1997年2月18日~3月15日
菅井暢子は京都で生まれ、武蔵野美術大学で学んだあとドイツに渡り、デュッセルドルフ芸術アカデミーを卒業してからは同地を中心に活動しているアーティストである。ドイツのある個展カタログでは≪彼女は日本の文化的、宗教的中心地である京都に生まれ、ミッション系の中学と高校に学び、日本の伝統と西洋の伝統の混沌とした状況に育った≫と紹会されている。京都に生まれたから日本の文化や宗教の雰囲気の影響を強く受けた、とは必ずしも断定できないであろうが、キリスト教に触れたことはむしろ彼女の中で西洋と日本、他者と自己という問題系をあらためて熟慮させ、自己の生きてきた伝統を振り返らせるきっかけとなったに違いない。
菅井が一貫して主題にしてきたのは、宗教というものの本質にある、精神的なもの・神秘的なもの・見えないものへの信仰と憧憬が、いかにして具体的なイメージとしての形態をとるのか、という問題だと思われる。その際、キリスト教に限らず仏教、神道、イスラム教などのさまざまな宗教の成り立ちが、文化的に対比されながら考察される。彼女がドイツで80年代初めから発表し始めた作品は、キリスト教のイコノグラフィを下敷きにして、簡素な祭壇あるいはロシア正教のイコンのような形態のなかに聖母や女神のイメージを有機的に表現するものであったが、そこでもうひとつ菅井作品の主題を探るとすれば、それは女性性、ということになるであろうか。宗教や精神に関する考察とは別に、女性という主題は彼女に、この現実に投企されたみずからの生の在り方への生々しい問いかけを行なうだろう。これは時にはエロスの問題も含む生理的な展開を遂げることもあるし、聖母や女神が持つ意味の追求として文化的・社会的な考察として展開される場合もある。
ところでカタログ資料を眺めていくと、1991年頃に、彼女の作品にある明瞭な変化が認められるように思われる。それまでは、先に述べたように有機的で、ある意味ではポップなイメージさえ持っていた作品の感触が、ミニマル・アートと見まがうような幾何学的構成のなかで再編されることになる。それぞれに一つの色面として形成された長方形の板が壁面で構成されて作品を形づくる。もちろんよく見ればその色面のなかには相変わらず女性の肉体のイメージがさりげなく透けて見えてくるのであり、作品全体の構成は巧妙に、涅槃像や仏像の構成を踏襲していたり、十字架の形をとったりしている。全体が非常に濃密な象徴主義的インスタレーションであることに変わりはない。けれども彼女の作風が幾何学的形態に向かって一歩を踏みだしたことは、ある重要な深化を意味するのではないだろうか。つまり、より具象的なイメージから抽象的な形態に進むことで、不可視なものの領域が物質的に、可視的にされていく、その微妙なメカニズムが強力に表現されることになったのだ。一方、これ以後彼女の作品は、時には文字も使ったコンセプチュアルな方向に向かうこともあるが、観念的なものに終わらず観客につねに感覚的な強度を与えていることは、これらが表現内容と外的なイメージとの絶妙なバランスを保持しているからだといえるだろう。そこにはかつてカンディンスキーやマレーヴィチが行なった苦闘と同様の強度があるといっても過言ではない。
今回のインスタレーションは世界三大宗教の開祖である釈迦、キリスト、モハメットの名前の表示に、彼らの母親マーヤ、マリア、アーミナの名の表示を向かい合わせることで、伝説から「歴史」形成へ踏み出した開祖たちと、伝説の世界に生きている母親たちを対比させようとするものである。宗教は今日の世界においても生々しい現実=歴史を生産し続けるが、その根底にある伝説的・無意識的・母型的なものを感じることができなければ、宗教について深く考察しえないだろう。伝説から歴史が発生し、歴史が伝説を養分にしていることを表わすこのインスタレーションは、わたしたちの生きている<いま>を、歴史化されつつある現在を、厳しく相対化するものなのである。