絵と、  vol.1

五月女哲平

Painting and… vol. 1 Soutome Teppei

2018年4月7日(土)~6月2日(土)

アーティストトーク 4月7日(土)18時~

(c)Teppei Soutome, 2018


逃げも隠れもせず隠す:五月女哲平の作品について

蔵屋美香

(1)
五月女哲平は、建物や室内、車、猫や人物といったモチーフを断片化し、フラットな色面で表す絵画によって2009年ごろから注目された(図1)。それらをまとめて発表する機会となったのが、小山市立車屋美術館で開催された個展「猫と土星」だった。この個展がオープンしたのは2011年4月のこと。つまり、制作、準備と展覧会の間に3.11の経験が割り込んだわけだ。
震災を機に五月女の作品は大きく変化した。2011年までの作品は、ときにモチーフの固有色を離れて選択されたあざやかな色面を特徴としていた。ところが五月女によれば、震災を経験したことで色彩を選ぶ際の勘や必然性のようなものが見失われてしまったのだという。代わって無彩色である黒や白、グレーの使用が始まった。五月女は、さまざまな色を塗り重ねた後、最上層に無彩色を塗って下にある色の層を覆い隠す、という手法を採用する(図2)。2017年の青山|目黒における個展のタイトル「犠牲の色、積層の絵画」は、こうした作品の構造を明快に示している。かつて絵画の表面を構成するため配置されていた多様な色の面を、いま五月女は、上に置く無彩色のために積み上げる、もっと作業的なものとして扱っているという。
こうして、視覚的なイリュージョンを生むはずのモチーフや色彩を失い、平滑な無彩色で表面を覆われた作品は、結果として「壁にかかった平らな物体」としての存在感を強めることとなった。この中でシェイプド・キャンバスの作品が登場する(図3)。絵画を物体として捉えること。さらに、より物体としての存在をあらわにするため、見慣れた四角いキャンバスに変形という操作を加えること。これは言うまでもなく、かつてモダンアートがたどった王道ともいえる道筋である。しかし五月女にとって物体化した絵画やシェイプド・キャンバスは、モダンアートの論理的帰結をなぞるといった、いわば「美術仲間だけに通じるうちわ向けの身振り」として採用されたものではなかった。それは、震災の現実を前に絵画が無根拠化し、その事態への対応を迫られる、というまったく異なる筋道を通ってたどりついた作品の形態だったのである。

(左)図1 五月女哲平 「Sofa」2014年| キャンバスにアクリル|230×140㎝
(中)図2 五月女哲平 「Neither a symbol, nor a stone #1」(部分)2014年|キャンバスにアクリル|148x122cm
(右)図3 五月女哲平 「Black, White, Colors #2」2015年|キャンバスにアクリル(2点組)|各60x45cm

