岡部あおみ: 2005年6月に国立民族学博物館の佐藤浩司さんに紹介していただいて、大阪で増岡さんにお会いしました。リーフレットに掲載しているのは、民博で佐藤さんの企画で増岡さんが「ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち」展に参加して、第3作目として作られた巨大な缶の家です。その展覧会で初めてお会いした佐藤さんは、民博に缶の家を収蔵できるかどうかまだわからない状態だったので、もし運送費をなんとかしてくれれば、私がいる大学に寄贈してもいいという話がでました。ともかくすばらしい作品でしたので、いただけるなら、ぜひということで、大学のほうで可能性を探ったのですが、解体できないことがわかり断念しました。それで今回の第4作目の缶の家は、このギャラリーから搬出できるように、増岡さんとしては初めてですが、解体できる家として考案していただきました。作業のプロセスは、学生や先生方に夏休みの間に缶を集めてもらって、秋から大学でユニットを作り始めたのですが、千個ほどしか集まらず、あちらこちらの飲料会社に協力をお願いしたところ、メルシャン株式会社が毎日藤沢工場にでる缶を洗って大学に何度かトラックで送ってくださり、総数5千個ほどになりました。αMスタッフの戸田さんと加藤さんが中心になって、学生ボランティアに手伝ってもらいながらユニット制作を進め、加藤さんと蜷川君の二人が増岡さんに張り付いて、会場で1週間で組み上げています。増岡さんは、東京に来る直前に突然倒れ、病院に入院なさったので、もう無理かもしれないと思っていましたが、2週間の入院を1週間にして無理して来てくださったのです。本当に夢みたいでした。
増岡巽: いや、私も東京に来られて、本当に夢のようですよ。
岡部: 増岡さんとの二人展をOKしてくれた田中さんのお陰でもあります。ありがとうございます。 田中偉一郎: 別にそういう訳じゃないですけれど(笑)。
岡部: 横浜トリエンナーレでもそうでしたが、最近、コラボレーションがキーワードになっています。何かを協力してやるということが「善」というような風潮もあるように思います。でも本当にそうかなという疑問があって、またコラボレーションといっても、さまざまな方法と多様性がありますよね。田中さんを見ていて思ったのは、コラボレーションという概念を、ご自分の視覚芸術作品には置いてないタイプの作家のようだったので、難しいかもしれないですが、逆にそういう意味でどなたかと二人展をやっていただけたらおもしろいかもしれないというのが、最初にお願いすることにした理由のひとつです。それでまず、いろいろご相談しながら、田中さんの相手探しをしたんですね。でもなかなか見つからなかった。ある日、缶の家を作って住んでいたこともあって、路上生活をなさっていた増岡さんが思い浮かんで、どうですかってお聞きしたら、すぐに「オーケー」と言ってくださって、ちょっとびっくりしたのですけれど。田中さんは何で、増岡さんの缶の家の写真を見て、今回、二人展のコラボレーションをOKなさったのですか?
田中: まず、缶で家を作るって、何の理由もないことだと僕は思うんだけど、缶で家を作るっていう理由、どこにあったんですか?
増岡: これが面白い話なんですよ。有名な登山家がいましたよね。それをただ受けただけ。「そこに山があるから」、「そこに缶があるから」っていうところですね。
田中: 理由がないじゃない、やっぱり。あまり作るのに理由がない人がいいなと思ったのが「オーケー」と言った理由です。
岡部: 確かに、作る理由がない点は、田中さんとも共通点があるかもしれません。田中さんは、缶の家とか、家自体には、何か思い入れがありますか。以前は下宿みたいなところに住んでいたと聞きましたが。
田中: 家ですか。家は、ローンで買いましたよ。そんぐらいかなぁ。家らしい家に住めればいいと思います。
岡部: 今回の田中さんの作品で、古い家を壊している、ストリート・デストロイヤーを演じているのがありますよね。どこでしたっけ?
