1998年11月27日 於:武蔵野公会堂合同会議室
●出演者
岸本吉弘(画家)
高木修(彫刻家)
谷川渥(美学・国学院大学教授)
●司会
藤枝晃雄(美術批評・武蔵野美術大学教授)
[藤枝]…今日の話題は<現代美術の情況と方位>です。最初は<現代美術を語る>というタイトルにしようかと思ったのですが、少し堅苦しくしました。
現在の芸術の情況を申しあげますと、ポストモダンと言われるものが日本ではちょっと遅れて1980年代の中頃から出てまいりましたが、この流れと言うか、メンタリティというものがいまだに続いておりまして、これはいかにわが国においては芸術が現実と遊離したものであるかということですね。生活とか現実と関係なく、そういうメンタリティがずっと続いているという情況です。それが混乱を引き起こしているのですが、その中にいる人たちはあまりそんなことも感じなくなっているようです。
ちょっと違った喩えで言いますと、イギリスにヴィクトリア朝時代というのがあります。バブルのときに日本で、文学をはじめ、美術も建築もそうですが、これに対して関心を持っていろいろ発表したのですが、ヴィクトリア朝というのはまさにイギリスの植民地主義が栄え、バブルを引き起こした時代であって、この論調が日本の人たちに80年代に受け入れられるようになり、その残滓と心性がなおも残っているのが現状です。
また<ジェンダー>、<階級>、<人種>と、この三つのテーマが世相として流行っておりますが、これらについての作家・作品は日本でほとんどありません。沖縄を利用する作家(?)や評論家がいますが、少しも社会・政治ではないのにそれにすりかえる者たちがいて、かつての左翼小児病を思い出させます。
人種の問題としては「アフリカ展」や、「日韓展」などが開催されました。これは西洋が駄目ならアフリカ、あるいは韓国、つまりアジアに行こうというような、たとえば、ヴィクトリア朝からアイルランドへというようなものです。これらの展覧会も西洋が関心を持ち、かつ西洋に近づいていくアフリカ、韓国の人たちの展覧が主で、これはある英米文学者が言うように脱植民地主義による植民地主義化です。
僕ばかり喋っても仕方ないので、つぎに作家の方にお願いしましょう。まず、高木さん、いかがですか。
[高木]…高木です。何を話していいかとまどっているのですが、いつ頃から作品を発表して今に至っているかというのを少し述べさせていただきます。
72年ぐらいに初めて作品を発表したのですが、その頃は<もの派>というのが流行っていまして、やはり何かと影響される部分がありました。ただ、そのときにいつも、<もの派>はあまり空間性を感じさせないというのが凄く自分の中にありましたので、<もの派>とは別の方法論をつねに考えていたという感じでした。
<もの派>というのは、僕は「関係の第一次性」と言っているのですが、<関係性>とか<意味づけ>に終始してしまうわけです。ですから、ものとものとの関係性のみにいくことによって、あまり空間を感じさせない。
僕は『精神としての身体』などの著者である哲学者の市川浩先生と−−身体諭がご専門なんですが−−勉強会みたいなものを8年ぐらいやっていて、一種の現象学的なところから空間性とか身体性の問題を考えてきました。そこで市川さんが「高木さんの作品というのは空間の特異性と極性化をめざしている」というふうに言われまして、自分自身も自分の作品のタイトルを「特異な空閲へ」というふうにつけたりしてやってきたわけです。
今はヒノ・ギャラリーなどで発表しているわけですが、日本の現代美術というのは6月のようなじめじめした美術、僕から言うと何かウェットな美術で、どうも自分自身なじめない。自分も作っているわけですが、そこら辺がもうひとつ現代美術に対しても自分自身にも批判的なのです。つい最近、「アート/生態系」というタイトルの美術展がありましたが、あれなんかもやはりじめじめした感じですね。何かそういうウェットな美術ではなく、ドライというかクールというか、そういう感じのアートが日本にはないのかなと思います。
もう一方では、日本には「抽象」というのがあったのだろうか、ということです。そして「抽象」というのはどういう動きで、どういう作家がいたかと言われると具体的にきちんと話せないというところがあって、今、もう一度、「抽象」というのを考えてみようかなというところですね。
もうひとつは、日本の現代美術は藤枝先生が言われるように「容易な美術」であるということ。「容易な美術」というのは簡単にできてしまう美術ですね。僕なんかいつも批判的に<味つけの美術>と言っているわけですね。何でも味つけてしまうという感じ。味つけなしに強く表現できないかなということをつねに考えているしだいです。
[藤枝]…どうもありがとうございました。では、岸本さん。
[岸本]…画家の岸本です。僕自身はこういった席で、自分の作品について話すという機会は実は今日が初めてです。自分の作品についてどんな言葉を使えばいいか、どう言い表わせばいいか、何か話してしまうと、場合によってはかなり嘘臭くなってしまって、言葉自体が僕の作品を裏切ってしまうのではなかろうかというような危惧もありますが、自分なりに話させていただきます。
つい先日、ギャラリーαMのほうで個展をやらせていただきました。僕は大学を出て、まだそんな時間が経っていないのですが、大学院を出て、油絵学科研究室の助手をやってというようなかたちで現在に至っています。僕が学生時代過ごしたのは80年代終わりぐらいで、映像とか、インスタレーションのようなものが全盛期で、絵をやっている人というのはなかなか見当たらなかったんです。僕も学生時代は絵だけにこだわらず、たとえば、立体ですとか、いろいろ実験を重ねていくうちに、やはり絵画をやりたい、最終的には絵画表現というものに自分は取り組まなければならないなというような考えに至りました。そこまでいくにはいろいろな影響があったわけなのですが、結果的には大学4年生ぐらいから絵を、本格的に油彩とキャンヴァスで始めたというわけです。
その後、絵画表現の範囲内で制作を続け、現在も、またこれからも続けていこうとは決意しているのですが、現在においては絵画自体、媒体として非常に弱いとか言われています。そう言われる裏にはいろいろな条件があるのでしょうけど、また逆に考えると絵画こそが、自分にとって一番緊張感が持て、一番冒険ができる、また一番困難な媒体としての表現のやりがいというのを感じて、その重圧感のようなものが、現在の私を制作に向かわせています。
[藤枝]…制作の方たちからのお話でしたが、では、最後に理論の方の谷川さんに。
[谷川]…美学をやっていると言うと、美学って何ですかとすぐ訊かれるのですが、僕自身も美学とは何かということに簡単に答えられなくて、むしろその答えを求めながらやっていること自体が美学であるというほかはありません。ですから、<現代芸術の情況と方位>というこのシンポジウムについても、どの視点から話していいのか確信がありません。
さきほどの藤枝さんのお話の中にあったのは、今の美術の動きのひとつの特徴ですね。つまりたとえば、大英帝国が中心だったのが今度はアイルランドであるとか、ヨーロッパ、アメリカだったのが今度はアジアであるとか、韓国だとか、そういうようなことを言う。要するに、脱中心主義的なことが美術の新しい動きであるかのような、そういう動きがひとつあるわけですね。
もうひとつ、芸術について語るときに、なかなか逃れがたい考え方というのは、一種の進化論だと思うのです。これは古くてこっちは新しいと。これを乗り越えて今度はまたこういうのが出てきたという、そういう進化論的な時間性の言葉と、中心と周縁というような、中心を逃れて別の新しい空間を求めるというような、いわば横への逸脱というか、そういうものが交錯しているところに現代美術の位置があると思うのです。
