血痕を見よ。壁面に飛沫いた血痕は、動脈血の噴射であろう。滴痕の雫型の向きから噴血点を割り出せる。床高からして頸動脈である。被害者の全身は一瞬でこわばり、くずおれるというより直立のまま反対方向に倒れた。噴血点は踵を支点に回転し、その動きにしたがって飛沫は天井面に到った。噴血が収まり、流血は床に広がった。絵画がこのごとく、加圧循環ポンプの破壊によって作る芸術であったら、絵画とは三次元の室内であった。現状、結果的に絵画は粘性の高い液体の塗布によって、結果的に連続面に作られる。例外の摘示は今回しない。ある条件の液体とある条件の面は求め合うと概してよい。それが媒質である。この媒質が天井画をも可能にせしめる。ミケランジェロはシスティーナの天井を仰いで描き、絵具の滴を受けて視力を損ねたと謂う。絵具の付いた眼球面は絵画であっただろうか。顔面を外れた絵具はつぎつぎ床へ落ちる。雫の一つ一つが衝突のいきおいで潰れて冠状に広がる。先の滴痕の上に新しい滴痕がかぶさる。滴痕群は、拭い清めなければ、筆の順序がいくらか判ったはずだ。二人分の血痕の重なりは犯行の順序を示す。ところが探偵は看破した。畳のトリックが使われたのだ。犯人は二枚の畳の上で順に二人を刺した。畳に血が流れた。生乾きの一枚を外して、もう一枚の畳に捺した。かくして犯行の順序はすり替えられた。片山真妃は二枚のカンヴァスのあいだで絵具を捺し合う。ただしその捺痕は完全に対称ではない。寸法の異なる二枚のカンヴァスを何度も、そのたび異なる辺同士を合わせて捺したためだ。ある二幅対を見よ。右の一枚で、ある千斎茶色の捺痕の上に蒸栗色の捺痕が重なっている。蒸栗色が後に捺されたと判る。他に捺痕同士の重なりはない。それらの順序は不明である。二枚の絵画の捺痕の関係から測れるのは、捺し合わせた回数のありえる最大値と最小値である。最大値は捺痕の数だけ。最小値は一括で捺せるぶんを差し引いた数。この範囲で実際何回捺したかは不明である。別の二幅対を見よ。納戸色と若草色を捺し合っている。ある箇所では納戸色の捺痕の上に若草色の捺痕がある。納戸色は一つだが若草色は横並びに二つある。二枚でとも左のほうの捺痕が納戸色に重なっている。重なっている左の捺痕は、もう一枚で重なっていない右の捺痕に対応する。したがって二枚各で納戸色に重なる若草色の捺痕は対応するものではない。対応しないがいずれも納戸色に重なっている。ここから若草色の二つは同時に捺されたように錯覚しかねない。実際は不明である。若草色の二つを二度に分けて捺しても同じ結果は得られる。別の箇所に注目せよ。片方では納戸色が二つに若草色が二つ。もう片方では納戸色が二つに若草色が一つ。若草色の捺痕は二つが重なっている。二度捺されている。ある箇所で若草色が二度捺されているからといって別の箇所でも二度捺されているとは限らない。捺し合わせの回数も順序もすべてある範囲の内で不明である。遠近法とは同一性を管理する法である。遠近法はすべての点がけして同一にならない時空間を表象する。遠近法ではすべての点の遠近関係が一貫する。視点が一点に押し込められるのもこの帰結である。遠近法の法とは技法ではなく法理である。一貫した遠近関係は時間と空間を等価に交換せしめる。無限遠点に着くには無限時間がかかり中間点には半分の時間がかかる。捺し合わせの順序は一意に定まらない。ビリー・ピルグリムは一生のあらゆる時点を錯綜した順序で飛び回り、同じ時点に何度でも舞い戻る。そのたびに殺されたとしたらどうか。無数の時間で無数のビリーが床に血痕を残す。鑑識によれば順序も回数も不明である。「殺戮が終わったとき、あたりは静まりかえっていなければならない。」二幅対のうち片方を逆さまにしてみよう。捺痕の対称ないし対応は容易には見てとれなくなる。戻してみよう。二枚のあいだに時間が復活する。遠近法とはこのことを指す。二枚を接ぐ野暮な蝶番などない。ただ視ることのなかでこの二枚は繰り返し閉じては開く。順序も同一点もない巡礼者の時間のなかで何度も開閉する。develop(展開)をひっくり返せばenvelop(封緘)である。一度開いた封筒を再封してまた開いても何度開けたか判るはずがない。先ほど捺し合わせの回数の最大値は捺痕の数だけと言ったが訂正する。同じ捺痕を何度も捺している可能性がある。カンヴァスがいまここにある以上有限回数とみなしていいかもしれない。だがこのカンヴァスがあらゆる時点を錯綜した順序で飛び回っているとしたらどうか。二幅対の二枚が無数の時間で無数に出会い、一箇所の捺痕は無限に重ね捺される。絵の背景を占めるのは張った筋肉か、あるいはシート・ベルトではないか。「高速道路からの正しい出口を通りすぎてしまった。彼女はパワーブレーキを踏んだ。うしろから来たメルセデスが追突した。さいわいけが人は出なかった。どちらのドライバーも、シート・ベルトを着用していたからである。ありがとう、神様。」
引用
カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』伊藤典夫訳、早川書房、1978年。
■大岩雄典(おおいわ・ゆうすけ)■
美術家。1993年生まれ。博士(学術、東京藝術大学)。インスタレーション・アートとは一体何を作っているのか?という問いから始めて、ひとの行為を設計する装置一般について、作品制作・研究。最近は法について。これまでの主な展覧会に「渦中のP」(十和田市現代美術館、2022)「バカンス」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、2020)など。執筆に『現代思想』カフカ特集、『ユリイカ』Jホラー特集、『美術手帖』ゲーム×アート特集など。