αMプロジェクト2011
Stratosphere
デザイン:森大志郎
いささか唐突に聞こえるかもしれない「成層圏」というタイトル。字義通りには大気圏の一層を指すが、企画者は、現代における美術の創造性を捉え直すメタファーとしてこの語を選んだ。美術に特有の表現の強度が、複数の意味の層が重なりあって、豊かな多義性を発揮することにあるとすれば、制作と鑑賞の両面において、こうした「層」への意識は不可欠だろう。しかし、その各層が固定され、ときに階層化されて、自由な行き来ができなくなるような「地層」のイメージは相応しくない。それとは対照的に、意味を発生させる層が流動性を失うことなく曖昧に連なり、その各層を想像力が横断的に飛翔することを予感させる空間として「成層圏」という語を読み替えていきたいのだ。
では表現を多層化していく方法とは具体的にはどのようなものなのか。形式的なレベルでは、イメージを層状に重ねていく絵画や、イメージと言葉の併用、さらにコラージュ、モンタージュという手法がすぐに思い浮かぶ。主題のレベルでは、過去の美術作品や、美術という制度に対しての言及、あるいは歴史、社会、政治、文化への示唆など、こうした参照項が層状に張り巡らされることで、作品の解釈は重層的なものとなるだろう。また、芸術作品を制作する他ならぬ作者という主体に注目すれば、事態はさらに複雑な様相を呈してくる。そもそも「わたし」という主体そのものが、歴史的、社会的に構築された多層的な存在であるからだ。だとすれば、そのような主体と外界との臨界面に立ち現れる芸術作品には、様々な異なる文脈における「わたし」と「世界」との出会いが刻印されることになる。いや、むしろ芸術作品という場において、「わたし」と「世界」とが同時に生成すると捉えるべきなのかもしれない。
この展覧会シリーズは、昨年度の「複合回路」に引き続き、同じ三人のキュレーターによって企画された。個々の問題意識は継続しているとはいえ、今年度は「成層圏」というタイトルに託して、上述のような多層化のプロセスに潜む生成のモーメントに、より自覚的に取り組んでいくつもりである。(鈴木勝雄)
私たちの目の前に拡がる景色は、漠然と見ていればただの「眺め」にしか過ぎないが、そこに何かを発見し、読み取り、切り取ることで「風景」へと変わる。つ まり、まなざしではなく、景色の中に分け入る能動的行為が「眺め」を「風景」へと転換するのだ。風景を題材としたイメージは巷にあふれ、雑誌やモニターの 中で私たちは日々無数の風景と出会うことができる。しかし、作家が実際にその風景に自分の身体を晒しながら瞳の奥に潜むレンズでそれをスキャンし、そこに 内包される歴史や構造を解きほぐすことで、風景は新たな扉を開いてゆく。しかし、いまだ扉の先に道はない。あるのは作家が時には迷い、ときには断固として 灯してゆく道明かりだけだ。新たな色彩とレイヤーの灯火は、どんな地平に私たちを導くのだろうか。
創造よりも介入に賭けてみること。それは、現実に対する批判的な実践として芸術活動を捉えることだ。物質に根ざした造形芸術から距離をとり、作家の創造性 と機知は、むしろ日常を支配する秩序や規範に介入する方法の考案と、その実践に発揮されることになるだろう。「行為」が突破口のひとつになるはずだ。(こ こでは「パフォーマンス」という語が内包する上演性を避ける意味で「行為」というより平板な語を採用する。)それが社会の中に異物として挿入されると、一 種の触媒装置となって人々の意識に変化を引き起こす。そこで生じた意味のずれや価値の揺らぎが、堅固なイデオロギーや権力を転覆させる想像力を豊かにす る。このような形でアーティストは社会にコミットできるはずだ。
こうした表現を考えるうえで、1960年代から70年代に繰り広げられた ハプニング、ボディ・アート、コンセプチュアル・アートなどの様々なパフォーマンス(行為)の実験の遺産は、何度でも反芻すべきインスピレーションの宝庫 となるだろう。しかし、学生運動やベトナム反戦運動、公民権運動やフェミニズムに沸いたこの時代とは、社会的、政治的状況が大きく変化しているのもまた事 実である。「変革の手段としての芸術」を構想するにしても、60~70年代と現代とでは、その意味も、作家と鑑賞者の意識も、具体的に社会に介入する戦術 も異なってくるだろう。いま必要なのは、このような明確な歴史認識を踏まえて、現代における抵抗の実践たる芸術的「行為」の可能性を、アーティストと鑑賞 者の対話を通して検討することであり、その身体化された想像力を各自の体内深くに埋め込むことなのである。
