2003年3月13日(土)
名古屋: 美術ジャーナリストと称しておりますので、今日は自分の考えを演説するよりはインタビューをすることが本来の仕事なので、できるだけ関根さんから話を引き出そうと思っております。
まずタイトルなのですが「線、海からの帰還」とありまして、実はちょっとこの前にも、トーキョーワンダーサイトという所で関根さんの展覧会を見まして、その時のタイトルもまた「そとがわのうちがわ」で非常に抽象的、漠然としているというか哲学的なニュアンスのあるタイトルなんですけども。タイトルを今回は誰がお付けになったのですか?
関根: 今回は新見さんにつけていただいたんです。前回の展示では自分でつけました。
名古屋: いつもだいたい自分でつけるんですか?
関根: 作品それぞれのタイトルはもちろん自分でつけているんですけど、展覧会に関して今回は企画していただけるということで是非、新見さんに付けていただきたいとお願いしてつけていただきました。
名古屋: 新見さんが書かれた文章をお読みしましたけれども非常に詩的な文章で美しい解釈だと思います。海というイメージは今回作品の中にあるんですか?動機としてまたは表現の対象として。
関根: そうですね、特に海にこだわっているわけではないのですが。いつも風景みたいなものは最初から描こうと思って描いていて、どちらかというと山なども多いんです。
名古屋: 今回、どちらかというと山ではないかなと私は思ったんです。初日のときに来まして。例えばあの作品はほんとに富士山みたいな形が見えます。
いちばん手前にある作品もじっと見ていると始めはぼうっとしているのですが、じっと見るにつれてかなりはっきりと上の方にとんがった三角形の形が見えてきます。山というよりは、東山魁夷の「道」にでてくる道に見えてくるのですが。真ん中がいちばん高くなっていて、左右に下がる稜線のようなものが見えてくるとやっぱり山のイメージではないかと思いまして。
この作品もこのような形をしていると山をふつうは連想するのではないかと思います。上のほうに影が映っていて、ステルス軍用機の影のようで暗示的に見えたんです。
私は海というこのタイトルに後で気がつきまして。海なのかと思ったんです。
関根: 今ある作品の中では、とくにこの作品が海とか手前に何かあって、奥に水が広がっているようなイメージもあったんです。タッチがざわめいている感じや、水面が振動しているような。特に、海として作品を集めたということは、そんなに強くはないんです。
名古屋: 作品を全部仕上げてから、新見さんがご覧になってこれは海じゃないかということで決まったのか、それとも始めに作品制作中、またはそれよりも前に海という暗示があってですか?
関根: アトリエに見に来ていただいた時は、出来上がっている作品が何点かと制作中の物もありました。
名古屋: さっき、波のざわめきのようなタッチが見えると聞きました。以前からそうなのですが、鉛筆による細かい筆触、これが非常に特徴的だと思うんです。
私が思い出したのは、あちらの作品を見ますと何かに似ているんですよね。鉛筆の細かい線の積み重ねが。なんだろうと思ったら、豚の皮なんですよ。
阿部千花世さんという豚の皮を使って立体を作る作家さんがいるんです。その時に豚の皮を初めてじっくり見まして、豚の皮の繊維と言いますか皮の表面の模様に実によく似ているんですよ。非常に有機的というか、身体的な。身体というのは豚の身体なんですが。そういうイメージがあったものですから。海というのは人間の身体にとっては起源という説も聞きました。そういう意味でも海なのかなと思ったんです。実は結構、風景画的な発想で海という。
関根: そうですね、タッチの持っている感じというか表面的な、今おっしゃられた豚の皮や動物の毛並みに見えたり。よく見た人がおっしゃっているのは、砂鉄が磁石で吸いついているような感じで。どちらかというと表面的なものを結構意識していて。
名古屋: 表面への関心?
