かつてニーチェは、《境界線の上には不思議なものが存在する》と言った。世紀末をむかえたいま、世界情勢の変化や芸術の状況を見れば、ニーチェのパースペクテイヴ(展望)は、私たちの時代までも鋭く洞見していることを知るだろう。
幸か不幸か、この世紀末という〈境界〉に身を委ねているものにとって、加速化する変化の波動はさまざまなものの解釈を転覆させ、あらたな異物と対峙する羽目になっていることも確かなのであって、それは単なる〈知〉の地殻変動といったものではない。端的に言うなら〈存在〉そのものが揺れ動いていると言ったほうが相応しい。そしてその〈存在〉の揺れの中から、さまざまなる意匠を施した芸術が産出しているのも事実なのだ。
このような状況に直面しつつ、作り手の立場からギャラリーαMの企画を担当することは、ある意味で捉え直せば、一種のパラダイム・チェンジとも言えるだろう。
私は、ギャラリーαMの企画にあたって、ひとつのテーマを設けた。その具体的なテーマは、「空間へのディアロゴス(dialogos)」つまり、ギリシア語の〈対話〉である。
画家は<絵>の中で考えているように、つねに自問自答の繰り返しの中で制作し続けている。それは絵画のみに限らず、彫刻や写真などあらゆる表現メディアに言えることであろう。言葉を換えて言うならば、来たるべき空間性のための<自己内対話>でもある。
そして空間に対しその表現が、挑発的でより刺激的であるか、または跳躍するか、あるいは破壊するか、逸脱するか、放棄するかなどのさまざまなる空間への闘争=ディアロゴスがあるはずで、それは作品、作家、観者に対しての内的連関、または相互作用的な、まさに重層的デイアロゴスの運動の<場>でもあるのだ。
私たちはつねに身体の全感覚を登場させながら、「空間へのディアロゴス」を展開させなければならないのである。
(企画主旨文, 1992)
▊高木修 たかぎ・しゅう▊
1944年栃木県生まれ。高松次郎塾を修了。1971年の「国際彫刻展」に出品の頃より作家活動を始める。70年代以降、グループ<360°>や<インターセクション>などを組織して理論やイヴェント活動を行う(哲学者・市川浩に出会う)。80年代に雑誌「アンプレックス(錯綜体)」を発行・編集。83年「第19回今日の作家展」、84年「メタファーとシンボル展」などに出品。主に76〜88年ときわ画廊、93・95年ヒノギャラリーで個展。
(※略歴は1992年当時) http://www.abst-takagi.com/index.html