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2025年9月4日

美術の現在地を探る──1970年代の表現とその精神性:河口龍夫、今井祝雄、植松奎二の現在

大槻晃実

美術において、立ち止まり振り返ることは、前に進むための力になる。vol. 2は、「京都アンデパンダン展」と「共同行為」をキーワードに、河口龍夫、今井祝雄、植松奎二という三人の作家の1970年代の表現を、現在の視点から再考する試みである。過去を懐かしむのではなく、彼らの作品に宿る思想と精神性を、今という時代に照らし探ることを目的とする。

京都アンデパンダン展
戦後の関西には、若手を中心に意欲的な作家が出品を続けた京都アンデパンダン展がある。本展は、東京の読売アンデパンダン展と同じく無審査・受賞制度なしとして、自由な表現を行える場であった。1960年代後半になると、物質や空間、時間を主題とした概念的な作品が多く登場した。高度経済成長の反動としての物質主義からの離脱を背景に、作家たちは「存在」「関係」「見ること」といった観念に向き合い、美術の本質を問い始めていく。河口龍夫、今井祝雄、植松奎二らの活動は、その象徴的な存在である。

「関係」を主要なコンセプトとして追求する河口龍夫は、1970年の京都アンデパンダン展において《関係》を発表した。必要事項を記入した出品申込書の複写4枚で構成された本作は、申請手続き自体を作品にした試みである。河口のこの行為は〈作家―作品―美術館―鑑賞者〉を顕にし、制度の中の構造を可視化するとともに「美術」を成立させる関係性を浮き彫りにした。今回展示している《関係》は、当時の作品(複製物)を河口自身が後年再度複写したものであり、過去の行為を現在において再提示することで、時間を超えた問いとして立ち上がらせている。さらに《関係―電流》(1972-)では、銅に流れる見えない電流が、小さな電球の光として現れる。ここでは、目に見えない力が物質に作用し、光という現象として立ち上がることで、非物質と物質の関係性が顕在化されている。作品を構成する部品には、当時のものだけでなく、今回新たに導入された要素も含まれており、過去と現在が交差する場として作品が存在しているといえるだろう。

世界の構造を維持するもの、それを崩すものとは何かという事象に深い関心を寄せ、この世界の在り方を問い続ける植松奎二は、1973年の京都アンデパンダン展で《水平の場》《垂直の場》《直角の場》を発表した。本作は、京都市美術館の展示室にある3つの出入り口で、植松自身の身体と角材を用いて、重力や引力といった目に見えない力の存在を可視化し、世界の構造を確かめたインスタレーション作品である。本展出品作は、当時のインスタレーションにおける行為を写真によって物質化したものだ。植松は、写真を単なる記録媒体ではなく、世界を成立させる「存在」「構造」「関係」を可視化させる一つの方法として用いている。
 《在/Situation-Cloth-Triangle》(1975/2025)は、布に切れ込みを入れてそこに石を挟むという極めてシンプルな作品であるが、その簡潔さの中にこそ植松の深い洞察が宿っている。石の重力と引力によって布がたわむ。そのたわみは、物質が空間に与える影響であり、見えない力が形を生む瞬間でもある。本作は、物質と空間の関係を「見る」ことによって、私たちが世界をどう認識しているかを問い直すものだ。布のたわみは、重力という自然の力を受け止める「場」であり、そこに生じる形は、世界の構造そのものを映し出しているといえる。

今井祝雄は、日常の中にささやかな「異和」を差しはさみ、社会の構造や空間の意味を問い直す行為を続ける。1977年の京都アンデパンダン展で発表された《ウォーキング・イベント―曲がり角の風景より》は、その思想を端的に示すインスタレーション作品だ。本作は、今井が自宅から歩き始め、道の先々にある曲がり角で撮影した写真と、その曲がり角までの歩数を記したプレート7点を、展示順路の床面に歩数に合わせて設置するという構成をとっている。歩くという行為、曲がるという選択、そしてそれを記録するという行為が、空間の中に新たな意味を生み出した。ここで重要なのは、今井が「歩くこと」を単なる移動手段としてではなく、空間との関係性を再構成する行為として捉えている点だ。曲がり角という日常的な風景に焦点を当てることで、都市空間の中に潜む「見過ごされがちな変化」を浮かび上がらせる。歩数という数値は、身体と空間の距離を可視化するものであり、写真はその瞬間の視線を記録する。今井は後年、このプレートと写真を組み合わせて平面作品に再構成している。それが本展出品作である。

