児島: 加藤さんは、わりに一貫して、人を描いてきてますよね。背景はこの微妙なトーンの色が塗ってあるだけで、そこに人が単体だったり、あるいは複数で関係性を持ちながら描かれていたり。こういう構図で描くようになったのは、いつぐらいからですか?
加藤: 2000年ぐらいから油絵に変えて、油絵に変えたぐらいから。結構いつもスランプなんですけど(笑)スランプを打破しようと思って色々やっていて、今みたいな感じになって。やればやるほど難しいので、今もこういう形にまだなってる。
児島: 具象と抽象について、前に話して下さったことをもう一度話していただけますか。
加藤: 別に僕が抽象が嫌いとか、具象が好きとかそういう話じゃなくて、僕は絵を描くにあたって、何かを説明するのに絵を描いてるんじゃないっていうことを言いたくて。たとえば子どものイメージを伝えるために子どもの絵を描いてるんじゃなくて、やってるうちに勝手にできちゃう部分とか、それを自分で見て残したり無くしたりするとか、そういう関係がすごくあるもので。部分的に見ると、例えば絵の一部をジョキッとはさみで切ったりすると、その部分がいい抽象画みたいになってたりとか、そういうことがある。僕が好きな絵っていうのは、昔のものでも今のものでも、わりとそういう作りの絵が多いので。具象を描くにしたって、いわゆる抽象画みたいに言われているようなものが必ず含まれてるから。画面に何にもなくなるっていう絵もたまに描いたりするんですけど、耐えられなくて。人間じゃなくて他のもの、木とか花とかでもいいんですけど、手がかりにするというか、入れることでモチベーションが一番上がるのが人間のかたちだっていうのに気づいたので、どっちかっていうと、普通の人物画っていうことを言いたかったんです。
児島: でも人物画といっても、具体的に誰かを描いているというわけではなくて……
加藤: そうそう、何かを説明するような質の絵ではないので。人間が何かしてるところを説明してるとか、僕の気持ちを説明してるとか、絵画の問題を説明してるとか、そういう点みたいな絵にしたくないんですよ。全部混ざり合って複雑になってて、でも見た目はシンプルっていうか、単純なかたちで情報が多い、みたいなものが僕はいい絵だと思うだけで。それは僕もやる意味があるんじゃないかなと、他のことは他の人がやればいいかな、ということです。
児島: 人間を描くのが一番モチベーションが上がると気づいたのは?
加藤: 他のものを描いた絵と並べてみたときに、人間入れたやつのほうが出来がいいと自分で思うので、そっちが向いてるかなあって。それで決めてるわけじゃなくて、描いてる途中に色々なことは試すんですけど、結局あんまり進められなくて、似たようなものができてるみたいな感じなんですけど。
児島: 本格的に絵を描き始める前のことも少し、聞いていいですか。武蔵美の油絵科を卒業されても、すぐアーティストにはならずに、いろんな仕事をしてらしたということですが。
加藤: そうです。勉強ができなくて東京に出られて、ちょっと絵が描ければ入れる、みたいなところで美大に行ったもんで、自分が美術が好きかどうか、あまり深く考えたことなかったんです。大学時代もそんなに美術に興味があるような生徒じゃなかったんで、あまり学校に来て描くようなこともしなかったし。卒業して、バブルの名残がある頃なんで、バイトで全然食い繋げたんですよ。お金もよくて、浮かれた感じで生活してて(笑)、余暇に絵を描いて、年に一回ぐらい、友達がやってれば俺も発表しようかなぐらいの感じで、五年ぐらいやってたんですけど。美術に関係ない仕事している時に思う事が色々あって、だんだん自分が美術に興味あることに気づいて。バイトがない日に絵を描いていたのがバイトを休んで描くようになってきて、結構これは自分にとって大事なのかなと思い始めて、それが三十歳ぐらいです。
児島: 彫刻作品もつくられてますね。絵と彫刻だと、彫刻の方がかえってつくりやすいとおっしゃっていましたが、それはどういう部分ですか?
加藤: 彫刻の方が、こういうイメージのものを、こういう立体状にしますっていう説明の部分が、絵よりは多いんです。絵はなるべく説明の部分を極力なくすというか、感じ取られないようにする方が多いので。あと彫刻は背景みたいなものがないので、単体だけつくっていけばいいので、やりやすいんですけど。でも彫刻作ったときに、絶対こっち側から見てほしいっていうふうにつくっちゃうので、360度見られたら困るみたいな(笑)。だから壁のそばに置いたりとか、こういう風に見て、みたいな展示もするんで、やっぱり絵の方が向いていると思うんですけど。絵ばっかりだときついというか、たまに彫刻やるとすっきりしたり。絵で悩んだり詰まったりすると、やな感じっていうか。そういうのが彫刻始めてからは、うまくバランスが取れて。ただ大きい彫刻はあてもなくつくってもうちに置いとく場所がないんで、これは彫刻にしようとか考えだけあって、機会があればその時につくるっていう風にしてます。
児島: じゃあ、常に同時並行でつくっているというわけでもないんですね?
