『未来のニュアンス―スペースダイアローグ』 vol.8 うらうらら+小泉明郎+池松江美(辛酸なめ子)

2006年3月20日(月)~4月1日(土)

photo上:「君のパパを殺したい。僕が君のパパになるから」, 2005 (C)Urara Ura 
photo中:「Art of Awakening」, 2005 (C)Meiro Koizumi 
photo下:「セレブショッピング」, 2005 (C)EmiIkematsu


セクシーポリティクス


岡部あおみ

セクシーでポリティックな若手の三人にぴったりだから、だいぶ前から決めていた「セクシーポリティクス」のテーマで参加をお願いした。性と聖の弁証法。ますますセクシーに、よりポリティックに、凛とした覇気ある芸術を探求する三人の前途を祝して、αMプロジェクト2005の最終章を飾ります。

<うらうらら 聖なるゆだれ>
テラコッタへのこだわりは、愛撫し慰撫し続けることの末に生まれいずる形態であるからに違いない。
浦達生の塑像は、少女であれ、少年であれ、作者との融和と交合の究極の果てに、残虐な切断の苦痛とともに、奇形でしかありえない子どものフォルムとして放たれる。腫瘍のような記憶と自意識の瘤をしょって、宙に磔になった肢体。
テラコッタという素材は、素焼きにした陶器や古代ギリシャのタナグラの人形としてよく知られているが、イタリア語で「焼いた土」という意味である。浦達生の手で人間らしき混沌へと分断されたフォルムは、その後、850度以上の火刑にあってはじめて蘇生するという生のドラマが秘められている。あくまでもグロテスクを失わない浦達生のテラコッタに、なぜか死と復活という神聖なストーリーが垣間見えるのは、必然的なこの「焼かれた土」のプロセスのためでもある。彼は幻視者かもしれない。異形の土を肉化し、魂を吹き込んでしまうのだから。

<小泉明郎 透明な暴力のレトリック>
小泉明郎は、映像作家という視覚人間である以上に、「脅威的」な名演出家、肉体のあらゆる細部を用いて、一人芝居を演じる恐るべきパフォーマーである。コミカルタッチでも、彼が扱っているテーマは、おしなべて暗く重い「人権の犯罪」。新聞やニュースで私たちが日々目にする戦争、殺人、拷問といった「はるか遠く」で「日常的」でもあるメディアの話題、あるいは過去の歴史的な暴力の記憶が、挑発的な虚構の逆転構造を介して、残酷なまでに蘇る。音声や音響がリアルに伝えるイメージの世界と、それを産出するささやかながら人工的な装置に翻弄され騙される人間の愚かさ。両者のずれを小泉は冷酷なまでに描き出す。だが最後にかならず裏を見せて回答を示すところが、きわめて優しい。
映像メディアの概念を解体し、その仕組みの側から暴いてみせる手法を通して、裏側から浮上するのは、鏡に映った反転したヒューマニズムなのだ。徹底した映像のニヒリストは超人的でさえある。英国の美大で映像を学び、アーカスでの滞在を経て、今はアムステルダムのライクスアカデミーのレジデンスで制作に励む鬼才である。今回は、セクシーポリティクスにちなんだ『Hardcore』(2004,2分30秒)と、本展のための新作『Art of Awakening』(2005, 9分)をご紹介します。

<池松江美(辛酸なめ子) セレブな秘宝ポリティクス>
「辛酸なめ子」はもともと、「メディア・アクティヴィスト」の池松江美が、高校生の頃から漫画やエッセイを書くときに用いた筆名である。ペンネームのイメージが肥大化し、メディアの効力で、最近はどうも逆転したような感もある。虚像と実像とも分離できない両者の乗り入れ感覚が独特で、境界を変幻自在に出たり入ったりする小刻みな振動を、もうひとつのクールな瞳がそっと観察している。直観力にたけた池松江美は、現実社会を鋭利に分析する社会学者、幽体離脱する霊験者、若い女性がもつ憧れや欲望の力学を解剖するカウンセラー、そしてマニアックなセラピー祈願がこもったオブジェやインスタレーションを生み出すアーティストである。
辛酸なめ子の漫画やエッセイの独創的な魅力は、サブカルチャーに異質ともいえるハイアートの特質や夢破りのフェミニズムをひそかに潜入させているからだと思う。しかも、辛辣きわまりない「メディア・アクティヴィスト」は、永遠の聖少女の無垢なまなざしをもち、子どものようにやんちゃなアート魂を暖めているのだから、もうとても敵わない。本展では、セレブたちが繰り広げるセクシーポリティクスの「秘宝」もご紹介します。