それで今、どういうことを考えているのかということをひとつお話しますと、日本人の少なくとも近代以降の発想の根源というのはつねに自分をひとつの極において他方にヨーロッパとか、アメリカとか、そういう極を想定して、その関係性の中で動いてきたと思うのです。それは少なくとも明治以降、まったく変わっていない図式だと思います。
このところ僕は「日本人離れの美学」という発想にこだわっています。<日本人離れ>って変な言葉でしょう。日本人離れってわりといい意味で使うのですね。たとえば、日本人離れした顔をしているとか、日本人離れしたスタイルをしているとか、プロポーションが日本人離れしているとか、具体的には体格だとか容貌に関して使う場合が多いのですけど、日本人離れしたスケールであるとか、そういうふうにちょっと抽象的に使う場合もあります。つまり日本人という集団性を一方に置いて、そこから逸脱している人は凄いっていう、そういうある種のコンプレックスを含んだ、つまり<他者性>を内在化した言葉ですよね。日本人でありながらちょっとふつうの日本人とは違う。そういういわば<私>と<彼>と言うか、<他者>との差を、自分たちの集同の中に内在化させると日本人離れという概念が出てくるわけで、日本の美術というのはそれで動いてきたのではないかという気がしているんです。
よく日本の芸術については、欧米の芸術の影響下にあるとか、まねをしているとか言われますが、模倣とか影響という言葉で語るのは必ずしも適切ではないという気がします。日本人というのは昔から<他者性>を内在化させて自己を規定して、一方に日本人離れの既成概念があるとしたら、他方では<日本人そのまま>というのがあるわけです。森鷗外が「歴史離れと歴史そのまま」という二元論を使っているのですが、それを借用したものです。高村光太郎がヨーロッパから帰ってきたときに、「根付けの国」という有名な詩をいています。日本人があまり醜いのでびっくりして、モモンガのような、ダボハゼのような、メダカのようなって、ずっと日本人の悪口を並べているだけの詩があるんです。それが<日本人そのまま>です。ところがそういうことを書いている高村光太郎は、自分自身を<日本人離れ>の位置に置いているわけです。つねに日本人というのは日本人は駄目だという意味で、自分が日本人でありながら日本人離れの位置に置いてものを語るし、ものを創ってきたなと思うのです。これは何か日本人の宿命のようなところがある気がします。それと現代美術が具体的にどういうふうに関わるのか、簡単には言えませんけれども、何となくそういう気がしています。だから、少なくともそういう視点から明治以降の日本の美術史に対して、とりわけ戦後は圧倒的にアメリカの存在が大きかったわけですが、ひとつの問題提起としてそういうことを考えていると最初にお話ししておきます。
[藤枝]…どうもありがとうございました。これまでの話で共通しているもののひとつはまさに谷川さんがおっしゃったように進化論的なものが、これはよく批判の対象になりますが、またぞろ現われてきたということです。高木さんが作家として出発しようとしたときには<もの派>全盛だったわけですね。その後、ヨーロッパから絵画が入ってきまして、シュポール/シュルファスというフランスの絵画で、クロード・ヴィアラという人などが代表です。それが、不幸なことに、この取るに足りない絵画に触発されて絵を描き出し理屈を言う連中が多数いたのです。
岸本さんの場合はその後に出てきた世代であって、ある意味では幸せな世代といえますね。高木修さんは絵が流行ってきたからといって絵を描くようなことはしませんでしたが、多くの作家が、私はもともと絵を描いていた、と言ってまた絵を描き始めるということが行なわれたわけですね。そうした80年代の作家というのはもうほとんど残っておりません。花だとか動物を描く人たちが出てきましたが、こんなのはなくてよかったわけですね。ちょうどドイツやイタリアやアメリカのこの時期の絵画がなくてよかったようなことと同じで。
最近、絵がまたしても海外の影響からダウンしてきて、インスタレーションが流行って、さらにメディアのようなものがあって、コンセブチュアル・アートの亜流があるのですが、写真で自分のパフォーマンスをやっているような、何かを演じている写真を展示する人が現われてきている。この辺はまったく変わっていないということです。
谷川さんの言われた日本人離れについてですが、鏡を忘れた日本人というか、ニューヨークにずっと住んでいるある作家など、日本に帰ってきますと、自分がボクサーのような顔をしているくせに、日本人の顔が醜いと言ったりして、実に滑稽です。
高木さん、どうでしょうか。そういうような情況があるということですが。
[高木]…<日本人離れ>と言うときに、僕が考えるのはやはり、日本人には小さいときからデカルト的な「コギト」がなかったのではないかということです。「我思う、ゆえに我在り」なんていうことは、フランス人なんかは皆ある程度知っているわけだけど、日本人はそんなこと気にしない。
もうひとつ、僕なんかでも子どもの頃そうだったんですが、空間の仕切りが襖とか障子なんですね。自分の個室というものを持てなかった。ですから、そこで小さいときから自分という自我に直面することが凄く希薄だったのではないかという気がしますね。
さきほど谷川さんがおっしゃったような<他者性>の問題ですね。ランボーのような「私は他者である」というような意識もまた欠落していたのではないかと。日本人離れというのは、逆にそういう自我意識を持った人とか、「自己とは何か」と早めに意識している人ではないかと自分なりに今、谷川さんのお話を聞いたときに思ったんです。
[谷川]…そうですね。
突然話が跳ぶようですが、現代美術の日本の作家を選ぶ、要するにキュレーターというか、組織者がいるわけですね。美術展の審査員というのももうほとんどいつも同じ人でしょう。一方で日本画の大家なんかが君臨している。そういう情況の中に現代作家がいるわけです。その情況の悪さというのはどうしようもなくて、われわれがこういうところでいくら言っても全然変わらないし、一般的に名の通った大家を批判するのは非常に勇気がいるんですね、美術の研究者の間では。
ハーバート・リードも指摘していることですが、西洋的に壁にかける絵を持っている東洋人というのは日本と韓国と中国だけなんですね。東南アジアにはもともとないわけです、タブローなんていうのは。全部西洋の影響で創っているわけです。そういうものを描いているのは、ヨーロッパやアメリカへの留学生であって、金持ちのおぼっちゃんなんですね。そんなものがアジアの美術だというふうなかたちで日本で展覧会をやったりしている。そういう情況の悪さもあると思うのです。
[藤枝]…70年代、ちょうど高木さんの出発の時期には、記号学やネオ・マルクス主義と、それとフェミニズムが表現の対象になったけど、前二者は捨てられて、フェミニズムだけが、とくに美術の世界では<ジェンダー>が強調されてきた。これは谷川さんも批判を書かれていて、ジェンダー、ジェンダーと言って強調されると、むしろ男のほうが出てきてしまう。結局、ぬるま湯につかったような状態で、社会的な抵抗などと無関係にジェンダー、フェミニズムというものが浮かび上がってきて、これは非常に囲ったことです。これは前衛の手法が形式化、形骸化して、だいたいポップアート以降に拡がっていった行方と非常に似ております。
とくにアメリカ美術について言えば,確かに抽象表現主義までは優れた芸術を創りましたが、それ以後のものはほとんどが認識論的な芸術であって、そういうものの影響を受ける必要はわれわれにはないわけです。
あたりまえの質問ですが、岸本さんは最初からずっと絵ですね。
[岸本]…発表を始めてからは絵です。
[藤枝]…何かほかのことをやろうとか、インスタレーションをやろうとか、そういう気持ちは起きなかったですか。
[岸本]…インスタレーションですか?
