加藤義夫: 今回は「生命の部屋」ということで、このギャラリー空間をひとつ生命の部屋として考えてほしいということだけを作家に伝えました。今回はどういう思いで作られたのでしょうか?
植松琢麿:僕は、動物やヒトなど、自然界に存在する形に社会の様相を重ねた立体、写真、インスタレーションを制作しています。なので、最初に「生命の部屋」というテーマを伺った時も、そのテーマに合せて新しいことを考えるわけではなく、普段制作している作品をそのまま展示することを考え、会場は旧作と新作を合せての構成になりました。加えて言うならば、今回のポイントは展示です。コレクションの部屋というキーワードが加藤さんのコンセプトにあり、今までは作品を制作、展示するなかで、様々な要素をそぎ落とすという作業のなかで伝えたいことをシンプルに残すということを行ってきたのですが、逆に「コレクションの部屋」という、違った要素を持つ物体がひとつの空間に共存しているという感覚に刺激を受けました。それは複合的に様々なものが混沌と混在する自然界、現代社会に通じると感じ、混在をダイレクトに混在として展示することで、何かもっとひとつの大きなかたまりのようなものを感じてもらえるのではないかと考えました。それで、普段のギャラリー展示よりは、作品の種類が多い展示になっています。
加藤: (DMの作品を指して)これは一体なんですか?
植松: 自分の作品に対して自分でも分からない部分、自分にとってはココが興味深いのですが、ですのできっちり伝えるとなると大変困るんですけども(笑)。まず、口の中から泡、細胞、遺伝子のようなオブジェが増殖し、まわっています。そして、体に巻かれたリボンには「creatures create creatures…」という言葉が反復され、ずっと繋がっています。普段考えていることなのですが、動物の関係は、多種多様な関わり方で個体間が繋がっている。たとえば皆さんの誰にでも親がいて、親にはさらに親がいて、そういう生命の繋がり方もひとつです。ひとつの個体の中でもそうですし、いろんな生命間の中でも関わりがあって、混在しながら同じ時間を共有している。そんな中で僕たちが今存在し、その他の様々な要素に関わっていることを意識すると、生命に対しての見方っていうのも変わってくるんですね。僕たちは生命の一部であって、社会の一部で。時には、その繋がりを生み出す元になっている場合もあります。そんなことを考えて作った作品です。
加藤:全てがわりと生命に関わるような表現だと思うのですけれども、なぜ生命というものに関心をもって、それを芸術表現として制作して、発表をギャラリーという空間とか美術館だということころでしたいと思うようになったんですか。
植松: 現在は、もう作品を作るということは生活の一部になってて、とくに意気込んでという感覚は薄く、何の隔たりもなく普段の生活で思ったことをただ素直に形にしているだけです。ただ、なぜ作家活動を、ということは難しいです。なぜ難しいかというと、特別なことをしている意識はないし、ずっと人って何か作っていると思うんですよ。それは教育の中でももちろんそういう科目もあるし、僕は、小さなころから自然にやってきたことを、今でも自然にやっているのだと思います。ただ発表する場所が、たまたま現代美術で、方法が、立体とかインスタレーションっていうのは、一番自分の感覚が素直に出る形なのだと思います。日常の自然の中で、目で見るものは、すべてが立体なので。
加藤: これはどういう作品でか?
植松: 『birthday』という作品ですね。サルが花束みたいなイメージでオブジェを手に持っているのですが、そこには人間の根源的なイメージがあります。先ほどの作品と同じで、その持っている花がどんどん広がっていくイメージです。あれは花のように見えますが、実は細胞の分裂期の中にある模型の一部なんです。そこから生き物が生成し、様々な関係とともに広がっていく、未知の可能性というか、生命が持っている見えない部分の広がりっていうのを考えました。
加藤: この花のような形、植物に見えますけれども。
植松: それは細胞の核のなかのDNAが分裂していく様子で、きっと枝分かれしていく植物に似ているからですね。葉脈や毛細血管、また進化の図など、自然界の発達の過程は、どれも類似した形ですね。
加藤: 今回一番大きな作品がそこにある、これ一体何なんでしょうか?
