『成層圏』 vol.6 村山悟郎

2011年12月17日(土)~2012年2月4日(土)(12/25~1/9休)


photo:wall drawing/coupling (2010) 撮影 加藤健



フォルム・生命・システム


田中正之

村山の作品は、新たなフォルムの問題を提起している。フォルムの新たなあり方というほうが適切だろうか。少し美術史的に語ってみよう。形態には有機体的生命が宿っている。アンリ・フォションやパウル・クレー、あるいはジャン・アルプやマーク・ロスコなどなど、少なくとも20世紀以降、そう考えてきた画家や理論家は少なくない。「形には、有機体の原理と激しい感情とが認められる」。これはロスコの言葉だが、彼にしたがえば、フォルムとは単に生命を持つだけなのではなく、感情をもはらむものであった。1950年代までは、こういった、ある意味ではあまりに「人間的な」、生命体的(有機体的)形態観が広まっていた。それに対して1960年代半ばになると、生命的側面が徹底的に排除されたシステミック・ペインティングが注目されるようになり、極端に還元主義的な(抽象的な)基本的構造体(プライマリー・ストラクチャー)のみから成立する、何らの動感のない静的な作品が支配的になっていく。それは無機的な形 態の単純かつ整然とした秩序に基づいているように見えるがためにシステム的だと言われた(そこでは作者の生命も排除されているかのようだ)。そしてそれは、あまりに非生命的であったがために、「死」を連想させるものでもあった。いわゆるポスト・ミニマリズムの美術では、この非生命性の克服が、ある意味とても奇妙に図られ、「エキセントリック・アブストラクション」と呼ばれもした。基本的な幾何学的な(工業的とも言える)抽象的形態に、有機的な印象を与え る形態や素材が組み合わされた作品が登場することになる。それら二種類の形態は、しかし、決して調和的に混じり合うことはなく、矛盾を矛盾のままに曝け出し、二律背反的姿を隠すことなく示していた。そこでは「死」と「生」とが同時に提示されることになる。

このようなコンテクストのなかに村山の作品を置いてみると、彼の作品におけるフォルムの生命の問題が明瞭な輪郭線をもって浮かび上がってくる。システム的でありながら無機的にはならず、形態が自己生産し続ける生命性を持つ。ポスト・ミニマリズムがはらんでいた二律背反性がここには見られない。そして、村山自身が語るように、その発想の源泉には、自己生産のシステムを論じたオートポイエーシスがある。しかし、それは本来システム自体が自己決定をするシステムのはずだ。だとすれば、村山の作品のなかでは、作者はいったいどこにいるのだろうか?

▊村山悟郎 むらやま・ごろう▊
1983年東京生まれ。2009-2012年東京芸術大学大学院修士課程美術研究科絵画専攻壁画第一研究室に在籍。2010年10月から2011年10月までロンドン芸術大学チェルシーカレッジ MAファインアートコースに留学。自らがつくったルールのもとに、麻紐を編み、下地を塗り、ペインティングを施すという行為を続けながら創造世界を増殖させていく。主な個展に2010年「第4回シセイドウアートエッグ「絵画的主体の再魔術化」」(資生堂ギャラリー、東京)、グループ展に2009年「MOTコレクション・MOTで見る夢」(東京都現代美術館、東京)など。

http://goromurayama.com/

(左)「神の宿る部分」 2009 撮影:木奥恵三 東京都現代美術館蔵
(右)「「私」が再魔術化する時」 2010 撮影:加藤健 協力:資生堂、ホルベイン工業株式会社、Takasho

●協賛:資生堂