[藤枝]…ほとんどの人がそういう誘惑に負けていろいろなことをやっているうちに訳が分からなくなってしまったというのが日本の現代美術の情況があり、先に言ったように現在もそうなのですが。
[岸本]…インスタレーションというお話なのですが、やはり本音を言いますと、かなり手軽にできてしまうというような、かと言って絵がそれだけ困難なのかと言われるとまたそうでないものもあったり、僕個人のスタンスみたいなものがあるのですが、あまり興味はなかったですね。コンセプチュアルっぽいものには学生時代、関心を抱いた時期もあったのですが。
[谷川]…インスタレーションというのはもともと壁にかけるとか、彫刻を置くという、そういう意味でしかなかったものが、それ自体が作品のひとつのやり方を指すような独立した言葉になっていった経緯があって、安易な芸術の逃げ場になっちゃっているわけですよね。
話は変わりますが、一昨年だったかな、ちょうど12月頃に高野山で泊まりがけのシンポジウムがありました。そこで僕はまた<日本人離れ>だとかの話をして、谷崎潤一郎を引き合いに出しました。谷崎は『陰翳礼讃』という日本文化論を書いていて、日本は<陰>というものを非常に大事にしてきたと言っています。それはなぜか。結局、女性の肌の白さを際立たせるためだと言っているわけです。あまり明るくすると汚さが目立つので暗い中に女性がいると白く美しく見えると。日本文化の肌理というのは全部そこから来ているというのですね。お豆腐であるとか、いろいろな具体的なものがたくさん出てくるわけです。
これ、僕は典型的な日本人離れの議論だと思うんですよ。つまり西洋人の女性の肌の白さと日本人の女性の肌の白きを比べると西洋人にかなうわけがない。しかし、日本人の男は西洋人の女性は選ばないわけです。たとえば、『痴人の愛』の主人公、「日本人離れした」女性ナオミを男は選ぶ。日本の文化というのはつねにそういうかたちで、いわゆる日本人そのままではないのを選ぶ。そういうかたちできたのではないか。これは別に男女の問題だけではなくて、日本文化論そのものがそういう構造を持っていると思うんですね。つまり日本文化そのものなんていうのはもともとないわけです。つねに他者との関係の中で自分自身が、いわば日本人から少し超越する観点に立って日本文化がこうだというふうにして、日本人そのものをあとから規定しようとする。そういう話を高野山でしたんです。
そうしたら参加していたオーストラリア人が、肌が白いとかいう、白人と日本人を比較したりする議論はけしからんなんてことを言い始めたんですね。けしからんと言ってもそれは谷崎がやっているわけです。そのオーストラリア人が言うには、そこにアジア人の第三者の視点が入っていないのではないかと。韓国とか中国とか。日本と西洋という、そういう二元論でものを語るのはいい加減にやめろと言うわけです。韓国や中国が西洋に対してどう思おうとそれは彼らの勝手であって、われわれがどう思っているかということが問題なんですね。だから、それは谷崎を引き合いに出しながら僕が喋ったのですが、そうするとそのあと、聞きに来ている方からいろいろな質問があって、フェミニズムだとかジェンダーだとか、そういう議論になっていったわけです。僕はそういう議論そのものが、大局的に見ると西洋の戦略の中に取り込まれているというふうに思います。そういうことを言う必要はないわけで、われわれはわれわれの視点から自分の思ったとおりに語ればいい。今、フェミニズムが流行っているからフェミニズムについて喋らなければいけないということはない。
ジェンダーとは何のことだかわからない方もいらっしゃると思いますが、セックスとジェンダーというのはちょっと違うんですね。セックスというのは生物学的な性差のことで、つまり男か女かとか、そういうことです。ジェンダーというのはある文化の中にある男性性、女性性、男らしさだとか、女らしさということで、そういう視点を絵の中にも求めていこうという動向ですね。つまり男が女をみて絵を描いてきたということは確かで、ここにはだから男のこういう欲望が隠されているとか、女のこういう立場がこの絵の中に出ているとか、そういうことを暴きだしていくのが今のフェミニズム的美術論なのですが、それはやりたい人がやればいい。でもそれをやって何が起きるかというと、男と女のジェンダー差の意識が非常に先鋭になるわけです。ジェンダーという問題に敏感になっていく。敏感になったあとどうなるかと言うと、絵が描けなくなる。でもまだ日本は絵が描けなくなる段階に来てないわけですよ。西洋の議論そのまま受け入れて紹介したりしている段階ですから。具体的に人物を描く歴史が日本にはなかったからあまり関係ないと言えば関係ないのですけどね。
[藤枝]…日本人は自ずとアイデンティティが出てくればいいのです。けれども日本人は、自意識過剰なところがあって、だからといって素晴らしい技術を創ろうという理念があるかと言えば、そんなものは何もないわけですね。
さきほど谷川さんがおっしゃいましたように通俗きわまりない審査員だとか、そういう連中がいて、そういう人たちに皆、なびくというのはエリート主義と権力志向の表われです。これと関連してこれまた反吐の出るようなことですが、本当に単に金によって芸術が左右される、というところがありすぎます。
それとですね、僕は、美術史家は美術の資料ではなく表現を語らない、いや語れないために「美術なき美術史」といつも言っていて、美術史は歴史家とか社会学者がやったほうがいいと思っています。私のまわりの美術史家もそういう人がほとんどでありまして、美術の話なんかできないわけですね。何を語っているかというと、ワインと旅行の話ぐらいで、観光美術史程度なわけです。その中で出てきた問題意識の矮小化のひとつが、<ジェンダー>でこれが教条的なイデオロギー中心になってしまうという情況があるわけです。
高木さんはいかがですか。
[高木]…昨年、ニューヨークでホイットニー美術館のビエンナーレを見てきたのですが、肉体や器官を扱った作品が凄く多かったのですね。これはいったい何なのかなと思ったわけです。結局、肉体を扱った作品というのはロジックではわり切れないもの、そういうものにアーティストたちが目を向けている結果かな。その辺、谷川さんに、ちょっとお聞きしたいですね。
[谷川]…確かに肉体回帰みたいなものがありますね。人体がモデルでなくなったということが一番大きいです。それは今世紀初めにオルテガ・イ・ガセットも『芸術の非人間化』という論文で言っていることですが、絵画の中から人間が消えていき、彫刻家が人体をモデルにしなくなりましたから。つまりマッスの彫刻がなくなって、彫刻が解体し始めました。
