トランス/リアル — 非実体的美術の可能性 vol.4
Trans / Real: The Potential of Intangible Art vol. 4 Masaru Aikawa, Yuko Ozawa: Transfer / Information
2016年9月10日(土)–10月15日(土)
September 10, 2016(Sat.) – October 15, 2016(Sat.)
11:00–19:00
日月祝休 入場無料
11:00-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free
ゲストキュレーター:梅津元(埼玉県立近代美術館主任学芸員/芸術学)
Guest Curator: Gen Umezu
アーティストトーク:9月10日(土)18:00–
相川勝×小沢裕子×梅津元
Artist Talk: September 10(Sat.) 18:00-
Masaru Aikawa × Yuko Ozawa × Gen Umezu
オープニングパーティー:9月10日(土)19:00–
Opening Party: September 10(Sat.) 19:00-
パフォーマンス:10月15日(土)18:00–18:30
Performance: October 10(Sat.) 18:00-18:30
助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
相川勝・小沢裕子《rhythm》2016年
「トランス/リアル」は、絵画・彫刻の現在的な可能性を問う第一幕「トランス/モダン」3部作を経て、音、光、映像、身体を駆使して世界に向き合う構えを探る第二幕「ポスト/リアル」カルテットへと進む。世界を把握するために要請される媒体=メディウムは、情報の受け渡しの過程で必ず「ノイズ」を発生させる。「リアル」とは「世界の手ごたえ、世界の手触り」でもあり、その正体は「ノイズ」=「世界の肌理」である。「ポスト・メディウム」は、「ポスト・ノイズ」という刺激的な思考によって、より柔軟なロジカル・フレームへと変容する。
相川勝と小沢裕子。この企画依頼を機に交流を始めた二人は、「トランス/リアル」と「Transfer/Information」の企画意図を深く読み込み、「メディウムとしての展覧会」を「未メディウム」の状態としてとらえ直した。監視員がかけている眼鏡に装着されたセンサーが「瞼の開閉」を検出する。検出された「情報」は「ギャラリー空間の光源の点滅、音の発生」という環境変化へと「変換」される。監視員が瞼を開いているあいだは光源が点灯し、監視員が瞼を閉じているあいだは光源が消灯する。瞼の開閉と同期して、光源が点滅し、音が発生する。監視員のまばたきは、ギャラリー空間の状況、特に、来場者の存在を反映し、「身体的・生理的な領域の干渉」が「リズム」を形成する。
このスリリングな展示空間には、彼らが制作の過程で遭遇した「作家としてのアイデンティティが脅かされる不安」が反映されているかもしれない。相川と小沢は、「アーティストとしての領域を相互に干渉させる」というリスクのあるチャレンジに果敢に挑み、個人の連携・集合という意味での共同制作とは異なる、表現主体の根拠が「非実体的」な稀有な共同制作システムへと到達した。そのシステムから生まれた新作は、私が彼らに惹かれる共通の理由、「強い衝動/深い諦念」「疾走感/喪失感」と、どこかで共鳴している。彼らの活動は美術のフィールドだけでは語ることができないため、ここでは、独断と偏見によって、音楽を例に、彼らの表現の魅力に迫ってみたい。
相川勝の魅力「過剰/欠落」は、《すべて売り物》[1]の攻撃的な熱狂、《終曲/うらはら》[2]の底なしの虚無感を想起させる。〈CDs〉に顕著な、偏愛する対象との同一化は、自己を無化すると同時に、対象を取り込む願望なのだが、切なくて仕方がない。その切なさは、《僕には特別なクリスマス》[3]の喧騒/寂寥を思わせる。なぜか、「僕=相川」に思えてくる。「相川君、はしゃぎすぎだよ、でも君は何もかも失われてしまうことを知っているから、そんなにはしゃぐんだよね。」
