『楽園創造(パラダイス) —芸術と日常の新地平—』vol.2 池崎拓也

2013年5月25日(土)~6月29日(土)

photo: スタジオ風景 2013


フィクショナルな世界とスリリングな「楽園創造」

中井康之

今回のαMプロジェクトは、当初「芸術と日常」というキーワードを掲げて用意された。その骨子は、20世紀芸術の前衛性に先鞭を付けた「ダダイスム」という「芸術」運動が、第1次世界大戦という絶対的な「日常」と対峙しうる表現として登場した歴史的事実を踏まえ、3.11以降という「非日常」と「日常」の融解した状況を映し出す、或いは、それを無化する絶対的表象としての「芸術」を希求することを考えた訳である。もちろん、そのような「芸術」を見出すことは容易には適わないだろう。しかしながら、逆説的な物言いになるが、その絶対的な対象は、求める限りにおいて存在する可能性を有すると想定できるであろう。そのような、追い求めることによって存在する対象として最初に掲げられる用語は「楽園(パラダイス)」であろう。《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という作品を作家生活の晩年に創作したポール・ゴーギャンは、その「楽園」を求めて南国の地タヒチへ向かった筈であったのだが、首都パペーテはすでに西洋化し、落胆しながらもさらに奥地へ足を進めたのである。ゴーギャンが行きついた先が「楽園」であったか否かは分からない。しかしながら、彼が我々に残していった上記の畢生の大作と彼の自伝的物語『ノアノア』等から伝わってくるのは、ゴーギャン自身は確かに「楽園」を見ていたと信ずるに足る「創造された世界」の存在であろう。
さて、以上の様な経緯によって獲得されたタイトル「楽園創造(パラダイス) −−芸術と日常の新地平−−」の第2弾を飾るのは、日常的な事物の存在をそれぞれが有する文脈から外した上で独自な方法論によって世界構築を具現化する作家、池崎拓也である。彼が作品素材として用いる事物たちが「オブジェ」という名称を与えられ、美術史上に登場したのは、奇しくも前述の「ダダイスム」という反芸術思想の実践によってであった。ここで、もう少し「オブジェ」という用語に対して正確に記す必要があるかもしれない。様々な固有名詞を持っていた事物たちが、それぞれに付されていた名称を剥奪されて匿名的な単なる事物(オブジェ)とされながら、唐突に芸術作品の主題(シュジェ)としての立場に晒された、というのが「オブジェ」に対するより正確な説明であろう。もちろん、「ダダ」の反芸術的精神を尊重するならば、主題となった「オブジェ」の出自を問うこと自体に意味が無いことは当然であるし、さらには、主題としてどのような役割を果たすのかを問うことも許されないであろう。果たして、池崎は、「オブジェ」の前述した誕生の経緯を尊重するかのように、それぞれが有していた役割を剥奪した上で、それぞれに与えられた機能というものが何であるのかを特定することが困難と思われるような構造をその事物たちに用意し、鑑賞する者は、判断を中断することを余儀なくされる。と同時に、それらの「オブジェ」たちに秘かに新たな役割が与えられていることもある。そのようにして構成された事物たちが全体として顕現する表象は、反芸術的世界からは乖離したものになり、鑑賞する者は知らぬ間に池崎のフィクショナルな世界構築に取り込まれるだろう。そして彼らは、池崎のそのスリリングな「楽園創造」に全面的に対峙することになる。

▊池崎拓也 いけざき・たくや▊
1981年鹿児島県徳之島生まれ。2005年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。 2008~2010年 中国北京中央美術学院造形部実験芸術科研修了。主な個展に、2009年「瞼の裏側とその空虚マップ」(新宿眼科画廊、東京)、2007年「その時、瞬きしました」(Loop Hole、東京)など。グループ展に、2011年「4人展 -絵画-」(シュウゴアーツ、東京)SLASH/04「飛ぶ次元-found a pocket-」(Island Medium、東京)、2010年「皮膚と地図―4名のアーティストによる身体と知覚への試み」(あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ入選企画展)など。

(左)「瞼の裏側とその空虚マップ」2009, 展示風景
(中)「私は石、私は火」2010, 銀紙、金紙、アクリル
(右)「Air on The square」 2011, 柄布、蘇鉄、木材、おりがみ紙 etc