ところがこのところ、確かに具象的な人体を描く人が多いし、自分自身の肉体を使ったパフォーマンスみたいなものもあるし、いろいろなかたちで肉体の復権みたいなものが起きていると思うのです。格闘技ブームなんかともちょっと関係があるかもしれない。結局、イデオロギーをあまり信じられなくなったと言うのかな思想とかイデオロギーとか観念とか。最後に残るのが肉体だという、いい意味でも悪い意味でもそういう現象が出てきていて、肉体を使うと何となくおもしろいですし、目を惹くから、それこそ藤枝さん流の「安易な芸術」という言い方と結びつきやすい危険性は非常に持っている。では肉体を放棄すればいいかと言うとそうでもないような気がします。僕はやはり芸術というのは何らかのかたちで肉体との関係が基本にないと意味がないと思います。
それは高木さんのようなある意味で抽象的な彫刻というか、立体作品を創っている方も、身体と言うともう少し幅を持ってしまうかもしれないけど、そういう意識でやってきたわけですね。
[藤枝]…高木さんにも肉体を使った作品は一時ちょっとありましたね。
[谷川]…川に横たわっているのがありますよね。昔の写真をみていたら高木さんが川に横たわっていたのでちょっとびっくりした。
[高木]…やはり身体性というかメルロ=ポンティの影響があるかなという感じですね。ポンティは『眼の精神』の中で「精神が絵を描くなどということは、考えてみようもないことだ」と言っているのですが、まさにそのとおりですよね。
[藤枝]…だけど、<もの派>の連中の誤りというのは、ものをちょっと動かし組み合わせますね。それをメルロ=ポンティ風の身体論だと思って大きな誤りを犯したのです。
ただ、芸術があるところまでいくと必ず<体>が出てくるというのは、これは西洋美術のひとつの特性のようにも思われる。善い悪いは別として。だから、日本の場合はなかなか自己を開示するというか、露呈するということをしませんので、日本でパフォーマンスが流行ったときも体そのものではなくて、物を処理することをもってパフォーマンスと称していたわけですね。
[谷川]…さきほど言った谷崎がそういう問題を書いてるんですよね。要するに、西洋の肉体観というのは極端に言えば<トルソ>なんですよ。枝葉末節である手足とか首みたいなものは取れててもいい。どんとした大きな胴体があればいいというのが西洋の彫刻の一番の基本でしょう。
日本人は姿、手足だとか首の所作を捉えるのが大事だという考え方があって、『北斎漫画』に描かれた人間の姿というのはまさに日本の才能がそのまま純粋に結晶したものです。では、胴体をどんと出すかというと、できなかった。一度もできなかった。
だから、そういう長い歴史の上に近代というものが出てきたので肉体から離れ始めた西洋芸術と、もともと肉体とは無縁の日本の芸術が、何となくうまく接合したところがあって、日本人の誰でも、西洋人と同じように絵が描けるとか、彫刻が創れるというような感じできたと思います。でも基本が違う。肉体の問題がやはりあるでしょう。
今、西洋の芸術が何となく肉体回帰みたいな現象を持ち始めているけど、では日本人がいったい何をやるか。また同じようなことをやるのが出てくるかもしれませんが、せいぜい森村泰昌みたいに絵の中に自分の体を紛れ込ませたりとか、ああいうことぐらいじゃないでしょうか。この辺りがひとつのターニング・ポイントになりそうな気がしていますが。
[高木]…藤枝さんがよく言われる「図式的・解説的」という感じはもう彼にぴったりなんですね。ですが、森村さんの作品というのはその意味で告知的でメッセージがストレートに伝わる。メッセージがストレートに伝わるというのは図式的で、逆におもしろくないんじゃないか。
[藤枝]…岸本さんはどうですか。
[岸本]…あの方の場合、引用というよりもほとんどパロディというような感じがあります。やはりああいう作品を受け入れてしまうような情況がありますから。僕にはそこがちょっとわからない。
[藤枝]…あれは外国人がちょっと認めたので日本でも取りあげて、それで展覧会をやる。外側からの力を借りて、自分たちが良い作家を一人も発見せず、しない学芸員が、それで大きな展覧会をやっている美術館がほとんどです。だから、ぜひ言っておきたいのは、画家と画商がちやほやして、まともな仕事などほとんどしたことのない学芸員連中が、自分自身が偉いのではないかと錯覚を覚えたというのが80年代以来のことです。今や、金がなくなってきたので、好き勝手ができなくなって、それは大変良いことだと思います。
西洋でも芸術のわかる学芸員などというのはたいしていないわけですね。1人か2人ぐらいしかいないので、外国人がいいと言ってもわからないでいいと言っている連中、既成概念に寄っている連中ばかりですが。日本はいまだに外国に弱いですから、外人がいいと言えばいいということになってしまいます。
ところで何かこれまでの話についてで会場の方から質問なり、ご意見があったらおっしゃってください。
[会場1]…さきほど、高木さんが日本には<自我>というものが希薄だというようなことをおっしゃいました。今日はあまり出てこなかった言葉ですが、<作家>とか<作品>、という言葉に最近いろいろ疑問があるんです。<作家>というのは私としては近代的な自我という概念を反映した近代になって成立したものだと思っていまして、日本で作家が創る作品ということが言われるようになったのも、近代的な自我というものが輸入されてからのことではないかと考えています。ご自身が作家であるとおっしゃる方の立場、態度は否定するわけではないのですが、私自身は作家とか作品という概念はもうちょっと違うのではないかなと。モダニズムの尾を引きずっていると思うんですね。それぞれの立場でそういったことに対してちょっとお答えいただければと思います。
[高木]…たとえば、ポストモダンとか何かがよく言われますよね。単にモダニズムの延長上にポストモダンがあるにすぎないと僕は思っているのです。モダニズムが消えたとか消えないとか、そういう意味ではないと思っているのですけれども。
[藤枝]…そのモダニズムの中に<自我>、<作家>、<作品>という概念が含まれているということですね。
[高木]…そうですね。
[藤枝]…今のご質問の方は、作品の代わりにたとえば<テクスト>とか、そういうものを考えるということですか。
[会場1]…表現の主体としての<作家>という、自己表現の主体としての作家ですね。自己表現の結果としての<作品>というのは、近代的な自我に基づくものではないかという意味での<作家>なり<作品>という概念だと思うんです。
[藤枝]…たとえば、作品とか作家という言葉を使わないで何かを表現する。<表現>もまたそれに近いのですが、そういうことですか。
[会場1]…言葉というのを強調したのがまずかったのですが、それに象徴される態度ですね。自分が表現の主体であるという。作家本人が表現の起点であるというような態度は、少なくとも日本では近代になってから芽生えたものなのではないかと。
[藤枝]…それはそうだと思います。でも今はもうそれに対して否定的であると言われるわけですか?
