1989年1月10日~2月4日
根岸芳郎の絵画は、領域を定めがたい色群相互の関係によって生まれる。それは時に、人を、分析する必要もない視覚の領域に、いきなり立たせるような感覚にする。
決してマテリアルな感覚において人を圧倒するのではない。むしろ、彼の方法はその逆であり、綿カンヴァスにアクリル絵具という水性の浸透力の大きい媒材によって、絵画を成立させようとする。媒材はむしろ彼の表現の意志を鎮静させるように働こうとするのである。
しかし、ウェットなそうした方法とは裏腹に、根岸の絵画における色彩とその相互関係による視覚への到達はより速やかでエッセンスだけを伝えるものとなる。視覚にもとづく認識というステップを踏むのではなく、絵画の全容が一気に視覚をおおうものになるのである。
このことは、彼の絵画を非理性的な表現主義の一派に近づけるものであろうか。否、であろう。根岸の絵画は、実のところ優れて構築的なものである。色群とそれらの位置は、絵画の全面におよぶ広がりのなかで配置されたグリッドによって裏づけられており、アモルファスな、崩壊・流出するような色群をしっかりとつなぎとめている。それはまたこうもいえるだろう。つまり、グリッドと色群は、分離されて絵画上で合体されるのではなく、色群そのものがグリッドを内包しているのだと。グリッドに裏つけられた色群はわずかずつ落差をつけられながら、流動する気体のように連鎖していく。こういう作品は1984年から85年のものに多い。そこではグリッドはカウンター(斜め構造)に走っている。もちろん「カウンター・コンポジション」という明解な主義を表明しているわけではないが、それ以前の絵画に比して、画面がより流動・可変的なイメージに変わるのは、そのためである。
グリッドを内容した色群はさらに、豊かな浸透性をもって、他の隣接する色群に対し、それをオーバーし、あるいは潜行していく。オーバートーンの領域を生んで、色群相互の透過力を強めているのである。特に1985年の後期から1986年以降の作品では、グリッドの走りそのものが曲線によるねじれを生じるようになり、オーバートーンの効果を高めている。
オーバートーンとは他を圧倒していくという文字通りの意味ではない。むしろ個々の色群が相互に干渉しあい、重なりあうことで生じる<諧調>のようなものである。それは、おそらく分析的キュビスムの“韻律的統辞”を超えようとしたドローネーのような視座から発生するという見解を踏まえてもよい。
根岸の姿勢は、ややもすると、分析的方法にもとづく“リズム”を、ここでいうオーバートーンの表現に変えるプロセスにおいて、人にあいまいなるものをあいまいなまま受けとめてよいという意識を与えるかもしれない。
しかし、ことわっておかなければならないのは彼の絵画は、あいまいなものを第一義的な意味におけるあいまいさとして表現しているのではないということである。
そこでは、むしろあいまいだと断定する知覚構造が問われているのであり、十分に検証された方法を駆使してのあいまいさの表出は絵画の新しい意味の喚起に向かうばかりでなく、通常覚醒れざる知覚を呼びさますのに効果的なのである。