『変成態―リアルな現代の物質性』 vol.7 鬼頭健吾

2010年1月16日(土)~2月13日(土)


photo: sagittarius, 2006, parasol,cloth,wood,paint, size variable, 
撮影: Tetuo Ito, Courtesy of Kenji Taki Gallery, (C)Kengo Kito



拡散する張りぼてという何ものか

天野一夫

鬼頭健吾の作品では、日常に見るフラフープ、扇風機、シャンプーボトル、チェーン、鏡、糸、輪ゴム、そして傘、といった見慣れた物々を過剰に増殖して接合することで、全く異なる時空間を展開し始める。しかしそこには日常の生活感は無く、むしろ特段珍しい素材を使用していることは無い、と種明かしのごとく明示しているかのようであり、そこではほとんどの場合、物語的深度はゼロに近い(ただし船だけは具体的なイメージとして出てくるのだが)。その造型は単位体がしっかりと明示されていて、それが無限に拡散していることが重要である。
それは空間という、この何も無い場に一つ一つの線を重ねながらも、オールオーヴァーに延々とドローイングを続けていくことで全体性が不明となっていくような事態といってもいい。一つ一つは明瞭である、しかし全体は不明であること。それは雑誌のモデルのアウトラインを抽出して重ね、もはや判明しない「抽象画」のような絵画作品にしても同様のことだ。
さらにその作品の多くは回転体であったり、円形の造型を基本とすることが多い。それは一つの堅固な世界を提示すると言うよりは、逆に中に何も無いということを明瞭に示すために、過剰に旋回し、あるいはラメやモールのように多彩でプラスティックな人工的色彩をぎらつかせているふしがあると言っていい。そこでは明るくお気楽な日常性をもって、張りぼての造型を作ろうとしているのだ。つまりわれわれは只に純粋に回転している何かの画像やぎらつく物を見ることになる。しかしそれは観念的な抽象性には向かわない。そこにメタファーは無いものの、ぺらぺらした日常の感覚を孕んで不明のままに膨張を続ける見えないものがそこにはある。
今回は初めてまとまった海外留学を経験した鬼頭の帰国後初の展観ということになる。ここでも日常のものが接合され、カラフルにして充満する圧倒的な異物が登場するだろう。しかしそれはオブジェの翳りとなまめかしさとは無縁だ。鬼頭作品には抽象表現主義、オプアート、ポップアートという淵源も透視しうる。しかしそれらが古典となっている国での経験の果てにこの2000年代の作家はここでどのような張りぼての現代の造型を作るのだろうか。

▊鬼頭健吾 きとう・けんご▊
1977年愛知県生まれ。2003年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1999~2001年まで自主運営スペース「dot」の運営に携わる。主な個展に、2009年「flimsy royal」(ロングアイランド大学ブルックリン校 ニューヨーク)、2008年「コズミック・エレメンツ」(エスプラナード、シンガポール)、2007年「stardust galaxy」(東京都現代美術館パブリックスペースプロジェクト)、「Luminary」(ケンジタキギャラリー、愛知)、2004年「quasar」(ギャラリー小柳、東京)など。おもなグループ展に2009「Barock Plastik」(I-MYU Project、ロンドン)、2008年「ECHO」(ZAIM、横浜)、2007年「六本木クロッシング2007:未来への脈動」展(森美術館)、「VOCA展 2006 現代美術の展望―新しい平面の作家たち」(上野の森美術館)、2005年「ベリーベリーヒューマン」(豊田市美術館)など。2008年、平成20年度五島記念文化賞を受賞し、2009年9月までNYに滞在。