[会場1]…私自身は疑問があるのですが、そういった態度で制作をなさる方を決して否定するわけではないですし、それはもちろん尊重するわけで、その点に対してとくに作家の方が、ご自身はどういった態度で制作なさっているか伺いたいんです。
[藤枝]…岸本さん、どうですか。作家としての主体性。自我というのは誰でもあると思いますが、近代的自我ということで何か。
[岸本]…質問の内容は作家と作品、そういう呼称に対してそれは近代以降のものであるから、疑問があるということなのでしょうか。人間がいて、表現したいという欲求があって結果的に作品ができる。作家と作品。何も不自然なところはないような気がするのですが。
[会場2]…岸本さんに伺いたいんだけれど、やはり絵じゃなければだめなのだなと思ったとか、あるいは絵であるべきだろうというふうなお話があったのですが、その理由が何なのかはまだ語っていただいていないので、ちょうどまた今、絵画ブームなんていうことも言われていますので、その辺りのところを伺えたらいいかなと思います。
[藤枝]…絵画ブームじゃなくなっちゃったのですよ。だから、そうじゃないものを今、絵画をやっていた人がやり始めたわけです。
[会場2]…だから、いわゆる本当の絵画かそうじゃないかということはとりあえず置いておいて、ただ、そこで岸本さんがなぜ絵画をやりたいかということ。それを知りたいですね。
[岸本]…もちろん絵画ブーム云々の情況と、僕個人の表現欲求は、とくに関係はないです。これはかなりの個人的な展開としか言いようがないのですが、やはり平面というある種の規制された中で、単純に色彩と形態、もしくはそれから派生してくる、湧き出てくるような空間性と言いますか、そういったものをとにかく自分の中から出したい欲求が徐々に強くなってきたということでしょうか。それがつまり絵画をやりたいということです。
[会場2]…何となくわかるのです、作家の言葉としては。たとえば、平面というのはもの凄く規制があって、「僕にとってはおもしろい」と言われれば、ああそうかなとか、あるいは「僕にとってはやりやすい」と言われれば、ああそうかなという感じになっちゃうのですが。つまりそういうふうなこととして解釈しちゃっていいのかどうか。何か変なことを突きつけているような気がして申し訳ないんだけど。
[藤枝]…あんまり考えないで仕事を始めるでしょう。子どものときから絵を描いていて。
[岸本]…そう言われてみればもちろんそうです。
[藤枝]…こういう訳だから絵を描くとか、彫刻をするとか、あんまり理由づけしない。
[岸本]…僕はないですね。
[藤枝]…作家というのはそういうものでしょう。理屈なんか言わずに何かをやってみて、どれが合っているかなというふうに思って、能力がもうだめだと思ったらやめてしまいますしね。
[岸本]…演繹的に何かこういうふうにしようとかいうふうにして入っていくわけではありませんので。
[藤枝]…理屈をつけて絵を描いたり、彫刻を創ったりしないと思います。理屈をこねる者にはろくなものはいません。70年代がそういう時代だったんですね。その典型がロバート・モリスであり、ロバート・スミツソンです。谷川さん、<作家>、<作品>という概念について少し意見を、お願いします。
[谷川]…日本語で言う<作家>と<作者>を分けろと言ったのは、ロラン・バルトなんですね。つまり、描く主体が作者であり、生身のいろいろなエピソードを纏った、現実に生きている人間が作家であると。
僕は造形芸術の場合と、たとえば小説の場合とではちょっと違うような気がするのです。つまり美術は作家があまり問題にならない領域だと思うのですよ。小説の場合だと作家と作者の区別がちょっと曖昧になってきますね。例をあげれば、三島由紀夫のホモの相手の福島次郎という人がこの間、本を書いて三島由紀夫と現実的にこうだった、ああだったと、やはり三島はホモだったのだということで10万部、売れたわけですが、あれは作家を問題にしている。しかし、僕は三島の小説を読むときに、三島がホモだろうがホモでなかろうが、福島次郎と関係があろうがなかろうが、別にそういうことは読むうえでかまわない。つまり、作品が理念的に指し示しているところの作り手が作者であって、あくまでも作者を問題にすべきだと思うのです。
ですから、さきほどの質問された方がそういう意味で言っているのだったら、作者と作家を区別するというロラン・バルト的な言い方なら、僕も実は賛成なのです。さきほどの方が言われているのは、たとえば、「近代の表現主体として」という言い方がありましたよね。芸術が表現であるというのはこれはひとつのイデオロギーなのですよ。芸術は表現じゃないかもしれないわけです。芸術は表現だと思って、つまり表現というのは自分の中身を出して自分の思っていることを外化するという考え方ですよね。だから、ろくでもない作品が正当化されてしまうことにもなるわけで、そういう意味では表現という言葉は、少し反省するというかな、ちょっとやはり考え直す必要があるということはそのとおりだと思います。でも表現主体という問題と、高木さんが彫刻家で岸本さんが画家であるという、そういう自己紹介の仕方に抵抗があったということと少し話が違うのではないかという気がします。彫刻家は要するに彫刻を創っている人が彫刻家で、絵を描いている人が画家であって、今、お前は描いてないじゃないかと。何年間もやっていないじゃないかと言うのとはちょっと違うという感じがしますね。いろいろな意味のレヴェルがありますから、確かに重要な質問だったと思います。
[藤枝]…表現という言葉は、外国であまり使わないのですね。日本だと何か表わすことをすぐ表現と言ってしまいますが、それでもやはり自己表現というのは今ではほとんど使われない言葉になっていると思いますね。<近代的自我>となりますと、これはもう何度も言い古されたことで、口にするのも恥ずかしいくらいですが、これだって本当はもっと吟味してやったほうがいいのですが。
[会場1]…私は、巷間で見られる作品が多くの場合、自己表現であるという意味で自己表現と申しあげたわけです。
[藤枝]…そうでしょうか。普通、巷間で見られるものには、そういうものさえもないような気がするのですけれど。観念的な何かが自己とすれば、観念的自己表現というものは多いですが。
[会場1]…近代的自我というものも話のとっかかりとして、高木さんがおっしゃったことを受けて申しあげたのです。作家と作者の区別という意味ではなくて、私が作家と言うのは、自分が表現の主体であるという態度を持つ人をさして作家と言ったのです。
[藤枝]…主体は否定され得ないですね。ですから、創る人の主体。表現主体は厳としてあるべきです。現われ方が変容したのです。
高木さん、どうですか。その点について。ちょっとさっきモダニズムの話も出ましたが。あまりモダニズム、モダニズムと言うのも飽き飽きですね。
[高木]…さきほど谷川さんがバルトの話をされましたが、僕なんかも、ものを創りながら、なおかつものが非人称的な空間を出せないかと。いわば作者が作品に顔を出さない。そういうようなところを僕なんか、ある面で自分の仕事に求めているわけです。
