変成態―リアルな現代の物質性 vol.3

vol.3 泉孝昭x上村卓大|「のようなもの」の生成

Metamorphosis : objects today vol.3 Takaaki Izumi × Takahiro Kamimura

2009年7月25日(土)–9月5日(土)
[夏季休廊:8/9–8/17]
July 25, 2009(Sat.) – September 5, 2009(Sat.)
[Summer Holiday: August 9–17]

11:00–19:00
日月祝休 入場無料
11:00-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free

ゲストキュレーター:天野一夫(豊田市美術館チーフキュレーター)
Guest Curator: Kazuo Amano(Art Critic, Chief Curator at the Toyota Municipal Museum of Art)

(上)《pallet》2009年|wood, paint|©️Takaaki Izumi 
(下)《something #2》2009年|6.1×18 1/2×2 1/4inch|fiberglass resin, polyester resin|©️Takahiro Kamimura


「のようなもの」の生成

天野一夫

ここには何気無い日常の物々が散見されるであろう。なんの特別な主張も無い、しかしなにかが異なるズレの意識を感じる物たちだ。しかしながら今回の展観で最も若い20~30代前半の彼らの造りものは、ひそやかな戦略に満ちているのかも知れない。
カラフルなポリ容器がギャラリーに置かれている。そのオイルか何かが入っているかのようなかたちも、何かが違っている。実は作家が造ったどこにも無い樹脂作品なのだが、上村卓大の今回の他の作品もダンボールやサーフボードのようなごくありふれたものが、まさにこの倉庫のような場に並ぶことになる。また、天井から下がったアンテナの複合体、モーターで回転するタイヤ、あるいは床に置かれ重ねられた輸送用のパレット等々を展示する泉孝昭。
そこには近代美術の記憶が微かに感じられなくもないだろう。上村におけるポップアートから、アプロプリエーションものまで。または泉における近代のピカソ・タトリン以降の造型、そしてデュシャンのレディメイド・・・。もしくはイミ・クネーベル?しかしデュシャンの曾孫のようなかれらには、シミュレーションの果てに、もはやなさけないくらいに文学性も物性へのこだわりもない。むしろ日常品を使いつつも徹底的に自己の痕跡を無くして、日常の際(きわ)、フレーム(枠組み)をこそ造っているかのようだ。物の本質的な特性に求心的に向かうのではなく、横滑りに日常に韜晦しつつもズレを起こすこと。それはものの存在が確からしい実体性を前提とした作品ではないだろう。一見するなら、声高に主張することのない作品は、美術の言語を使いつつ、美術のラインギリギリの構え中で「のようなもの」を造りつづけることかも知れない。


しかしながら、二人はまた対蹠的なのかも知れない。
上村は既存の事物によりつつも、型を時に使いつつ徹底的に物を作っていくのである。そしてその先で他の物に見えていく地点を探っていくきらいがある。今回の場合ならサーフボードというものを研究し、その材質を使い、そのシェイパーと呼ばれる制作者に聞き、自ら作っていくのである。しかしその先に作品はずれていくところがあるようだ。そこには波に乗るための抵抗力と浮力のための実用的なあるラインというものがあったはずである。ただしそこから作家の頭に、その職人の制作に、あの20世紀彫刻の最大の巨匠のひとりであるブランクーシがだぶったという。結局作品として出てきたものには何か不可解なものを感じる先端がある突起を持った有機的なオブジェの姿をにおわせるものだ。《空間の中の鳥》、あるいは《マイアストラ》?あるいは他の制作の仕方においても、はたして知らず知らずなのか、あるいは意識的戦略としてなのか、最も「彫刻」からは遠いところから作業しながらも、この若い20代の作家の作業は明らかに「彫刻」なり「美術」になる地点を探っているようにおもえる。この遠回りの不可解な作業をしばらく見守って見たい。
それに対して泉は一見するなら造型的意思というものをギリギリまで見せず、むしろ脱力感のある、簡単な作り物のレベルにあえて留めようとするのである。しかし注意深く見るならそこにも、日常的な発想そのもののように見せかけながらも、じつは巧妙に造型的な配慮の上でなされた仕事であることが判明してくる。日常をベースにしながらも、徹底的に緩く構えるということをしつつも、ある美的な配慮、視線というものを排除し尽くしているわけではない。むしろ大文字の「美術」というものに回収されてしまうのではなく、あえてその「日常」の中に発見される様々な事物の方に寄り添うこと。その「日常」に溢れる様々な面白さ、それは散逸的で、文学性も薄く、意味の度数も低いだろう。そのようなノイズに溢れた中での「日常」の緩いリアリティ、そこからは「作品」なるものに少しづつ近寄ろうとすること。そのような慎重な構えという中での造型とは、一つの現代の典型ではなかろうか。
いずれも、物としては特別な加工はせずにあいかわらずキッチュな物であるに違いなく露出している。物質からのメチエから遠心的に離れたところから、今一度「美術」なるものに少しづつ近づこうとする。その時、造型はこれまでとは異なる不可解なものとして立ち現れてくる。

▊泉孝昭 いずみ・たかあき▊
1975年福岡県生まれ。1998年愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業。主な個展に2008年(HOET BEKAERT GALLERY、ゲント)、「VOLTANY」(ニューヨーク)、2006年(TARO NASU、東京)、2005年muzzprogram space、京都、2004年「布と袋」(+Gallery、布袋町、愛知)など。主なグループ展に2008年「ECHO」(ZAIM、横浜)、「daily work」(dot、北名古屋)、2007年「ポートレート・セッション」(広島市現代美術館、広島)、2006年「VOCA展2006」(上野の森美術館、東京)、「レディメイド:マップ」(トーキョーワンダーサイト渋谷、東京/+Gallery、布袋町)、2004年、「AKIMAHEN!」(Collection Lamberten Avignon、アヴィニョン)、「EEJANAIKA YES FUTURE!」(Maison Folie de Wazemmes、リール)、2000年「フィリップモリスアートアワード2000最終審査展」(恵比寿ガーデンプレイス、東京)など。

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上村卓大 かみむら・たかひろ▊
1980年高知県生まれ。2005年武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程単位取得退学。主な個展に2008年「closed room」(武蔵野美術大学FAL、東京)、2007年「夜景と食卓」(村松画廊、東京)、2006年「いいなづけ」(同)、2005年「TOWN WORK」(同)など。グループ展に2008年「plastic trees/ceramic girl」(CAMP/Otto Mainzheim Gallery、東京)など。2006年「第1回美術作品コンクール―Concours des Tableaux-」(高知市文化プラザ)優秀賞受賞。徳島近代美術館、徳島)、2005年「かわりゆく世界で transformation/metamorphosis」(国際芸術センター青森、青森)、2003年「trans-」(京都芸術センター、京都)など。