1989年10月17日~11月11日
柳沢信男の作品は、木にレリーフして形象を生みだし、その上に着彩するという今日のような方法を駆使するようになってから、作品に力強さがうかがえるようになった。
このようになった転期は、1985年の『記憶計画――K』という作品だろう。この作品は「安田火災美術財団奨励賞」という賞の対象になった作品だが、この作品によって初めてイメージとそれをつくりあげる作品の仕組みづくりのあいだで一体感が得られるようになったのである。
それまでの作品は、支持体の上に他の物質が加えられるという“付加型のレリーフ”になっている。1984年以前の作品に典型的な素材としては真鍮ブラシがあげられるが、この真鍮ブラシを縁取りに用い、そのなかに他の物資、たとえば鉛やカーボンをはさみ込むというような作品のつくり方になっている。金属のみならず、小石など自然物も作品の中に介入していた。
1985年に至って、柳沢は杉など木材を多用するようになるが、このころ二様の作品が生まれている。ひとつは、それまでの時代の作品系列に属するもので、並列に並べた杉の板の上に真鍮ブラシが縦方向に帯状に走っている作品である。
ここまでが“付加型レリーフづくり”の時代とすれば、直接、杉板に深くかかわるようになった以降の作品は、レリーフという志向性は変わらないが、レリーフ部分と支持体との一体感が強く印象づけられるものになる。
付加型のレリーフをやめ、直接支持体にレリーフを施すようになったからである。
この作品系列の最初期のものは、杉板のフシの部分がうまくレリーフ状に残るように彫り込まれている。フシの特殊性もあるが、板面に浮かぶ有機的な形象は、何の着色も施されてはいないが、ひとつの造形のリズムを生んでいる。しかし、平面レリーフとはいえ、彫刻的につくりあげられたイメージが勝っていた。
それを絵画のレリーフ作品に引き戻す作業が、先の『記憶計画――K』以降の作品であるといってもよいだろう。
この作品は厚手の木(板)をそれまでの作品と同じように並列的に並べているが、その板の表面を剥いでいくような方法によって凹凸をつくっている。剥いだ部分は均質ではなく暴力的な作業の根跡を残しており、残された凸部の周辺も剥いだ跡がわざわざ視覚化されるようにつくられている。さらに全体に黒の水性塗料をかぶせることで、レリーフ絵画としての統一感を生むようにしている。
これと同種の作品では、凸部の形象が三角形や半円形のものなど多数あるが、いずれも木という作品の支持体までを含む取り組みのしかたに特徴があろう。このことを“浸透的マチエール”に波及させるにはやや飛躍はあるが、物質(体)を用いつつも、それに近いイメージを抱かせる作品である。