植松: 何度も出てくる「広がっていく」という感覚。その広がりのなかで生命同士が繋がっている。そんな様相を表した“life is a crystal“という言葉が、僕の作品のテーマとして何度か出てきます。これは結晶が一つの核を中心として、結晶化していく様子が、僕たち人の出会いもそうですし、生命の繋がりに似ているところから浮かんだ言葉です。生命も生態系の中で結晶のような存在の仕方で、関わり合いっている。僕たちの存在の中にも、それぞれの結晶を内包していて、関わりや出会いといった運命を形作る元のようなものです。で、この作品。あの動物はヤクですが、ヤクは高地に住み、人間との関わりが深い動物です。ヤクも含めすべての動物に、連鎖していく複合的な関わり=結晶があるという思いで作った作品です。
加藤: あれは何なんですか?
植松: 子羊の剥製です。
加藤: 子羊で、上に?
植松: 上はオウムです。
加藤: FRPのオウムがのっている。わりとこのスタイルも多いと思うんですけども、いわゆる動物の剥製とFRPで作られたものと、ひっつけちゃうっていうのがありますね。それはなぜ?
植松: そうですね。2002年からこういうスタイルの作品を制作しています。例えば、ヒツジに人のような気持ちがあって、次に他の動物に生まれ変われるという輪廻が叶うならば、どんな動物になりたいだろうかという。いろんな地球上に存在する動物がもし、ありえないことですけど、人間のように気持ちが持て、生まれ変われる動物を選べるとしたら、人を選ぶ動物っているのかなぁとか、色々そういうことを考えています。いろんな動物がいろんな動物になりたいという夢を願う作品にして、次の世界の何かを想像してみたいっていうのが、そこにはあります。
加藤: 選ぶ基準って、何か直感ってあるんですか?
植松: 選ぶ基準はないです。複合的に様々な生命、地球上に住んでいる生命の側面をひとつひとつ紹介していきたい。それで、僕の作品もひとつひとつ違う要素のものを組み立てていくことで、ひとつの世界がそこにあるっていう。やっぱりいろんな種類の作品があって、掴めない何かを紹介していきたい。コレクションの部屋ですね!
加藤: それで異質なのは、あそこにある、月面探査機みたいな…
植松: アポロですね。
加藤: アポロの上に首が二つ付いてるような、双頭のアポロみたいなものですけど。あれは何なんですか?
植松: あれを制作したときにコロンビアのスペースシャトルが失敗した事故があって、科学技術の開発の中で起きる事故は、マイナスイメージがあるのに対して、宇宙での失敗は、反対にどこか英雄的で、多くの人が人間のロマンを感じています。そういう人間の普遍的なロマンに興味が沸いたのがきっかけです。それって結構生命の根源的な部分に繋がっているところがあるのではないかと思います。
加藤: 植松さん自身地球の生命体とか環境とかではどんな考えを持ってます?
植松: 先進国と途上国の関係の中で、先進国がやはりどんどん便利になり、途上国も追いつこうと必死です。これから中国もどんどん進歩し、資本主義のなかで企業が多くの開発を進めていきます。その利益が生み出される状況の中で利益を諦め、先進国がどこかで我慢するところがないと、何かの映画ではありませんが人間が地球の害虫のような役割になって、破滅の道へ近づいていくのではないでしょうか。とりあえず人口を見ても、2050年に90億人とかになるんですよ。そうなれば貧富の格差も出てくるし、食糧難の地域もますます増えるし、いろんな面できびしい。そのことが当たり前のようになって、人間としての精神的な面も脅かされてくると思います。だから余計に、今僕達が全部つながっているっていう感覚を持たなければならないし、そうすれば自然に対しての愛も芽生えるのではないでしょうか。
加藤:植松さんは美術系の大学で美術教育を受けなかったわけですけども、受けなかったメリット、デメリットって感じるときあります?
植松: あまり考えたことないですね。想像でしかないのですが、メリットに関しては、作りたいものを作る。それで方法は後から考える。自分で作れなければ色んな職人さんに助けてもらうこともあるし、それこそ大学の先生に教えてもらうこともあるし。作りたいものを先行させて考えれる点がいい部分ですかね。美術大学に行っていると逆に先に方法を学んでからなので、その中でものを作ろうとしてしまう、とかってあるのかな。ただ美術大学に行ったことないので分かりませんが。
加藤: テクニックは、後から付いてくる。
植松: そうだと信じています(笑)。
加藤: 盗むというか。FRPの加工なども職人さんに聞いたりしてたんですよね。
植松: そうですね。出版社で働いていたのですが、それを辞めてから1年くらい造形屋さんでアルバイトさせていただきました。
加藤: あとは自分がしたいイメージのものを見つけてくるだけじゃないですか?それでそれはどこにある、どこに売ってある、ないしはどこでもらえるのかっていうのはどんな感じ?
