけられている世界の物象のなかで、わたしたちの意識は、自らに関心のある物象を選択してその物象において自らの知覚を結実させる。ゆえに知覚は静観的な認識を行なうだけのものではなく、能動的な働きをするものなのだ。こういった視覚認識批判は、「視ること」を自己の身体と世界とのかかわりによって考えていこうとするメルロ=ポンティの現象学にもみられるものであるが、これらは単に知覚に関するのみならず、<近代>の枠組みを問い直す重要な契機を孕んでいるように思える。
別に、以上述べてきたような西欧思想の流れを踏まなければ田中の作品を受容できないというわけではないが、その受容にあたって格好の思考モデルを提供してくれることは確かである。外部の物象や刺激との出会いによって、わたしたちの知覚は初めて形成される。カントのいうような先験的な認識形式があるのではなく、知覚はその都度、つぎつぎと新たに更新され作り直されていく事件なのである。今回出品された「ドローイング」も、実は前回水戸芸術館で行なわれた個展で、何千本もの蛍光灯を束ねた展示の台に使われた基盤の、表面にできた引っ掻き傷にすぎない。これはしかしわたしたちの知覚を試す格好の装置である。田中の制作したこの装置は、わたしたちの認識における既成概念を破砕し、世界の知覚の瞬間を鮮やかに開示する、異様な強度を充填された<作品>となっているのだ。