TEXT - 応答関係としての線

杉浦央子

今から約100年前、日本画家の小林古径と前田青邨が大英博物館に赴き、4世紀に顧愷之によって描かれたと伝えられる中国の絵巻物の模写を行った(以下《臨顧愷之女史箴卷》)。本展は、そのうち小林古径の手による部分に着目した近藤恵介が模写した作品(つまり模写の模写である)を中心に構成されている。
近藤はかねてより日本画の「線」に関心を持ち、先人たちが引いた線について調査や論文執筆などを行い、その成果を自らの創作に反映させるといった批評性を伴う活動を展開してきた。2021年に発表した論文「卓上の絵画、線の振幅」では、模写によって生まれる線について「線は絵の制作過程でさまざまな干渉(原文では傍点)を受ける。模写をすることで触れ一度は同化した古画の線であり、触発された他者の線であり、制作過程で引いてきた幾本もの線である。運筆の『ブレ』を感じつつ、引き写す線との押し引きを経て、今引かれつつある線が『決定』されるが、線は必ず前に引いた線と違っているため、その偏差が『振幅』として立ち現れる」*1と述べている。
つまり、引かれた線に目を凝らしながら自身の身体を介してその線を再び表出させる模写の行為は、他者の線を正確に再現する試みである。そして同時に、これまでに引かれた線の時間の経過を内包しつつ、「今ここで新たな線を引いている私」によって生じる「決定的な線」として表れる。そこには、過去の線との間に発生する不可避的な差異が生じるということだ。ここに、近藤は線同士の時空間を超えた応答関係を見出している。
本展のタイトルである「さわれない手、100年前の声」は、冒頭に記した小林古径の存在を念頭に置いて付けられている。もちろん、私たちは100年前に存在した手に触れることも、声を聴くこともできない。それでも、かつて引かれた線に目を凝らすことで、現在へと連なる新たな線の創出が可能であることを近藤の絵画は示す。それは、模写という行為を技術修練の手段ではなく、過去と現在を取り結ぶための手法として捉え直すことに他ならない。本展で示される線は複数の時間や空間を内包しながら、かつてその線を引いた人々の、そして鑑賞する私たちの間を共振する線の連続体として存在している。

線に関する調査や分析を行ったうえで構成された本展の空間はしかし、あっけないとも表現できるような軽やかさを感じさせる。例えば先述の《臨顧愷之女史箴卷》(模写)や肖像画である《冨井氏像》(2023)と《某氏像》(2023)など、全ての絵画作品は表装が施されていない「まくり」と呼ばれる状態のまま、上辺のみ細い紙で壁面や板に止められている。そのため、作品は室内の空調や鑑賞者の移動時に起こるかすかな風によって揺れ、温湿度の変化によって紙の形状はわずかに変化する。近藤は以前からこの手法による展示を行っており、作品を不安定な形状のまま置くことで、次の状態へ移行するといった要素を含ませる意図があると述べている*2。このように作品に「動き」の要素を付与する試みは、本展においては作品そのものにも見られる。例えば、個々の作品に目を向けると《臨顧愷之女史箴卷》(模写)に描かれた道具箱が《私とその状況(さわれない手、100年前の声)》(2023)と題された別の作品に登場したり、《冨井氏像》に描かれた男性がかぶっている帽子と同じ形の紙片が、《ひとときの絵画》(2023)*3に取り入れられていることに気付く。作品間の応答関係は目には見えない線で作品同士をつないでいるとも解釈でき、動的な要素を取り入れるための一つの仕掛けであると考えられる。

また、本展の中心は《臨顧愷之女史箴卷》の模写であることを理解しながらも筆者が気になったのは、用いられる素材が多様化している点である。高さが170センチを超えるガラス板や握り拳大のコンクリート片、さらには割れた陶板など、絵画に様々な素材を組み合わせて作られた作品が見られる。個々の素材の選別について明確な基準などはないそうだが、これらの作品から、筆者は昨年の夏に何度か見る機会のあった近藤の作品制作の様子を思い出した。それは彫刻家の冨井大裕との共作であり、白い紙の貼られた約50センチ角のボードに、両者が制作したパーツを各自で取り付けていく形で作業が進められた*4。お互いにその場で作ったものを組み合わせて即興的に画面を完成させていく様子は、日本画における「線」について自身の論理を構築したうえで制作する方法とは大きく異なり、意外に感じられた。しかし、近藤の作品の魅力はそこにこそあると私は思う。思考プロセスに裏付けられた部分と、感覚的な手の動きに任せて素材を選ぶ軽やかさを併せ持ち、日本画の歴史や展開可能性を独自の角度から照射する。本展で私たちが目にするのは、そのような試みである。

 

*1 近藤恵介「卓上の絵画、線の振幅」『佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集』第4号、2021年、160頁
*2 「近藤恵介「絵画の手と手」の作品解説」LOKO GALLERY、2022年11月15日公開、https://www.youtube.com/watch?v=wAojArWEFlk&t=1s(2023年9月10日アクセス)
*3 本展には《ひとときの絵画》と題された作品が複数展示されているが、該当する作品は作品リストNo.7である。
*4 作品は「私たちとその状況」と名付けられ、2023年3月に川崎市市民ミュージアムのウェブサイトおよびLOKO GALLERY(代官山)にて公開された。

 

▊杉浦央子(すぎうら・ ひさこ)▊

川崎市市民ミュージアム 教育普及部門学芸員。主に学校対応やワークショップの企画、実施を担当。