植松: 生活の中で色んなところで出会いますね。それはもうほんとにいろんなところで出会います。
加藤: それは、日ごろ街を歩いてたりとか何かのときにひらめいて貯めておくのか、ないしはエスキースみたいなスケッチがあってそれで探しに行くのかどっちなんですか。
植松: 貯めてますね。やばいくらい。
加藤: あぁやっぱし貯めてるんですか。貯めていった中で繋がっていくっていう感じ?選ぶこと自体が、そういう意味ではウエイトをかなり占めてますよね、ある部分では。
植松: そうですね。特に日本においては、何でも手に入るんですよね。海外に行ったときに、ここまでものが簡単に手に入る状況を作るのは難しい。これは現代の日本らしい状況なのかもしれません。
加藤: マルセル・デュシャンは、選ぶっていうことも芸術だと。その意味ではレディメイドっていう既製品を選んできた部分も多くありますよね。植松さんの部分は。それとあと自分で創られたものをひっつけていくということで考えるわけですけども、でもあのヤクの半分に割った内臓のようなものは、あれ拾ったわけではないですよね。
植松: そうですね。ヤクはFRPで制作し、表面は人工の毛で覆われています。
加藤: あれはどっかで見つけてくるか、購入するかですかね。あの結晶は?
植松: 買ってきたアメジストの結晶を組み合わせてあります。
加藤: ああいう美の源泉っていうのはどうしてるんですか?ひとつのものを展開していっているよりはかなりいろんな方向に拡散していっているような感じなんだけども、それはどんな感じでしょうか?
植松: 興味があるのは、生命の中にある色や形と社会の様相が重なるような瞬間や物体間の類似性です。そういう視点でものを見ていると、色、形、構造など多くの要素をきっかけにひっかかってきます。今は、ヒトが作ることができない生命の美しさがもつ多重構造性にも興味があります。やっぱりその表面だけだったら作れるけれども、その中身は作れないわけじゃないですか。でも生物は、その中に色んな要素を含んでいるから、かっこいいし、存在感もあるし。見た目が似ていても、存在感、空気感は違うし、そこには人工物では表現できないすばらしさと深みがあります。そういうものとのいい距離感を保ちながら、人工物と合せて制作する。
加藤: ラウシェンバーグのコンバイン・ペインティング「モノグラム」っていうタイヤとヒツジをひっつけたっていう発想にはちょっと近いのかなって思ったりするんですけども。ラウシェンバーグに触発されたわけでは別にない。
植松: そうですね。好きな作品ですが。
加藤: あとね、こういうふうにしていくと自分でさらなる展開っていうのはどういうふうになると思うんですか?
植松: 次の展開は予想できないですが、僕は、突然変異的に変わる様々な作品をどんどん重ねていって、この何倍かのスペースに、この何倍かの作品が並んでいくっていう状況を見てみたいです。
加藤: あぁ、まさに生物のようにね。増殖していくという。細胞分裂みたいに増殖していくっていう感じですよね。
植松: いろんな特色が違うものがカオス的に並んでいる。
加藤: それがまぁ地球の生命体のようなものかな。
植松: そうですね。
加藤: 単体の作品というよりは、作品と作品が繋がっていって空間を変容させていくようなインスタレーションの要素って強いですね。その現場で組み合わせる構成するっていう要素が強いんですか?
植松: 現場ですね。もう現場で並べて。モノとしてじゃなくて、ひとつの空間として感じてほしいので。空間に合せてちょっとした展示の工夫があることで、やっぱりそれがひとつになる場合があります。
加藤: それで僕は、展示に立ち会えなかったんですけども、もう大体決めてたんですか?この空間でここにヌーを置いて、人が座ってる作品はここで、おさるさんのやつはこうっていうのはある程度は決めるんですか?
植松: そうですね。図面見ながら。
加藤: それは割りとイメージ通りに近いような空間構成になってくるんですか?
植松: はい。
加藤: それを、どう組み合わすっていうのはわりと頭ん中だけで?模型作ったりはしないんですか?
植松: 作る時もあるんですけども、大体頭の中でイメージが出来て、で、その通りのものを。まぁ頭で思っているものより、いいものが大体の場合はできます。
加藤: それはすばらしい。
植松: モノの存在っていうのは頭で考えてるより実物のほうが強いので、だから実際展示すると、印象が全然違います。