(2)
今回の連続企画「絵と、 」は、タイトルの示すとおり絵画がテーマである。しかしそのトップバッターである五月女の今回の作品は、材質、技法という意味では絵画ではない。作品は下から、額の木枠、平面性を保つ支えとなるボード、印画紙(写真)、アクリル板(色つきまたは無色)、ガラス、ガラス上に刷られたシルクスクリーンによる幾何学形態の6層の積み重ねによってできている。しかし今回の作品は、まず何より2011年以降の絵画作品と「犠牲と積層」という構造を共有している。むしろ透明なアクリルやガラスの使用により「犠牲と積層」はいっそう見て取りやすいものとなっている。シルクスクリーンの幾何学形態や色つきのアクリルの下にのぞく写真には、絵画では不可視となったモチーフらしきものが復活しているのを見ることもできる。さまざまな意味で今回の作品が、2011年以降の絵画の方法論を推し進めた地点に出てきたものであることは明らかだ。
おまけに、前述したとおり無彩色の下にある色の層をきわめて作業的に塗り重ねる五月女は、今回アクリルやガラス、シルクスクリーンを重ねる作業を逆に絵画を描く意識で行ったという。技法、素材として絵画かそうでないか、という問いは、技法、素材は何であれ「絵画を描くつもりで扱う」という意識の問題にすり替えられる。こうして技法、素材としての絵画を迂回しながら、絵画を絵画たらしめる要素の洗い出しが行われているのである。
(3)
ところで、下から3層目にある写真にはいったい何が写っているのだろうか。
これらの写真は五月女のステートメントにあるとおり、五月女の郷里、栃木県にある渡良瀬(わたらせ)遊水地で撮影された。渡良瀬遊水地は1890年代に始まる足尾鉱毒事件の際、鉱毒を沈殿させ、無害化するために作られた広大な湿地である。地面の下にはかつて遊水地造成のため沈められた集落が眠り、震災後には放射性物質が検出されるなど、今も日本という国家のゆがみを吸い寄せ続ける場所でありながら、同時にラムサール条約に登録された独自の生態系を有する市民の憩いの場でもある。五月女にとっては、子どものころから親しんだ身近な場所であり、かつ社会や歴史に対して大きく開かれた場所でもある。撮影当日の遊水地は、倒れた葦が重なって作るずぶずぶの地面に前日降った雪がまだらにかぶさり、自然がわざわざ「犠牲と積層」の光景を用意して待っていたように思われたそうだ。この積層の光景は、カメラのフレームによって切り取られ、断片化され、奥行きの感知できない抽象的な色と形のパターンへと変換されている。
実は今回の「絵と、 」という企画は、震災時の個展と同じ車屋美術館で2017年4月に開催されたグループ展「裏声で歌へ」の会場で、五月女と交わした会話をヒントに発想されている。このときわたしは、メディウムの特性として動きが早く、また現実のモチーフや出来事から出発しやすい写真や映像に比べ、日本の絵画は震災以後、激変した現実との関係を結びあぐねているように見える、と五月女に話した。五月女は、無彩色の積層の絵画に至った経緯を語り、端的に社会的なモチーフを描くという単純な方法ではなく、色の層、形の層、物質の層など多くの層が重なるうちの層の一つに社会問題も含まれる、そんな絵画を成立させられないか探っている、と語った。
今回の五月女の作品は、その会話に対する一つの回答だろう。物質としての作品はアクリルや写真、ガラス、シルクスクリーンといくつもの層の積み重ねによって作られている。写真には葦や雪の積層が写り、さらに遊水地の光景には鉱毒事件、震災といった社会的な出来事が層を成して折りたたまれている。積層という構造を結び目にして、物質、視覚的なイメージ、社会や歴史といった位相の異なる問題系が一つの作品の中に共存しているのである。

▊五月女哲平 そうとめ・てっぺい▊

1980年栃木県生まれ。2005年東京造形大学美術学部絵画科卒業。
主な個展に2017年「犠牲の色、積層の絵画」(青山|目黒、東京)、2014年「記号ではなく、もちろん石でもなく」(青山|目黒、東京)、2011年「猫と土星」(小山市立車屋美術館、栃木県/青山|目黒、東京)、2008年「箱の中の光について」(Mont-Blanc銀座、東京)など。
主なグループ展に2017年「Post-FormalistPainting」(statements、東京)、2017年「裏声で歌へ」[企画:遠藤水城](小山市立車屋美術館、栃木)、2016年「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」(駒込倉庫、東京)、2015年「引込線2015」(旧所沢市立第2学校給食センター、埼玉)、2014年「絵画の在りか」(東京オペラシティアートギャラリー、東京)、2013年「マンハッタンの太陽」(栃木県立美術館、栃木)、2013年「ダイ・チュウ・ショー」(府中市美術館、東京)、2012年「VOCA展2012 現代美術の展望-新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、東京)、2012年「リアル・ジャパネスク」国立国際美術館、大阪)など多数。

(左)「White,Black,Colors」2015年|キャンバスにアクリル|362x201cm
(中)「surface」2017年|壁、キャンバスにアクリル|「Post – Formalist Painting」statements、東京、2017年
(右)「聞こえる」2017年|キャンバスにアクリル|236x152cm|「裏声で歌へ」(企画:遠藤水城) 小山市立車屋美術館、栃木、2017年

アーティストトーク 五月女哲平 × 蔵屋美香