関根: そうですね。ただその実際具体的に描いてあるものと、タッチが沿った形ではなくて。付いたり離れたり、描いてある物と同じスタンスである部分と画面全体を見ていくと急に途切れてしまったりとか。そういうようなものをいつも持って描いているのですけれども。
名古屋: 鉛筆に特にこだわってらっしゃるのは、タッチというのが鉛筆でないと出せない細かく微妙なものであるということではないかなと勝手に思っていたんです。
名古屋: 先程も基本的には風景に影響されているということで。これも非常に面白い話ですね。一般論的になりますけども最近の現代の絵画は案外風景が多いですよね。VOCA展の過去何回かも含めて、出品作品の見方によっては半分近く風景画なのではないかと。
去年、賞を取った津上みゆきさんもある意味では風景画で、今回、VOCA賞の前田朋子さんも風景で且つ曖昧な茫洋とした感じがして立体のようなアウトフォーカスの用法です。
関根さんもまさに日本の絵画の中心となる傾向の中にいるんだなと思いました。
関根: 実際にタイトルに風景というか遠景とつけたこともあります。ただ絶対に風景だけではなくて、道のような山のような作品「見ること、話すこと」は下側の凸の形だけではなくて、上から反対の形があるのです。
名古屋: 今、私も初めてわかりました。
関根: 目を凝らさないとよく見えないのですが。日焼けの後というかそういう例えを持って言うと、風景と見るときは見ている人との距離感がものすごい空間が広がるんですけれど、もっと近い対象と見た場合にいっきに距離が縮まってしまう。物理的な距離感も実際作品を制作するなかで、遠くで見ることと近くで見ることがあるので考えてはいるのですが。見る人の位置感はすごくあって。単純にこういう感じの形を描けば山にもちろん見えるし、この作品に関しては口のイメージも実際持っていて。
名古屋: への字の口、ひげのようにも見えるんですけども。
関根: 髭とおっしゃる方もいます。
名古屋: 山のような形がひとつのモチーフになっていて、それにこだわって描いていたのではないかなと。への字型というか上が隆起している線、上の方の影もそうですし、あちらのちょっと白っぽく盛り上がっているのもそうですし、こちら側もブーメラン型ですね。
関根: あれに関しては、文章を書くときに使う括弧を使って携帯で顔をかくじゃないですか。もともと文字に関するものだったのを自然に換置してしまうというか。
名古屋: 展覧会の中であの作品は風景の方向性とはかなり違ってある種の社会批判というか文明批判のようなそこまでの意味があるよう思えるんですけど。
関根: 文明批判というよりはおもしろいと思って描いているんです。ただ、あの形を自分が山として描いているときは、よく江戸くらいまでの地図で方向性が全くバラバラに図を説明しているものを思っていたんですけれども。
名古屋: 先日初めてここに来て話していたら、関根さんは歴史に関する話をされていましたよね。非常に関根さんは人間の文化の過去と現在に関する意識が強く持っていることを知りまして、感銘を受けたんです。そっちの方では、お話としては何かありますか?
関根: 特に私は東京出身でずっと東京で生活しているんです。そうすると身に着けているものから、目線をこう合わせていってもほとんど人に作られた、デザインされた物の中で完全に生きているというか。そうではない物を見つけることが困難な状況で生きていると思うんですが。そういう作られたものというのは、例えばこのギャラリーの設計そのものもそうだと思うのですけど、何か規定がひとつあって普段はそういうものには意識は向かないで、完全に消滅したような感覚で生きているんです。
もともと板に方眼紙の線をボールペンで強くなぞる作品や漫画のコマ割の枠であるとか。それ自体ではメインではないもの、何にでもないものだけれども、実はその物の流れや動きを作っているものとか。漫画の抽象化された線、だけど見る人は考えずにちゃんと理解ができるというか。例えばそれは映像ができた頃に初めて上映したら列車が来る映像を見て観客が逃げたというようなことから始まって、今は経験的にもう当然のことのようになっている。そういう線、面に興味がすごくあります。