[会場1]…最終的には顔を出さないという意味での表現になるのでしょうか。
[高木]…つまり作り手が創っているのは確かなのですが、作り手そのものの顔が見えないようなものにするということですね。ですから、先にそういうものが非人称的な「作者の不在」的なものをめざすということなのです。
[藤枝]…要するに、作者がそこに現われてきているというようなものは嫌だと。ポストモダンの一部の作品はそういうことを故意にやったりしますが、そういうものではないということです。メタ・フィクション、メタ・アートなどというのは、だいたいそういうものが多いのですが、そういう作品は高木さんは創りたくないということですね。
[会場3]…作家と作品が別々に一人歩きするということについて時々考えちゃうんですが、というのは私は大学を出てから精神障害者がリハビリ的に絵を描く講師をしたりして、そうすると、私も絵を描いていますが、たまにびっくりするような凄くいい作品を障害者の人が描いたりするんですね。私たち健常者がうまく見せようとする嫌らしい部分がないということで、そういう表現ができるのだと思うのです。そういう作品と出遭うとちょっと考えちゃうことが多いのです。どう見たらいいのかなと。彼らは芸術を意識して描くわけではないですが、いくら、絵が凄くいいからと言って、その絵だけを芸術として高く評価できないというか、どういう見方をしたらいいのか。よくアウトサイダー展みたいなことが行なわれたりするときにもとまどいがあるんです。
[藤枝]…谷川さん、いかがでしょうか。そういうのは。
[谷川]…本当に重要な質問だと思います。前に僕はちょっとムンクについて『BT』に書いたことがあるのですけど、ムンクの「叫び」に代表されるようなああいう作品は表現主義の先駆だと言われるわけです。ムンクの内面的な苦悩だとか、不安だとか、絶望だとか、そういうものがよく出ているというのですが、実はムンクの生涯をよく調べてみると、確かに彼はアル中で精神病院みたいなところに入院したことも2~3回あるのだけれども、「叫び」に代表されるようないわゆる一番ムンクらしい気持ちの悪そうな絵を描いている時期が実は一番健康なときなんですよ。本当に衰弱しているときには画面が空疎な構成になっていて、一目見ただけではあまり異常性を感じないような絵になるのですね。
僕も障害者というのかな、精神異常者というか、そういう絵を見て非常に感動することがあります。そういうものを見たときに、では現代美術だとか言って大げさに描いている連中とそういう人たちが描いた絵とどちらが重たいかとか、どちらがいいかという問いの前に立たされると一概には答えられないのですよね、確かに。
現代美術というものもそうだと思うのです。つまり現代美術というと、ここに集まっている方、皆、そうですが、こういう活動だけではなくていろいろなレヴェルがあるわけですよ。海外でたまたま小さな画廊に顔を出すと、いいなと感じるまったく有名じゃない作家たちの作品が掛っているわけです。そうするとその国は凄いなという気になるわけです。
アウトサイダー展のことで言うと、ちょっと話がずれますが、日本の絵は大抵知恵遅れというかたちで括られちゃっているんですよね。知恵遅れの人たちがあなたのような、そういう指導者みたいな人がいるときにいっしょに描いた絵を出しているという感じがあって、外国から来た絵はいわゆる精神分裂病の患者の絵。それをアウトサイダーとしてまとめてやる日本の展覧会のあり方に僕はちょっと疑問を持っています。けれどもそういう知的障害者の絵を見ていいなと思うときもあります。それが正直なところです。
[藤枝]…あなたが今、関わられているのは知的障害の方々ですか。
[会場3]…精神分裂病の方がほとんどで、分裂病の患者さんが多いのと、あとは躁鬱、現代病としてボーダーラインのような方ですね。
でも本人たちは芸術として発表したいという意思を持って描いているわけではないんです。それらの作品を私がお蔵にしまってしまったり、処分したりしてしまうときに、どうも釈然としないと言うか−−
[藤枝]…だけど、芸術であろうが何であろうがいいということになれば、いいのです。もちろんそういう病気の人でも視覚能力が非常に高い人はいるはずですから、いい作品はできることは大いにありますよね。
[会場3]…もちろんそうです。
[谷川]…ひとつ言い忘れたのは、精神病患者の作品はおもしろいのですが、すぐ飽きるのです。不思議なことに。長い間、見ていられない。やはり芸術表現として、芸術として見ていられないのですよ。
[会場3]…ええ。そういうところを感じてとまどうというか。絵描きとか、創る側の私たちは外に向かって描いているんですよね。見せたいという。そこの違いがまず彼らは内に向かって描くというか。たとえば、幻聴や幻覚に伴って描かされることもあるし、でも、純粋に内から湧き出るものが描けるというのは、私たちは羨ましいところがあると言えばあります。
[谷川]…エクスプレッションのレヴェルには二つあると思うんです。精神病患者とかそういう人たちのエクスプレッションというのは徴候的エクスプレッションです。つまり、精神分裂病の患者の描く絵は、たとえば、正面性の絵が多いというようなことがよく言われます。人間が真っ直ぐ前を向いてボーッと立っているというような絵ですね。ムンクの絵にそれがよく表われていると言われます。その正面性は精神分裂病を指し示していると。そういうふうに表現を見るときは、それは徴候、症状、シムプトンとしてのエクスプレッションを見ているわけです。芸術としての表現はなくて、精神病患者の幻想はシムプトンとして見ているからおもしろいのであって、それを除いちゃうと飽きちゃうんですね、やはり。だから、そこは決定的な違いではないかなという気がします。
ムンクの「叫び」は一見、狂人の芸術に見えるけど、実は非常な構成力を持って計算されて描かれていますよね。直線の橋とS字型の人体、S字型の雲。非常に計算されています、緻密に。そういうところを見ていまだに皆、心を惹きつけられるわけであって、その違いがやはり決定的にあると思います。
[藤枝]…芸術の価値というのは難しく、重要な問題ですが、その領域からは超一級のものはやはり出てこないということはありますよね。
[会場3]…精神病の方という話に偏っちゃったんですけれど、作品ひとついいものがあったからと言って、それを<作家>と切り離して芸術として認めるということの疑問があります。
[藤枝]…本当によければ僕はいいと思うのですけどね。そういうものはなかなかありませんけれども。
デュシャンの「便器」というのも、観念の産物としてではなく、便器を見たことも使ったこともない人が、あるいはアフリカの誰かが見ると素晴らしいと思うかもしれないですね。しかし、やはり結局は本当に優れたものにはならないというケースだと思います。
[会場4]…谷川さんから進化論的なお話がありました。ダダから数えてもう100年以上が流れていますが、流れのおもしろさという意味では、自分も作家ですからそれを取り入れていこうとか、あるいはその一員たる責任を果たしたいという感情もあるのですが、なかなか流れそのもの、つまり進化の方向性が非常に多様化しているので、画家として現状がつかみにくいという苛立ちを、現代作家は皆、お持ちだろうと思うんです。
