αMプロジェクト1988-1989 vol.1 柳幸典

1988年1月17日~2月13日


柳幸典「plan αm – Ground Transform」



フンコロガシとシェルター 柳幸典の作品について


たにあらた

柳幸典の作品にはトランスポート(輸送)という概念がつきまとう。四トンの藁と同重量の土の玉を輸送し、会場でそれらを対比させた作品(’86年、神奈川県民ホール)、漂流物を丸く固めて砂丘を転がした作品(’86年、中田島砂丘)、土の玉を美術館に移送し放置した作品(’87年、栃木県立美術館)、棺桶状の木箱に土や灰などを詰めてトラックごと会場に運びこみ、木箱を放置していった作品(’87年、神奈川県民ホール)などがその例である。
さらにいえばヘリウムガスを詰めたバルーンを空中に浮かせること(’86年、大谷地下採掘場跡)も、ドラム罐大の絵具を運んで地域全体をカラーリングしようというプロジェクト(’87年、大倉山)にも、トランスポートという考え方はつきまとう。
こうした考え方の背景にはフンコロガシのイメージがあるが、もとより柳の営為には50年代のアーティストが“無為なる行為”の代名詞としてよく口にしたフンコロガシの意味はない。
むしろ作品は輸送を前提として成りたっているということの当り前なほどに無視された条件の確認作業であり、作品には輸送というプロセスを経て、美術館などの空間において作品に“成る”という確認なのである。
もちろん、彼はそれだけのためにこのような力仕事をおこなっているわけではない。その本来の狙いは、見るためにつくられた空間のなかで義務づけられた<作品――観客>という静態的な関係を、できれば特定できない“ゆらぐパースペクティブ”に返還しようとしていることだ。ヘリウムガスのバルーンはその狙いの象徴であり、土の玉もその場にフィックスされてあるわけではない。
見るためにつくられた制度的空間のなかではこの行為は侵犯としてうつる。作品コンセプトからいえば壁にも床にも作品を特定できないからだ。
しかし、バルーンならまだよい。空間侵犯のイメージは大倉山のカラーリングをはじめとしたドラム罐にたっぷりとした色彩のカンヅメに密閉されたシェルターの中で開罐し、部屋全体をカラーリングする近作(1987年、ヒルサイドギャラリー)などでは、侵犯はその空間全体におよぶ。自らもまたそのことによって侵犯されるのである。
フンコロガシといい、シェルター内でのパフォーマンスといい、その行為の渦中における意味がにわかに象徴性を帯びた意味に変わるのはこの時である。誰しもそこに世界をひき較べた人間的営為を読みとるからである。
ただし、柳はそうした人間的営為のアナロジーにひたる前に、空間が侵犯されつくした時、すでにそれは侵犯でもなんでもなくなることを知っている。その時、彼はスルリと部屋を抜け出し、“空に放たれた色彩”としての、客体化された「空間絵画」を眺めかえす眼に変わるのである。