田中: 東京の神田にある家ですよ。神田にはああいう中古物件で不動産の手の回らないぼろぼろの家がいっぱいあるんです。道路もなおすのが遅いのか、電信柱が倒れていたり。そういうのを見つけて、華奢な男が素手で壊したように見える写真作品です。
岡部: 今回は家がテーマなので、家が主題のこの写真作品を展示することにしたのですね。
田中: そうそう、それだけ。家というところで、家に関係のあるものをいくつか集めて、「夢のマイホーム」展という名前で開催。そこに特に理由はなく、家だっていうことですね。
岡部: 田中さんの作品について増岡さんはどうですか? これは田中さんの新作で、ティッシュペーパーを丸めて、青いバケツにほうり投げるゲームのようなインスタレーション作品ですが、鼻紙がちゃんとバケツに入って、中を見ると、赤い光がチカチカしているのがわかるというものです。増岡さん、わりと協力して、鼻紙を捨てていましたよね。
増岡: これはちょっと田中先生にも言わなければならなかったのですが、捨てるのがものすごく楽なんですよね。たくさんティッシュのゴミが散らばっていたので、それで何回か、捨てさせていただきました。
田中: えっ?何すか?(会場笑い)
増岡: いやぁ、いつもはゴミ箱まで持っていってきちんと捨てなきゃダメですけど、ここだったらポンっとどこでも捨てりゃぁいいのでね。どうも失礼しました。
田中: 全然失礼じゃないですよ。やっぱ何でもないことが展覧会場にある、っていうのがいいと思ってね。今回もいろいろと作品を持ってきたし、いろいろと作ったりしたけど、いざ会場に入ると、結局あまり素直に置けない。その点、まぁ鼻かんだりとか、捨てたりとか、普段なにも意識してない例えばティッシュは置きやすい。ティッシュって商品を作っている人は、真剣だと思うんですよ。ティッシュの箱、デザイン、紙質がどうとか、パルプとか。でもそういう苦労も、意識しないで、適当にみんな鼻かんで捨てているじゃないですか。これは批判ではなく、「エコ」でもなくて、僕はそういうのがいいと思っているんです。ただ無意識にやっていること。増岡さんの缶とかも、普通は缶ってあまり意識しないじゃない。だけど、そこらに缶がいっぱいあったから、住む家がないから、じゃぁ家を作ろうとか、いっぱいあるものでないものを作ろうという感じが、非常にすばらしいなぁと思ったんですね。
岡部: 田中さんから、増岡さんに何かご質問はないでしょうか。
田中: 結構、色とか気になるのですか?ここにはドラフトワンじゃなきゃだめ、ここはネクターみたいな。
増岡: いや、それはもう手伝ってくれたお姉さんお兄さんのアイディアですね。(会場笑い)
岡部: 『ストリートデストロイヤー』の写真以外で、田中さんには、家のテーマで何か作品はなかったかしら。
田中: 家をテーマにした作品ということですか。増岡さんのは別に家をテーマにした作品ではないですよね。
岡部: 家そのものというか。
田中: そういうのがいいなぁと思ってね。だから僕も、理屈をこねたようなものを作っていないで、そういうものを作りたいと教わったわけです。家を作ろう、飛行機を作ろう、人を作ろう、飲み物を作ろう、料理を作ろう、何でもいいんだけれど、作りたいなと思ったものを作ればいいんじゃないかな。オブジェを作りたいと思った人はオブジェを作ればいい。今回は僕の場合は、例えば、何か別に作りたくないなぁ、っていうのがこうきちんと反映されているっていう状態を会場にちらばらしました。これがコラボレーションであろうと、コラボレーションでなかろうと、別にそこに出来たもの同士がコラボレーションしていてもいなくても、実はどうでもいいんだけれども。例えば今回増岡さんとやると聞いて、メールで送られたデータを見て、缶で家を作ってらぁ、缶で家を作るなんてこれはいいじゃないのと思った。その、いいと思ったことがコラボレーション。必要にかられてやっているっていう訳でもない。あ、いや、どうなんですか?増岡さんは家がないからという理由で、必要にかられていたのかもしれないけれど…。
岡部: 必要にかられてという訳でもないですよね。
増岡: まぁ、これを作るというのは、私の使命というか、私の家内と新大阪に来てから、ふと思いついただけのことですね。それで、だんだん面白くなってきて、とうとう、よし、それじゃぁホームレスになってしまえ、っていう感じですね。
田中: ホームレスになって家がないから、作った訳じゃないんですね。
増岡: 最初はそうじゃないんですよね。最初は本当のホームレスさんから、缶1個を1円50銭で買って、練習がてらに作っていたんです。実際に住むと、夏は65度まで温度があがるので、干物、冬はストーブをつければ、Tシャツ1枚で過ごせて天国。屋根の缶を2段にすれば、雨の音も半分は消えます。