ここで申しあげたいのですが、評論家の皆さんの、谷川さんも藤枝さんもいらっしゃって、文章をおもしろくて拝読させていただいているのですが、本や雑誌の中で各評論家の文章を拝読するとそれほど毒がないのですね。ある意味で。画家たちに毒がないのを評論家の皆さんはじれったく思っていらっしゃるのでしょうが、私たち作家の側から見ると評論家の毒がない。毒を持ってドン・キホーテ的な活躍をむしろこれからどんどんなさっていただきたい。たとえば、アメリカなんかでも『ワシントンポスト』がこう書けば、『ニューズウィーク』はこう書くと。もう全然違ったことを論じでもかまわない。日本ではその辺がやや物足りない感じがいつもしています。
それからさきほど谷川さんが言われた進化論的なことを明示するというか、整理していくのが評論家の皆さんが、これからご自分の仕事になさっていく上で負うべき大きな責任ではないかというふうに感じています。作家に対して進化論的な意味でも、あるいは未来論的な意味でもゆっくりと丁寧な、また、ときに非常に鋭い毒のある評論をしていただきたいと思っています。その辺をちょっと突っこんで谷川さん辺りからお言葉をいただきたいんですが。
[谷川]…今、二つの質問があったと思うのですね。評論をやる立場と、進化論的な見方の問題と。あとのほうからお答えしますと、20世紀もあと2年ぐらいで終わりそうになっていて、進化論的な美術史の物語、解説書みたいな西洋美術史がずっとあったわけです。そういうものは読むと大変わかりやすくて、僕も随分勉強させてもらいました。
しかし、それでやっていくと要するに今現在何をやっているのだろうという気になる。作家の方もそうだと思うのですが、文章を書く人間もそれでいいのだろうかという気に僕も最近なり始めています。そういう進化論的な物語ではない美術史−−美術史ということ自体もちょっとおかしいけれども−−を書きたいなと考えているのです、実は。考えているのだけれども、どういうふうにしようか、まだ、決まっていません。つまり言葉を使うわれわれ、藤枝さんのようないわゆる美術批評家、それに美術ジャーナリストも含めて、今言われたような責任は非常にあると思いますね。
また、一般に美術ジャーナリズムに勇気がないというのは、これはもうはっきり言える。権力のある者は批判しない。既成のものしか褒めない。右顧左眄(うこさべん)しているというのは事実だと思うのです。だから、一人ひとり勇気を持ってものを言っていくしかないという気はしています。それでどういうふうに圧迫されても左遷されようとしょうがないわけで、あとはもう個人の責任の問題になるわけです。僕個人としては、先ほども言いましたとおり、20世紀の美術の進化論的な物語ではないようなものを書きたいという希望は持っています。
毒がないと言われると、ああ、そうかなと思うしかないのですが、個人を攻撃するのが毒だということではないと思います。藤枝さんは随分毒があるんじゃないですか。
[藤枝]…いえいえ。どうも批評家らしい批評家はいなくて、今、とくにそれが減りつつある。これは今、谷川さんがおっしゃったようにジャーナリズムの問題が大きく作用しています。要するに注文されて書いてきたわけです、われわれは。そして、注文する側が堕落していますので、批評らしい批評が育つ下地がもうほとんどなくなってしまいました。そうなると、もう毒どころではありません。
批評というものは立場によって価値判断をするのが当然ですし、展評の場合も前回の作品よりよくなったとか、悪くなったなんて書くのが普通です。
ほとんどないです。新聞の美術批評というのはこれは一部を除けば目茶苦茶です。社会面、経済面というのは生活と密着していますから批判するわけですね。文化欄はまったくそれが家庭欄とだいたい同じレヴェルで料理の紹介しているような記事ばっかりです。新製品の紹介と言いますか、その程度です、非常に悪い時期です。
新聞もだいぶおだてられてますね。作者や画廊が新聞に載りたいために。それがまた大きな弊害を巻き起こしている。
[高木]…やはり新聞に載らないですね。僕なんかは。
[藤枝]…一度もないですか。載ったことは。
[高木]…いや、ありますが。
[藤枝]…岸本さん、いかがですか。
[岸本]…僕は一度も新聞に載ったことないので。でもメディアに載る載らないというのは、作品にそのまま影響するわけではありません。
[藤枝]…展覧会評が少なすぎますね。冗慢な文学的な言辞はいいから短評を多く掲載すべきです。最近の新聞に批判性をもった記事もありますが、展覧会の案内がちょっとあるだけですね。しかも、あれも選別されているというのが変な話ですね。
[高木]…『ぴあ』のようなものが出てきたから、まだよくなったんですよ。
[藤枝]…『ぴあ』がない頃は新聞記事の案内が出るだけでも皆、喜んだわけです。
誰かジャーナリズムの関係の方で反論があれば。学芸員の方でも。どうぞ。
[会場5]…ジャーナリズム関連じゃないのですが、質聞させていただきます。
高木さんがさっき、ホイットニーのビエンナーレに行かれて、最近身体表現みたいなものがまた復活してきて、非論理みたいな思考がまた出てきているのではないかとおっしゃいましたが、αMの岸本さんの絵画を私、この度、初めて見せていただいて、もちろんカオス的な絵だとは思いませんでしたけれども、やはり非論理の魅力みたいなものがあるように思えたのですね。パフォーマンスとかと違う意味での非論理だと思います。
それについて、抽象的な質間で申し訳ないのですが、もう少しお話していただければと思うのですけれども。
[高木]…岸本さんの作品についてですか。僕ももう少しゆっくり岸本さんの作品を見ておけばよかったなと今、思っているしだいです。ヴァレリーは芸術作品というのは「いつでも見ているものなのに、それをわれわれは、かつて見たことがなかったと、つねにわれわれに教えてくれる」と言っていますが、ぱっと見て何かもうこれでいいというのではなくて、やはりそこに何か時間の遊びみたいなものが必要なわけで、そういうのはさきほど言ったような図式的・解説的な絵画とは違うわけですね。やはりある面でどこかで見ることの時間が必要とされるというように思えます。ですから、そんなに一度で知覚し得るような作品ではない。そういう論理ではわり切れない部分に魅力もあるのではないかという気がします。
[藤枝]…非論理的なのはあたりまえでしょう。芸術作品だったならば。特別な場合や、ウルトラ・コンセプチュアル・アートを除けば。ですから、それと続けてちょっと言っておきたかったのは、分割と反復と単色というか、そういう作品は本当にやめたほうがいいと。今日、ここに来る途中読んでいたのですが、ある評論家が誰かの作品の解説に「豊饒なモノクローム」という言葉を書いていましたが、作品の善し悪しを別にして「豊饒なモノクローム」なんて、今、そんなものは考えられない。それをちょっとひと言言っておきたいと思います。
