髙橋耕平|逆・様
[冬期休廊:12月21日–1月5日]
髙橋耕平、大槻晃実
髙橋耕平
今年に入ってから幾つかの墓の前に立った。それらは紀伊半島の先の方、和歌山県新宮市と田辺市、そして三重県御浜町にあった。しかし墓と自身の血縁とは関係がなく、また故人ともその親族とも面識はない。そこに足を運んだのは、新宿区富久町児童遊園内に建てられた刑死者慰霊塔の存在を知ったためである。
当然ながら、墓や碑は容易に動かせない構造をしている。墓へ参るには、自らの身体をそこに運ぶしかない。墓が自らやって来る、なんてことはない。墓には動かない理由がある。新宮市の墓も田辺市の墓も御浜町の墓も富久町児童遊園の慰霊塔も、それがそこに建つ理由を持っている。もし動くことがあれば墓や碑が個別に持っている意味がもがれてしまうだろう。一方写真はどうだろうか。景勝地を、人を、かつての姿を、持ち運び可能なものにする。発明以来、写真は移動することを宿命づけられたメディアであるようだ。人は不動の存在に憧れそれを欲する。その欲求が人の移動を促し交わりを生み、やがて写真や言葉に、光や音に代替されていく。
人は人を忘れていく。人の行いを、想いを忘れていく。自然にも意図的にも。忘却に抵抗するため刻まれてきたイメージ、そして言葉。死の地点に立ち現在に目をやること、あるいはその逆。今ここに在ることを直視しながら、同時にありえるかもしれない別の姿を眼差し、次なる形を探すこと。「順」行と「逆」行に目と身体を沿わせながら。
1977年京都府生まれ。ドキュメンタリー映像やアーカイブ資料に自らの声や身体を介入させ、史実や他者との対話を巡る作品を制作する。主な展覧会・イベントに「art resonance vol. 01 時代の解凍」芦屋市立美術博物館(兵庫、2023年)、「恵比寿映像祭2023 ライブ・イヴェント soda〈50秒〉」東京都写真美術館(2023年)、「コレクションとの対話:6つの部屋」京都市京セラ美術館(2021年)、「文化庁メディア芸術祭京都 Ghost」ロームシアター京都(2018年)、「Gather―群れ」Gallery Nomart(大阪、2017年)、「切断してみる。―二人の耕平」豊田市美術館(愛知、2017年)、「髙橋耕平ー街の仮縫い、個と歩み」兵庫県立美術館(2016年)、「ほんとの うえの ツクリゴト」岡崎市旧本多忠次邸(愛知、2015年)、個展「史と詩と私と」京都芸術センター(2014年)などがある。