小沢裕子の魅力「高揚感/喪失感」は、《母子受精》[4]の哀愁溢れる疾走感を想起させる。また、なぜか、「相川君、はしゃぎすぎだよ。」と歌っているのが小沢に思え、川喜多美子[5]が浮上する。《失くした遊園地》[6]の戦慄すべき喪失感に浸り、『何もないに 横切って 到着する 言語』(小沢)を読む。川喜多と小沢の感性が、恐るべきデリケートさで微かに触れ合う。自分が何かを失うのではなく、「世界から自分が失われる」、という「喪失感」。
アーティストとして走り続ける彼らの姿は、なぜか、私の目に、スローモーションとしてうつる。何かをつかまえるために走っているのに、何かがこぼれおちる。「意味を生まない」相川の疾走、「意味から逃げる」小沢の疾走。「どうしても手に入らない」相川の喪失感、「はじめから失われている」小沢の喪失感。「喪失」するために「疾走」しているかのようなカミュ的な倒錯が、二人を引き合わせるという妄想を生んだ。ついに実現する展示を祝福して、高揚感を煽る《ジェリー・ビーンズ》[7]と、祝祭感溢れる《Peaches》[8]を聞く。その熱狂と高揚、欠落感と喪失感をかみしめながら、彼らの新作を迎え撃つために。
註:[1]アーント・サリー, [2]Phew, [3][6][7][8]D-DAY, [4]ハルメンズ, [5]D-DAYのヴォーカル
以下のリンクよりお読みいただけます。
https://gallery-alpham.com/text/8242/▊相川勝 あいかわ・まさる ▊
1978年ペルー共和国生まれ。現在日本在住。2004年多摩美術大学メディア芸術学科卒業。
主な展示に2015年「ジャンプ―アートにみる遊びの世界 -(十和田市現代美術館、青森)、「Art Meets 02」(アーツ前橋、群馬)、2014年「鉄道芸術祭」(京阪電車なにわ橋駅 B-1アトリエ、大阪)、「あなたがここにいてほしい」(EitoEiko、東京)、2011年「after effect」(4A Centre for Contemporary Asian Art、シドニー、オーストラリア)、「Gateway Japan」(Torrance Art Museum、L.A.、アメリカ)、2010年「六本木クロッシング2010」(森美術館、東京)など。
(左)《CDs(Kraftwerk)》2010年~|キャンバスにアクリル、ケントボード、 CD-ROM、CD視聴機(NAKAMICHI MB-K300s)|140×140mm
(中)《Nick Hoffman(teacher) Sept/28/2013 21:06 Oregon,U.S.A》2013年|ゼラチンシルバープリント|94x345mm
(右)《Postcard(Andy Warhol’s Grave,Pensylvania)》2013年|Cプリント|97x145mm
▊小沢裕子 おざわ・ゆうこ ▊
1984年千葉県生まれ。2009年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。
主な個展に2015年「それは持っています、そして私のすべてだけですか?」(Art Center Ongoing、東京)、2014年「エマージェンシーズ!023小沢裕子/無名の役者たち」(ICC、東京)、2012年「それはあります、そして、唯一の私は世界ですか?」(Art Center Ongoing、東京)、「ある小話/作家ドラフト2012」(京都芸術センター、京都)など。主なグループ展に2014年「高松コンテンポラリーアート・アニュアルvol.04リアルをめぐって」(高松市美術館、香川)、「父と母/Father and Mother」(TALION GALLERY、東京)、「sound mind sound body」(小金井アートスポット シャトー2F、東京)、2012年「世界と孤独」(日本橋高島屋美術画廊X、東京)、「群馬青年ビエンナーレ」群馬県立近代美術館(群馬)(ʼ08、ʼ10)など。
(左)《語呂合わせ》 2005年|01:50
(中)《15_1_13(時間の外のこども)》 2015年|3:24
(右)《キッチンの手紙》 2015年|07:32
アーティストトーク 相川勝×小沢裕子×梅津元