以上のように、これら作品の多くは発表当時のオリジナルの形状ではない。河口は新たに複製物を生み出し、植松や今井はインスタレーションといった表現を、写真や平面作品として再構成し新たな形態を得ている。この行為は、作品を「京都アンデパンダン展」という特定の「場」や「時間」から意図的に切り離し、作品に内在していた「概念」をより純粋な形で顕在化することを可能にしている。つまり、作品はもはやその場に依存せず、観念としての強度をもって立ち上がっているのだ。そのことにより私たちは、「行為の痕跡」や「空間との関係性」をより抽象的かつ思索的に捉えることができるようになっただろう。これらの作品は、過去の記憶ではなく、現在における「問い」として存在している。そこにこそ、本展の核心があると述べたい。作品は、ただ展示されるものではなく、思考を促す「概念」として、今を生きる私たちに向けて開かれているのだ。

共同行為
戦後日本の美術において、特に1960年代から70年代にかけての集団による表現は、個人では応答しきれない社会の複雑性に対する一つの方法論として機能していた。東京では「ハイレッド・センター」がその象徴的存在として知られるが、関西でも同時期に前衛的なアーティストたちが集まり、独自の実践を展開していた。彼らは、物質的な作品を制作するだけでなく、「行為」によって世界を認識しようと試みていた。美術とは何か、作品とは何か、そしてそれはどこで成立するのか──そうした根源的な問いに対する応答として、彼らは行為を続けていくのである。

河口龍夫と植松奎二は、村岡三郎とともに、NHKでの放映を前提に《映像の映像―見ること》(1973)を制作した。この映像は実際にテレビで放映され、大きな反響を呼んだという。テレビというメディアへの物理的かつ思想的な対話として、この作品は極めて重要な意味を持っていた。 テレビの画面に色を塗り、地面に埋め、ハンマーで破壊し、海に沈める──これらの行為は、映像という非物質的な存在に対して、物質としてのテレビを通じて接触を試みたものだ。それは見ることの意味と認識、メディアの本質を問い直す、制度化された視覚文化への批評的なアプローチであるとともに、映像の存在、美術の可能性を再構築する試みだったのである。

1972年7月、今井祝雄は倉貫徹、村岡三郎とともに、大阪・道頓堀の喧騒の中で一つの“事件“を起こす。《この偶然の共同行為を一つの事件として……》と題されたこのイヴェントは、都市空間に彼ら自身の「心臓音」を解放することで、美術の在り方を根底から問い直そうとした試みである。ビルの屋上から流された三人の心臓音は、車道や歩道に向けて放たれ、街の環境音と混じり合いながら、偶然その場に居合わせた人々の耳に触れただろう。心臓音という極めて個人的な生命のリズムが、都市のノイズと交差することで、聴覚的な風景を再構成するのだった。
 そして今、2025年の東京でこの行為が「再演」される。これもまた過去を再現することではなく、現在において新たな問いを立ち上げることだ。50年以上の時を経て、異なる都市、異なる社会、異なる目撃者のもとで、この行為がどのような意味を持つのか。予定調和な結果を許さない彼らの行為は、今もなお、私たちに「美術とは何か」を問い続けようとする。

では、今という時間に目を向けてみたい。
私たちは、どこに立ち、どこへ向かおうとしているのだろうか。

情報が瞬時に拡散され、美術もまたグローバルな文脈で語られる現代において、1970年代に展開された彼らの表現は、むしろ新鮮な思考の契機として立ち現れているだろう。彼らは物質・空間・身体・時間といった世界を形づくる原初的な要素に向き合いながら、世界の構造やその在り方を探求している。河口龍夫、今井祝雄、植松奎二のその態度は、現在においてもなお、私たちに美術の可能性とその根源的な意味を考えるための視座を与えてくれるはずだ。