αMプロジェクト2000-2001 vol.15 ササキツトム

2002年1月11日~2月1日


多Sweet&Bitter














林卓行

ササキの作品を前にした者は、その薄くのばしたゼリーのようなぬるりとした絵肌にとまどいを、あるいはときに(筆者のように)フェティッシュな関心を、おぼえることだろう。だがこの異様な絵肌はなにも、見る者のそうした関心を惹く効果的な仕上げとして、付け加えられたものではない。第一にそれは、色彩の透明度と絵具の物質性という、(いつのまにか)相反するとされているふたつの要素を、混濁のうちに両立させるはたらきをもっている。第二にそれは、つぎのようなササキの絵画の成り立ちそのものに深く関わっている。
ササキの作品は全体がゼリー状の層の重なりから成っている。複数の層(レイヤー)による絵画とは、作品制作の方法論としても批評のボキャブラリーとしてもすでに常套句(クリシェ)だろうが、それらの層の前後関係が安定してもいなければ、また奥行きの圧縮によって平板化してもいない場合はどうだろうか。
ササキは絵具を置いて新しい層をつくることと、既にそこに置かれた絵具を拭ってその下の層を露出させることを、同時に行う。そうして分散的に画面に配されたそれら各層は、たえずその上下にある層と浸潤しあう。ある層の上に重ねられたはずの新たな層は、刷毛の往復運動のなかで、溶解し、次第に下にあった面を透過させはじめる。ふたつの層はあるところでは互いに混濁し、そしてまたあるところではその上下の位置を逆転させるかのようでもある。しかも、たとえば高彩度の朱に青灰色を溶かし込むような色遣いが、この混濁や逆転を強調することさえあるだろう。
こうしたプロセスが何層にもわたって繰り返されるとき、ササキの画面のあちこちでは、色のヴェールがゆっくりと明滅を始める。最後に画面に置かれ、そのまま最前面を渡りきるかに見えた簡潔なストロークも、この明滅にいやおうなく巻き込まれてゆく。ここにも混濁がある。
こうしてササキの絵画は、混濁の積極的な価値を引き出すことに成功する。それは見る者を陶然とさせる絵画空間や色彩のなかで、かすかな抵抗として作用し、その場にいっそうの深みと力感を与えるだろう。ちょうど圧倒的な甘さのなかのほろ苦さがそうであるように。