『ON THE TRAIL』 vol.3 福田尚代+木村幸恵

2007年11月5日(月)~11月17日(土)


〈ゆうれい〉と言霊、そしてワルツはつづく

鷹見明彦

「Tokyo WALTZ/東京円舞曲」と題するこの展覧会の企画は、いくつかの動機が重なりあって、構想された。
まずひとつは、それが長年にわたって日本の現代美術形成の中核となってきた東京画廊を舞台とする-という条件から。東京画廊は、1950年代から戦後の抽象~ネオ・ダダ、もの派にいたる現代美術のメイン・ストリームを支えながら、他に先がけて韓国をはじめとするアジアの現代美術の交流拠点の役割を果たしてきた。近年は、北京に進出する一方、東京では、日本とアジアのより若い世代の作家を積極的に紹介するなど、新しい時代の流れに沿った展開を見せているが、東京画廊というその名が示すように、戦後の日本現代美術史の凝縮点であるといえる。

植民地時代を唄った流行歌に「上海ワルツ」という歌があったと聞くが、「Tokyo WALTZ」には、歴史をめぐる内省がこめられている。東京画廊の歴史のひとつのハイライトには、1970年代を境とする〈もの派〉の作家たちが存在する。その中軸作家の榎倉康二は、本展に出品する福田尚代の東京芸大での指導教官でもあった。芸大改革の先頭に立った榎倉のもとからは、多くの新世代の作家が育ったが、恩師がまだたくさんの課題を抱えながら急逝したとき、アメリカにいた福田は、葬送に加われず、榎倉教室の同窓生たちが企画した追悼展にも出品できなかった。時を経て、今回、亡き恩師ゆかりのギャラリーに展示する文字と点による芸大の卒業制作作品は、その後の福田の原点になった1作である。近作と共に師のことばを受けた旧作をもって献花とし、榎倉師へのレクイエムと報告になればと・・・。
多くを押し流していく「大きな歴史」に対して、その塗布と流出に失われる生の声や叫びを生存させるのは、個人史であること。そこには、生と生の交錯のなかで伝えられ能動化された道を求めゆく芸道や表現者のあかしが重なる。福田尚代が産みつづける回文は、その言霊(ことだま)にワンダーな世界の広がりを追慕させ、また予感させる。それは円環に閉じるプラトニックな、あるいはカバラ、ボルヘス的な迷宮ともちがった相聞のエロスを穣かに含んでいる。ことばの源にあった世界に呼びかけ交流する言霊の力-。文字や本、消しゴム、鉛筆、プレパラートなどを用いた作品は、アリスが落ちた穴のように、〈小さきもの〉に集中することでシフトされる意識によって、こころの深層と宇宙とのきずなを覚醒させる力を秘めている。

福田よりも8歳ほど若い木村幸恵の、岸田劉生の麗子像に扮したパフォーマンスー。麗子が表情を変えながら「コッカ、カイガ(国家、絵画)・・・」と明治、大正期の文語体を口語に移したような発語でくり返すシリトリを、近代の制度批判としてあまりに素朴すぎると片づけるのは簡単だが、美大の石膏室にあるニケ像の下で舞う振り袖姿のレイコを見たり、暗闇に浮かび出たレイコの呪文を聞いていると、「麗子像」として記号化されたイコンが、リアリズムと大正ロマン主義や生命主義の間に揺れた天才の魂が愛娘に乗り移った像のデーモンが、絵画という檻のなかから息を吹き返して、生霊となってさ迷いだしている・・・そんな幻覚にとらわれる。武蔵野の一隅に作家が設立した「きむらっち日本近現代美術研究所」のスタジオで行われる木村と自分の〈ゆうれい〉ー分身(浮遊する透明な人がた)との対話やダンス。そのワルツ、エクササイズには、福田の回文にもつながる存在と表現の根にふれようとする営為があるようだ。武蔵野の雑木林は秋になると幽霊の音がする・・・と詠った詩人(西脇順三郎)の証言は、やはりほんとうだったのか。

「Tokyo WALTZ」は、いつも足早に移り変わっていくように見えながら、輪転し循環している歴史や文明の来し方とゆくえを大きな射程にとらえる2人の作家の表現の波長から生まれた。ワルツといえば、スローテンポで時代おくれの舞曲がイメージされもするが、それが生まれたウィーンの、19世紀末から20世紀はじめフロイトやクリムトと同時代に活躍した作家シュニッツラー(キューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」の原作者)は、相反するものが惹きつけ合いながら円環する小説の新スタイルによって、時代の不穏を描き出した。それから100年後、東アジアのはずれの島国のメガロポリスで、口唱と記述、身体パフォーマンスをまじえて謡い舞われる彼女たちの「ワルツ」には、どんな時代の不安と翳が寄り添い、またいつも〈死の舞踏(ダンス・マカーブル)〉をこえていく生の根源からの「うた」が響いているのだろうか・・・?