αMプロジェクト1992-1993 vol.16 坂木優子

1994年3月8日~4月2日




空間のビカミング8「絵画の余白」




高木修

坂木の初期の絵画(1992)は、白濁の厚塗りによって画面の明るさが抑え込まれ、ぎらぎらとした表面に落書きにも似た線が駆け巡っていた。そしてそれをよくよく見ると、あのカフカの『変身』に登場する<巨大な褐色の虫>のようにも見えてくるし、あるいは白雪の上を車が走った跡のようにも見えたが定かではない。しかもその線には内在的な意味が一切感じられない。あたかも思いがけなく出来あがってしまったような線が、渇いた表層の上でさまよって刻印されていた。坂木のそのような色彩のない特異な形象はどこから出現してくるのだろうか。
坂木は子どもの頃から<地図>を描くのが好きだったという。それも自分だけの意味のない地図―勝手気ままにイメージを増殖させながらうねうねと創りあげる想像上の地図―それを端的に言うならば<遊び>の感覚から湧出してきたものであるといえよう。
坂木はある雑誌に<遊び>に関してつぎのようなエッセイを書いている。≪私にとって描くことは、目的を定めたり、結果を考えたり、ましてや強制されて描くものではない。パターンや法則を排除することによって空想力を覚醒させたいのです。私が白い紙に向って自由に遊べるとき、その遊戯によってアイデアも自由に成長していくかのように感じられる。”遊ぶこと”は”考えること”を手伝っているかのようだ≫。
私は、なにもここでシラー/ホイジンガ/カイヨワと続く「遊びの理論」を引き合いに出すつもりもないが、坂木の感性には<遊び>によって生成する根源的な自由と行動、そして虚構が培われていることを知る。そのような感情や理性を含んだ「遊戯衝動」(シラー)が、坂木の表現(イメージのもやもやを引き出す)に意識的・無意識的に顕在化してきたのを見逃すわけにはいかないだろう。
そのような衝動が拘束されず抽象的な線となって画面に棲息するのだ。そう言えば、かつてジル。ドゥルーズがポロックの線について、≪抽象的な線とは、輪郭をつくりあげることなく、事物のあいだを通り抜ける線、突然変異の線なのだ≫と言ったことを記憶する。
つい最近の新作を見ると、線に変化が見え始めている。たとえば、92年頃の昆虫・地図的な線的要素が単純化し、そこに色帯が入ってきたのだ。つまり坂木が求める<人工的で輝きのある表現にする>には、線描のみでは困難であることに気づいたからであろう。しかも絵画において、デッサンと色彩を分けることが不可能であることを痛感したに違いない。しかし坂木は、色彩の自立だけを考えて描こうとしているわけではない、むしろ色彩は空間や形象を通してついてくるものであって、肉としての色彩なのだ。
坂木が輝きのある張りつめた画面をつくるには、彩度の高いカドミウム・レッド系を施すことによってアクティヴで透明な色帯をつくりあげようとする。それゆえに、初期に描いた線を展開することによって強度のある形象をつくり出し、立ち昇らせるのだ。
画面の周縁に沿って流れるような幾層の色帯と、それに対抗するかのような一つの道筋に集中するいくつもの半円、そしてこの両方の関係(内部―外部の相互浸透)を結ぶのが余白である。この余白は、イエロー・オーカーによって軽やかに塗られ空気の流れをつくり出し、両方の構造に振幅(リズム的脈動)を与えている。その余白は単なる地ではなく、力動的な場(フィールド)あるいは同時にマティスが色彩を関係として捉えたような存在である。坂木の絵画には、多くの絵画を見て感じるような意味での既視感はない。しかも地と図の関係を危ういところでのりこえ特異な形象をつくり出しているのが魅力である。

坂木優子 さかき・ゆうこ
1967年埼玉県生まれ。1992年創形美術学校造形科卒業。92年「上野の森美術大賞展」「国際交流展」、95年「VOCA展’95」に出品。91年橋本画廊、92年ベイスアートギャラリーコレクション、95年ギャラリーNWハウスで個展ほか。

(※略歴は1994年当時)