『変成態―リアルな現代の物質性』 vol.8 半田真規

2010年2月27日(土)~3月27日(土)

photo: study, 2010, (C)Masanori Handa


裂け目を見せる表層空間

天野一夫

この連続展観のかたちをとった企画展の最後の部屋を、半田真規という卓抜の才能をもった気鋭の作家で締めくくりたい。
半田にとっても物の実態は確かに存在しているものではなく、常に揺れ動いているものであろう。半田は様々な土地の風景から受ける感覚を作品制作の契機としているようなのだが、そこではいわば次々に展開するスリリングな場に全感覚を開き自らの身体を投じることで、世界がどう立ち現われてくるかを待つかのようである。自身の感覚を更新する初な現場がここでは露出しているのである。そしてその感覚刺激は常に外部からやってくるのである。であるから、そこで差しあたって展開する作品においても、具体的な物が持ち込まれる時も、他の意想外なものが組み合わされながらに、そのイメージ世界から抽出された一つの雛型であるのだろう。そこでは出自も異なり、また大きさというものも掴めない、全体で不可解な場となることが多い。混交されたイメージ界から投射された空間は現実の物を扱いつつも物からの論理に従うことなく、むしろ位相の異なりを常に保持していて、一元的な感覚で統一されていない。そのような違和を抱え込んだ仮構的な場による作品は野放図なほどに荒々しい破壊的な場にして不穏な関係を持っている。一つの雛型のようなイデア世界の映し身にして、亀裂の入った鋭利なものに満ちた世界。それは通常の「美しさ」ではなく、直接的に我々の感覚を掻き回し見たこともない不条理なものとなるだろう。
今回は設置前の構想段階だが、あの日本独自の住宅外壁材のボードを用いたものと聞く。むろんこれはだまし絵的なものではないだろう。コンクリートの壁に張り巡らされた、躯体と切り離された様々の素材たち。その見事なダミーとしての触覚感は我々が住まうための確からしさの保証なのだ。しかしここに物は無い。表層にして重い、着せ替え可能な様々の素材感は、これまでの多様な光景の断片が一つに折り重なったものなのだろうか。想像するに、様々の物質(?)が接合し分裂してわれわれの感覚をたきつけながらも、クラッシュしたような、違和をたたえた奇妙な空間。その中で、我々はどのような断裂の感覚に立ち会うだろうか。

▊半田真規 はんだ・まさのり▊
1979年神奈川県生まれ。2003年東京藝術大学美術学部卒業。主な個展に、2005年「白浜青松原発瓢箪」(児廊、東京)、2009年「逆テーパーの肖像」(ベルリン)など。グループ展に2006年「越後妻有トリエンナーレ」(中里、新潟)、2007年「夏への扉―マイクロポップの時代」(水戸芸術館現代美術ギャラリー)など。プロジェクトおよびプログラムに2008年「ロレックスメントー&プロトジェアートプログラム」(欧州)、2009年「点線」(キオッソーネ東洋美術館、ジェノバ)など。
http://www.handamasanori.com
協力:ニチハ株式会社