αMプロジェクト1988-1989 vol.7 黒田克正

1988年10月25日~11月19日


トランス・グラフィティの現在 黒田克正の作品について





たにあらた

黒田克正は、長きにわたり、団体展に所属するいわゆるタブロー・ペインターだった。

その当時の作風は、<内省的>で<存在論的>な雰囲気を湛えている。具体的にいえば、派手な彩色を抑え、グレーが基調色となるような重く沈んだ色調によって、人間の存在そのものをモチーフとするような作風だった。いいかえれば<生と死>のイメージにいつも強迫的に追われ続けてきたようなおももちがある。

色調ばかりではない。そうしてモチーフをより強固なものにするかのように、顔料は付加されるばかりでなく、“引っかき”を多用してより物質感の高まるようなマチエールをつくりあげてもいる。ことに1978年ころの作品にこうした方法による作風が多い。

今の作風から見ると、この当時の作品は水面下におけるかのような静謐な時空で、ゆらぎ、逃避しがちな対象(存在)を必死につなぎとめてきた痕跡をイメージさせるといってもよい。

 水面上に浮上するという転位をイメージさせるようになるのは1983~84年ころからである。このころのドローイング展がそのひとつの契機になるといってよく、同展ではコラージュの方法が少しづつ見えてくる。

顔料によるプラス、マイナスのマチエールは、外在する他の物質(マチエール)によって、黒田にとっての次のステップを開花させたように見える。同時に、その外在性は彼の作風のイメージをも大きく変質させるようになった。

概していえば、今日の作風はこの時点における転位の発展的なものといってよいだろう。そして、その作品展開の方法は近年ますます自在化している。増殖的なモチーフに変わってきている。

たしかに近年の作風は、J.ライヒマンが皮肉めいていうような「メディアにおいてピュアなものは何もない。アートはまったく異なるものの投入されたブリコラージュだ」という発言を地(じ)でいっているように見えなくもない。しかし、黒田の作風は、ピュアなものやオリジナリティなき時代という仮説から引き起こされる二次元的メッセージとしてのブリコラージュなのではない。むしろ、その方法は、そうした二次的メッセージの持続を断ち切るかのような“再オリジナリティ化”の脈絡を踏んでいる。

ブリコラージュを積極的に援用しながら、観客の関心がそういうところにあまり向かわないのは、ブリコラージュという方法自体が黒田によっておおいに変質化されたものになっているからにほかならない。

また切り口を変えていえば、近作は一連のカジュアルなグラフィティを連想させるかも知れないが、黒田のモチーフはもとよりそうしたところに根ざしてはいない。もっとペインタリーで作品の存在感の強いものである。そこには時に、かつてこだわっていた対象(存在)追求のイメージの断章がよぎるような印象さえするのである。