1998年10月31日~11月21日
私が田村潤悟の作品に初めて接したのは、昨春開かれたある展示会においてである。それは会場のどの彫刻よりも、かつ彫刻界一般の中でも遜色なき作品であったが、彼の作品は注目されることなく黙殺されたのだった。
このことは、ひっきょう眼の不在に起困する。およそわが国の美術の、作家の不幸とは、かねてより言及してきたように、その不在によって可能性のある作家が看過ごされ、そのために埋もれてきたであろうことにある。とすれば、眼を宙吊りにして実証と非感性的、非芸術的な解説にかまけてきた少なくともわが国の近現代美術史は、表現論として再編されねばならない。
現下の彫刻界は、貧しい形体感覚をもつ者たちによるいささか奇妙な形を有する物体が、ときに調味料に喩えられる附属物をともなって床に置かれるという作品群で満ち溢れている。それは、なんの内容ももたないまま、インスタレーションこそ現代的であると錯覚するいつもながらの進化一形式主義による通俗化した前衛を謳うものであって、この史的背景としてデュシャンが、オブジェがまたぞろ引き合いにだされる始末である。
田村の彫刻は、かかる動きとは別の地点に立って作られたものであり、常態のノーマル彫刻と称されるべきである。眼の不在のため無意味な観念表示を衒うことがすっかりアカデミズム化している今日、常態の表現の困難にかかわることがわれわれに課せられているのである。
作品の質の重要性を指摘すること、それ自体は易しい。この概念的な指摘と実践的なそれとは峻別されなければならない。私は、作ることのできない者が作るという悲惨から腹立ちまざれにも言うのだが、いま重要なのは作品の質と直結し、それを成立させる作ることの質にほかならない。そして、それは素朴なタッチとかプロセスの発現などとはまったく異なる。
田村の構築とその空間表現は、まさに作ることの質を有する稀少な例である。そこで彼本来の大きなサイズは、表現としてのスケールになっているのであり、その力はこの狭い会場でも感知されるであろう。