加藤: そうですね。絵を描いていて、彫刻もできそうだなっていう考えはあるんだけど、絵を描いているアトリエでは無理なんで、そういうのは取っといて、つくる機会のあるときにつくる、っていう感じですね。
児島: 木彫が基本ですか?
加藤: 木彫ですね。粘土とかFRPとか、何でもできちゃうようなものはだめなんですよ。苦手っていうか、うまくできない。木のほうが緊張してできるというか、使いやすい。他のものでやってみたんだけど、どうもピンとこなくて。
児島: 筆を使わずに、指を使ってキャンバスに描いてるのと同じようなことなんでしょうか。
加藤: やってみて、それがよかったからそうしてるっていう理由です。色んな筆を使うみたいな感じで、道具として手とか布とかがうまくいったっていう。
児島: 府中市美術館での「ZONE」というグループ展のカタログに、「絵と私の関係が対等であり、かつ私にとって新鮮であるよう、持っているもの全てを使って、最善を尽くすのです」と記されていたのが印象に残っています。
児島: ところで、『美術手帖』の6月号の、斉藤環さんとの対談で、いわゆるアウトサイダー・アートの作家と、ご自分との違いをかなり明確に話されていますが、アウトサイダー・アートの作家と比較されることが多いようですね?
加藤: 最近はあんまりないけど、前はけっこう言われました。あんまり考えてなくて、感情のままに 描いているとか、いい意味で衝動の部分で絵を描きたいっていうところに共通性があるとか。
児島: でも感情のままに描いているというわけではないですよね。
加藤: それはありえないですね。アウトサイダーの人の作品が別に全然ダメとか嫌いというのではなくて、すごいなと思うものもいっぱいあるんだけど、絵を描いていて、もっとよくなるんじゃないかとか、これはだめだとか、それはたぶん自分の作品に対して自分で批評してるんだと思うんだけど。そういう部分がアウトサイダーって言われてる人にはないんじゃないかと。でもそれは作品の良し悪しとは多分関係ないし、絵は僕らの意思と関係ないところでいいものが生まれてきたりするので。
児島: お子さんが生まれてから少し作品が変わった部分もあるということですが。
加藤: うちの息子がしてるポーズを使ってるっていう……使えるものは何でも使うみたいな(笑)やっぱり無視できないので、しょうがない。
児島: 私も最近子どもを産んだので、本当に見てて不思議だなって思うことがいっぱいあって。すごく強いですよね、小さくて弱い存在なんだけど、影響を受けちゃうんですよ、子どもに。お子さんが成長していくに従って、加藤さんの絵は変わっていくんでしょうかね。
加藤: いやあ、もう行き詰まってんのかな(笑)。どうなんですかね、全然わかんない。やっぱりやってみて、打開するしかないですけど。子どもが大きくなったらだんだん大人みたいに描けばいいのかっていうとそうでもないから、じゃあどうしようかなって。はじめに考えてやるの駄目な方なんで、描いてみて、それで何とかする方なんで。何とかなるとは思ってるけど、ぽんぽん作品ができるっていう感じでもない。彫刻は結構つくりたいのがあるんで、できそうなんですけど。絵は、このぐらいのレベルのものはできる感じはあるんだけど、慣れてきちゃうと終わりっていうか、自分が辛くなるんで。なるべく自分が新鮮につくれるようにしたいですけどね。それが結構難しい。
児島: じゃあまた全然違うものが出てくるかも。
加藤: いつもそういう感じでやるんだけど、だいたい自分でちょっと進めたなと思って見ても、前の作品と大して変わってなかったりとか。要はつくってる時に、僕のモチベーションがすごく高く、自分でわくわくするような感じでつくれないと辛いだけっていうか。絵をやる意味があんまりなくなってくるので。
児島: 今は毎日、絵を描いてるんですか?
加藤: 最近はわりと毎日描いてます。
児島: それは描きたいっていう気持ちで描くのか、それとも描かなきゃっていう気持ちですか?
加藤: アルバイトをあまりしなくなったんで、描く時間が増えて。朝起きて絵を描くっていうことが今まであまりできなかったんで、すごく嬉しくて、朝から絵描こうみたいな。調子は悪いんだけどね(笑)。でもやる気はあるんです。
児島: 加藤さんはインスタレーション、展示のしかたもうまいですね。今回の展示は彫刻は含めずに絵画作品だけで構成しましたが、この大きいスペースでの密度と、裏の小さい部屋での密度、予想外でした。やられたって感じです。
加藤: ああ、しめしめ(笑)。