[会場6]…さきほどからの美術館の学芸員とかジャーナリズムについて随分批判があるので、ひと言。美術館学芸員をやっています。今までジャーナリズムの批判とか、さきほどから言われることは権威に擦り寄って主体がないというご意見だと思います。
自分がいいと思った絵とか自分がいいと思った作品、いいと思った点というのをちゃんと言葉にして文章にして、また議論を交わせる。たとえば、学芸員であってもジャーナリズムであっても作家であっても、あるいは一般の人であってもいいと思う、あるいはいいと思わないということもあるわけでして、一致するわけがないんですね。それを議論を戦わせてやるということが僕は重要だと思うのです。その場としてジャーナリズムがあり、また、美術館があると思うわけです。
しかし、私が経験してきた範囲では、雑誌社でこの作家を取りあげようとかというミーティングがあるとか、美術館で学芸員同士がこういうものをやろうとミーティングがあって、ディスカッションをやってある方向に流れていくとかというプロセスはほとんどありませんでした。やはり何かしらの権力と言うか、やはりヒエラルキーと言うか、そういうものに左右されて流れていくと。何か強行に意見をしたりすると黙殺される、ないしは仕事が回ってこなくなる。美術館に限った話ではないのでしょうけど、そういう情況があって今日まで来ている。
率直に批判されたりとか、それについて答えられる、そういうプロセス自体がもっと日常的に組織の中で持たれるべきだと思います。やはり組織じゃないと大きなお金は動かないし、大きな活動もできないというのがありますから、そういう中でやっていければいいなと思っていながら、なかなか今、言ったような情況にあってできない現状というのが実情です。
[藤枝]…日本のいいところは喧嘩しても免職になりませんから、そこはいいところなので、もっとどんどん喧嘩はやったほうがいい。そればかりか、インチキな行動をしても問題にされない。そういうような情況を打ち破っていかない限り、美術館にはあまり希望が持てないということです。これを叩くのがジャーナリズムなのです。その使命がほとんどまったく果たされていないというふうに思います。時間があまりありませんのですが、最後にちょっと何かひと言ずつおっしゃってください。
[岸本]…僕は画家として自分の立場、自分の作品以上のことも以下のことも実際言えないのですが、そういういろいろ取り巻く情況はあって当然のことで、それらと何らかのスタンス、関係というのが作家のほうに生じてくるとは思います。しかし、あくまでも主体性というのはやはり自分自身にあって、私、まだ30歳なのですが、あと60年生きるつもりでいます。その中で、必ず自分にしかできない絵画というものが存在すると信じています。ちょっと抽象的なのですが、そういった絵を前向きに制作していきたいと考えています。
[高木]…今、関心があるのは、ひとつは<空間性の問題>なのですね。では、その曖昧模糊とした空間性についてどうすればいいかということをつねに考えているわけです。それにはもうひとつのキーポイントというのは具体的にどう表現するか。具体的にどう表現するかということが今、凄く、自分の中で考えている問題です。
[谷川]…さっきも言ったけど、やはり小さな国に行ってもちょっとした画廊の中にいい作品があるという国があるんです。結局、文化というのはそういうところでしか支えられていないので、権力と結びつこうが結びつくまいが、別にどうでもいいので、そういうものを創る側も、われわれ、ものを書く側もやはり自分の信ずるところをやると。そうすると大多数の評価じゃないかもしれないけれども、評価する人は必ずいるわけで、そういうふうにして少しずつ文化の厚みみたいなものを作りあげていくしかないのだと思うのですね。
[会場7]…さっき谷川さんが日本人離れという問題と日本人そのままということのお話があったのですが、そのときに日本人離れということに対してはどちらかというと批判的な意味合いがあったように思います。それは僕の聞き取り方の問題もあるかもしれないけど、日本人そのままに、肯定的な意味合いを持つのかどうなのか。あるいはそういうことではなくて、日本人離れ、日本人そのままという問題を超えていく方向性として何かキーワードになるようなものがあるのか。もしあるのならばお聞きしたいなと思いました。
[谷川]…日本人そのままに別に批判的ではないし、日本人そのままに肯定的でもなくて、日本人そのままと日本人離れという、そういう二極のダイナミックスみたいなもので、いい意味でも悪い意味でも日本の近代の美意識が動いてきたと思うんですね。日本人ぐらい外国で日本人に出会ったときに嫌がる民族はないわけで、誰でもそれは経験があると思うのですが、向こうから日本人が来ると嫌だなとすぐ分かっちゃうわけです。これ悲しい民族だと思うのです。そういう自己嫌悪みたいなものをつねに抱えている民族というのはね。
だから、どちらがいいとか悪いとかの問題ではなくて、日本人そのままというのはア・プリオリではないわけです、僕に言わせれば。日本人離れの意識があって日本人そのままがネガティヴなかたちで出てきて、それが日本の美意識論だとか、日本の独自性だとかという、そういうものにつながっていくわけです。だから、二項は関係性の中にしかないわけで、そのことを自覚していかないといけない。そういうある種の相対性の民族だと思うのですね、日本人というのは。その中で努力してみたいなと思っています。
[藤枝]…日本人であろうが、ガーナの人であろうが、芸術的才能を持っている人はいる。それを受け入れる場所が問題なので、そういったものができればいいわけです。制作の環境が好転すること、そういうような情況にはまだ至ってはいないように思います。ともあれ、あまり自意識を持たない、これが唯一の僕が言える<方位>ということになるでしょうか。これからどういう結論が出てくるとか、そんなことはもうあまり私には関係ありません。これで終わりにしたいと思います。長い時間、ありがとうございました。
●谷川渥
1948年生まれ。東京大学大学院美学芸術学博士課程修了。現在、國學院大学教授。著書に『構造と解釈』『現象と時間』『バロックの本箱』『表象の迷宮』『鏡と皮膚』『美学の逆説』『文学の皮膚』など多数。
●岸本吉弘
1968年生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒業。同大学院修了。画家。98年文化庁芸術インターシップ研修員。98年「EARLY−WORKS 始点」ギャラリームカイ、ギャラリーαMなどで個展。「現代日本美術展」で大原業術館賞受賞。
●高木修
1944年生まれ。大学卒業後、高松二郎の主宰する「塾」で学び、造形作家としての活動を開始する。個展のほか、71年「第2回国際彫刻展」を皮切りに数々の展覧会に出品。作家活動の一方で、批評活動も活発に展開し、92~93年にはギャラリーαMのキュレーターを勤めた。
●藤枝晃雄
1936年生まれ。美術批評。現在、武蔵野美術大学教授。著書に『現代美術の展開』『絵画論の現在』『ジャクソン・ポロック』ほか。
(※略歴は1998年当時)