『絵画、それを愛と呼ぶことにしよう』 vol.1 山田七菜子

2012年4月14日(土)~5月19日(土)

photo:「生まれたての革命の友達」2012, 油彩・キャンバス 18×14cm


山田七菜子と絵画の「嘘」

保坂健二朗

絵画は、嘘をつくことを許す。あるいは嘘をつかせる。そのふたつの感覚の間で、画家は悩む。悩みながら描き続ける。ほとんどそれは、マゾヒスティックな世界だ。
なぜ絵画は画家に嘘をつかせるのか?絵画に本当のことを語らせようと思ったその刹那、システムが必要となるからだ。システムは、絵画から余計なものを捨て去ることを、システムの運用者、すなわち制作者に求める。そうして「本当のこと」は「嘘」になる。本当のことを語ろうとすればするほど、嘘の泥沼へと足を踏み入れなければならなくなる。それが、絵画だ。
であれば。嘘を嘘と知り抜いて、絵画は嘘であることを楽しんで、享楽的に、愉悦的に描くことが必要となるのではないか。だがその姿勢は、当然のことながら、絶望と隣り合わせである。嘘をついているという痛みに満ち満ちている。
この、いささかスキゾフレニックな感覚に耐える精神力が、画家には求められている。絵画を愛していなければ、あるいは、本当のことを、嘘をついてでも語りたいという矛盾に満ちた想いに貫かれていなければ、到底耐えることなどできはしない。それに耐えられない者は、往々にしてシステムの深化(微細な変更?)自体に目的を見つける。そうした者たちに絵画が概念化されてきてしまった感があると憤っているのは私だけだろうか。
絵画は概念などではない。それは享楽と絶望とによって彩られた「場」であり、しかも「嘘」に満ち満ちている。山田七菜子は、そのことを本能的に知っている。であればこそ、支持体として、キャンバスだけでなく、時に別のものを選ぶ。オイルの缶、瓶、使い古したパレット、拾ってきた木の板、エアキャップ等々。その在り方を見ていると、彼女が、「絵画」を、モノではなくてつくることへと一端解き放ち、その上で、自分自身の生と一体化させた上で、そこに物語を紡ぎ出そうとしているのだと感 じられてくる。
嘘つきな絵画を信頼している山田の絵を「感じる」ためには、もちろんその物語を読み解くことが必要となるけれども、それはまた別の話。あるいは、絵の前でこそなされるべき話。まずは、見ることが必要となる。見る者もまた、絵画ならではの嘘に、欺かれ、傷つく必要がある。

▊山田七菜子 やまだ・ななこ▊
1978年生まれ。主な個展に2011年「魔法をかけたかった」(Gallery HAM 、名古屋)、「眠る為のより深い化粧、別の日の為のイミテーション、歩く為のほくろ」(Gallery HAM 、名古屋)。主なグループ展に2011年「ココロの景色」(ボーダレスアートミュージアムNO-MA、滋賀)、「THE SECRET{秘密}」(スターネットジャパンビル、名古屋)、「WOODS LAND GALLERY2011」(美濃加茂文化の森、岐阜)、「上の空」(ATカフェ、名古屋)、2010年「WOODS LAND GALLERY2010」(美濃加茂文化の森、岐阜)など。 http://nanakoyamada.jimdo.com

(左)「2匹のメロウと青年」 2011,油彩・キャンバス,91×73cm, 写真:大須賀信一
(中)「ボートに乗った女の子(明るい日)」 2011, 油彩・キャンバス, 91×117cm, 写真:大須賀信一
(右)「冬昼後刻」 2010, 油彩・綿キャンバス, 110×175cm, 写真:大須賀信一