パランプセスト 重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.6
Palimpsest – Overwritten Memories / Superimposed Memories vol.6 Koushi Nishihara
2015年1月10日(土)~2月7日(土)
January 10, 2015(Sat.) - February 7, 2015(Sat.)
11:00〜19:00
日月祝休 入場無料
11:00-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free
ゲストキュレーター:和田浩一(宮城県美術館総括研究員)
Guest Curator: Koichi Wada (Curator, The Miyagi Museum of Art)
アーティストトーク:1月10日(土)
西原功織×和田浩一
Artist Talk: November 11(Sat.)
Koushi Nishihara × Koichi Wada
《チャプター(部分)》2014年|油彩
西原功織と作品の話をしていたとき、イチローの話題になったことがある。だが唐突な感じがしなかったのは、両者に共通するものがあったからだろう。ストイックな印象も共通するが、より重要なのは、両者が、継続的なエクササイズを通して様々な「運動性」を洗練させ、そのことによって、ものごとの本質に直結させているという点にある。
「運動」という言葉からは、まずは文字通りの身体的な運動が想起される。だが、「身体」が「『客体』の秩序に属すると同時に、『主体』の秩序に属する」(注1)存在であることを考えれば、身体的運動とともに、観念上での運動とでも呼べるような、より広い意味での「運動性」も、ともに考察されるべきである。
西原は大型作品と並行して、日々、ドローイングや小型作品の制作を継続している。その仕事は、絵具を使って「描く」、その行為をめぐっての実験と検証の繰り返しといってもよい。繰り返しといっても、何かを「なぞる」類いのものではない。「描く」ことを基本単位にまでさかのぼり、その無限といってもよいバリエーションを、実際に描くことで効果を逐一見定め、その中から良いものを選り分け、自らの引き出しにストックしてゆく、といった行為に現れる繰り返しのことである(注2)。それを「絵画のエクササイズ」と捉えることができるだろう。
こうして得られたものは、作者の記憶の中に徐々に増えてゆく。いうなれば、作者はこれまで獲得してきた「描く」ことの記憶に、周囲をぐるっと囲まれている状態なのである。制作とは、たとえば、そのような空間の中で、ストックされた一つを選んでは、それを視野の片隅に保持しながら、別の場所へ手を伸ばし、そうしながらもさらに次へ手を伸ばすといった、アクロバティックな「運動」を、視野に次々とオーバーラップさせながら行うようなものではないのか。
一つの動作は、次の動作への端緒となり、それがさらに別の動作を導く。それぞれの前後関係はもはや定かではなく、そのうちの一つをことさら取り上げることがほとんど意味を成さないような、互いに重層化し浸透しあった、パランプセスト的状態であるはずだ。「絵画のエクササイズ」は、そのような連携作業を遂行するための、軽い身のこなしとバランス感覚を日々洗練させる。絵画が作品として成功する時とは、たぶん、そのような動きの連鎖がうまく繋がっていった結果なのだ。 画家とは、多かれ少なかれこのような作業をしているのだろうが、西原はそれを、特に顕著に感じさせる作家の一人である。そして絵画の本質的な部分の一つは、まさにこの点にあると私は思う。
フットワークの軽さは、観る私たちにも求められている。西原のシリーズ作品《チャプター》は、いろいろな映画のワンシーンを、フォーマットの異なる4種の10号カンバスに描いて縦に並べ、それを横方向に連続していった作品である。観る者は、横方向に移動しながら、様々なシーンを次々と視野の中に受け入れて見てゆくことになる。今見た画像は新たな画像に重なり、溶け合い、そのうちの一つが強く浮かび上がったりもするだろう。画像への自在なアクセスは、人それぞれのフットワークの良さと瞬発力に依存する。《チャプター》は、普段作者が記憶の空間内で行っている運動を、映画のワンシーンという形を借りながら、現実空間へと拡張し、実際に身体を使って私たちが実践するための装置なのだ。
同様のことは大型作品についても言えるだろう。西原の作品は、カンバスの内側でのみ完結しようとするベクトルを持っていない。2点組、3点組の作品があるのはその一つの現われだろうし、カンバスの左右へ、周囲へと視線がうながされる点もそうだ。隣り合った作品との、そして展示空間の中の離れた別の作品との呼応が、自然に要請されてくることもある。作品を前に、周囲や自分の背後も含む空間の中で、作品の求めるものとうまく歩調をあわせるには、このような軽やかな身のこなしが必要とされるのである。
(注1)モーリス・メルロ=ポンティ「絡み合い―キアスム(『みえるものと見えないもの』から)」『メルロ=ポンティ・コレクション』ちくま学芸文庫、筑摩書房
(注2)林道郎はそれを、「絵具の『引く』あるいは『塗る』という行為の総点検」(林道郎「地上の星座―運動としての絵画」A-things、2007)と表現している。
▊ 西原功織 にしはら・こうし ▊
1978年神奈川県生まれ。2001年東京造形大学美術学部卒業。2003年東京藝術大学大学院美術研究科油画修了。主な個展に2013年(2008年~毎年)A‑things(東京)、2006年TARO NASU OSAKA(大阪)、2005年TARO NASU GALLERY(東京)、2004年フタバ画廊(東京)、藍画廊(東京)など。主なグループ展に2012年「たてよこたかさ=L×W×H」(A‑things、東京)、2011年「TRIO‑A‑DOT」(A‑things、東京)、2007年「Portrait Session展」(広島市現代美術館、広島)、2006年「VOCA展2006 現代美術の展望-新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、東京)など。
(左)ドローイング《99 88 77 66 55》2013年|展示風景:A-things
(中)《archive-C》2013年|展示風景:A-things
(右)《地図と指紋》2008年|展示風景:A-things
アーティストトーク 西原功織×和田浩一