佐藤浩司(会場:国立民俗学博物館): 増岡さんは、ただのホームレスじゃないですか。別に作家として作品を作っているわけでもない。僕らのところは博物館だから、アーティストも増岡さんみたいな人も、みな一緒にやったんですよ。でも、今回は完全にアートの分野として依頼されていると言うか、だから一体それは、アーティストにとって、アートにとって、増岡さんみたいな人がこういうものを作っているのはどういう意味があるのかを岡部さんに聞きたい。それから、田中さんに対する質問は、『ストリートデストロイヤー』の作品に関して、増岡さんは都市に寄生して生きていますけれども、都市を壊すのをどういう風に考えていらっしゃるのかな?共感するところも実はあるんですけれど、果たしてそれはアートなのか、というところですね。意味の組み替えを起こしているということなんでしょうけれど。
田中: この作品、タイトルを直訳すると街を壊すっていう意味なんですけれど、別にそういう意味をあの作品に込めている意味は全くなくて、神田を歩いていたら、崩れかけの家があった。まず最初に、この崩れかけの家の屋根に登って、こうパンチをくらわしているっていう絵を撮ったら、どうなるんだろうという興味でしたね。他にも道のひび割れたところをパンチしている感じで撮っていくと、人がパンチで壊したように見える。シリーズにするときに、『ストリートデストロイヤー』っていう名前を付けただけで、そこに特に都市を壊すなんていう意味やテーマ性は一切ないんですよ。美術作品にはタイトルにテーマを内包させる歴史があるから、それに引っ張られやすいんだと思うんですけれど。そういうのは、僕の場合あんまりなくて、手遊びして悪ふざけしたりとか、電話しているときにメモ帳にちょこちょこっと描くようなのを、見たときにどう思うとか、ちょっと面白い絵が描けたとか、その絵をこういうタイミングで見せたら、みんなは面白がったとか、そういうことの繰り返しというのが、すごい美術だと思っていて。テーマを持たせて社会的にこういう意味があるから、何かものを作るというのは止めないか、とさえ思います。メッセージを持たせるんじゃぁなくて、メッセージのないものがポンとそこにあるのが、人が一番自由に受け入れやすい。そこにメッセージを見つけるか、見つけないか、どういう意味があるのかと思うのは全く構わないし、想像が広がっていくのはいいと思うんですけれど、勝手に想像が広がるものが一つそこにあるっていうのが大事だと思うんですよね。ただ、いくつかものがあると、何か想像が広がるじゃないですか。そういうのが良いかなと思います。
岡部: 今の田中さんの説明で、なんとなく彼の作品の魅力というか、あり方を分かった方もいるかと思います。田中さんの作品は、何回か、いくつも見ていく内に、だんだん分かってくるような部分があるんですね。最初はクスクス笑ってしまうような感じで、直接自分でも知っているものなんだけれど、どこか違っていて、違う状況に置かれていたり、自分に対して今までとは異なる意味が表われていたり、それがふっと笑いを誘うことが多いんです。日常をずらしてしまって、そのズレの中で、別に意味を考えていないのかもしれませんが、逆に新鮮な日常性を感じさせてしまうことがあると思うんです。こうした感覚を持っているアーティストはあまりいませんから、そうした意味で田中さんの作品はすごく面白くて好きなんですね。一方、増岡さんの作品は、逆に一目瞭然で分かりやすいと思うんです。作品と言っていいのかどうかはべつとして、非常にもの自体の強烈な意味と構築性があり、まず見たとき、ものすごいレヴェルの職人芸だと思いました。誰にでも出来るかというと、そんな容易なものでは全然ない。これは相当な技量のある職人芸だと思いました。その意味でアートなんですね。お二人とも子供の素直な反応がとてもうれしいというところにも共通点があります。
佐藤: うちでやったときは、増岡さんやアーティストと障害者のかたが同じくらいの数いたんですよ。増岡さんは周りに缶があるからっていうけれど、そう思ってから実際に出来上がるまでに半年とか8ヶ月とかかかる。それだけほとんど人生を懸けているみたいな感じでなきゃ作れないんですね。思ってから缶を集めて組んで、すごい大変なんです。それと同時に、障害者の人が毎日毎日必死で自分のために作っているわけですよ。同じように自分のためにやっている人たちと、作家さんが仕事をするってとっても大変だと思う。そんなに命がけで作品を、今のこの作家の業界で作っていたら命が足りないくらいに大変な話だから、増岡さんと一緒に仕事をする作家さんってすごい度胸があるなと思った。民博の作家さんも最初からやめる、負けるに決まっていると思っていた。そういう意味で田中さんは無謀と言うか、すごいと思って感心してました。
田中: ???無謀ですよね???
増岡: 一言いいですか。
岡部: どうぞ。
増岡: こんな缶の家はね、私も民博で展示をされた方の文章を読んで、一年経ちましたけれども、これはね、街中に混沌とあるようなものでね、こんなものは、メディアに取り上げられたり、また大学の方や美術館の人にね、取り上げてもらうのは、僕としては本当はありがた迷惑だ。(会場爆笑)佐藤先生や岡部先生、また学生さんにもお会いできて、人生で、ちょうど60年、何か別の意味で、いい思いをしてますが。
(テープ起こし:加藤祐子)