目に見えているものは、とりあえず目の前にあるのだから確実に存在しているはずだ。だから、今自分の隣りにいる人にも、同じようにそれは見えているはずだ。ふつうは、そんなことは考えもしないのだが、しかし、そう考えた途端、少し不安になってはこないだろうか。本当に隣りにいる人にも同じものが見えているのだろうか。目の前にあるものは、本当にあるのだろうか。そうやってすべてのものの存在を疑っていったときに、しかし最終的にその存在が疑いえないものがたったひとつ残る。つまり、そう考えている(疑っている)自分の意識そのものは、確実にあるはずなのではないか。「私は確かに今考えているのだから、考えている私のこの意識の存在は確実だ」「我思う、ゆえに我あり」だと。そう考えて手に入れられる「主体」の観念は、すべての存在に先立つものとなり、そして私の意識以外のすべてのものは、その存在を私によって根拠付けられるものとなる。
ところが、考えている私が、考えるために使っている言葉は、実は自分より「先に」存在していたものだ(言葉は、私自身が発明したものではない)。とすれば、私だって、たとえば言葉によって存在を与えられ、作られたものだということになる。「私」は、作られるものなのだ。では、いったい「私」はどうやって、どんなものに作られるのか。「私」を作る作業に、私自身は参加できるのか。
「私」の自明性の揺らぎ、あるいは「私」の存在の見えにくさが、作品制作の重要な動機となったとき、なかには、作品によって虚構の自明性を構築しようとするものもあるかもしれない(たとえば、「これが私です」と示すようなイラストレーション的な絵画作品)。しかし他方では、その揺らぎのなかに自らを投企し、不可視性そのものや、見えないものを可視化できるかもしれない可能性(との格闘)に賭けるものもあるだろう。そのように「私」をくぐりつつ立ち現われてくるイメージの多様な試みのなかに、現在の美術のあり方のひとつの様相を見ることができるだろう。
▊高橋瑞木 たかはし・みずき▊
水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。1973 年東京生まれ。早稲田大学大学院を卒業、ロンドン大学東洋アフリカ学院MA修了。森美術館準備室勤務を経て2003年より現職。担当した企画展に「ライフ」(06年、水戸)、「ジュリアン・オピー」(08年、水戸)、「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(09年、水戸)、共同企画に「KITA!! Japanese Artists Meet Indonesia」(08年、国際交流基金主催、ジョグジャカルタほか)「新次元 マンガ表現の現在」(10年–11年、水戸で開催後、ソウル、ハノイ、マニラに巡回)「高嶺格のクールジャパン」(12年、水戸)など。
▊鈴木勝雄 すずき・かつお▊
東京国立近代美術館主任研究員。1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。西洋、日本の近代美術史を専攻。98年より現職。これまで「ブラジル ボディ・ノスタルジア」(2004年)、「沖縄・プリズム」(2008年)、「ゴーギャン」(2009年)、「美術にぶるっ!」展 第2部「実験場1950s」(2012年)などの展覧会を担当。
▊田中正之 たなか・まさゆき▊
武蔵野美術大学教授。1963年東京生まれ。1987年東京大学文学部美術史学科卒業。1990年同大学修士課程を修了。1990~95年ニューヨーク大学美術史研究所に学ぶ。1996~2007年国立西洋美術館にて研究員として勤務し、国立西洋美術館にて「ピカソ:子供の世界」展(2000年)、「マティス」展(2004年)、「ムンク」展(2007年)などを企画。2002-2003年にはパリ国立近代美術館(ポンピドゥー・センター)にて訪問研究員。2007年より現職。2011年より武蔵野美術大学 美術館・図書館館長。専門は西洋近現代美術史。
(※略歴は2011年当時)
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