絵と、  vol.3

村瀬恭子

Painting and… vol. 3 Kyoko Murase

2018年9月1日(土)~10月27日(土)
September 1, 2018(Sat.) - October 27, 2018(Sat.)

11:00〜19:00
日月祝休 入場無料
11:00-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free

ゲストキュレーター:蔵屋美香(東京国立近代美術館 企画課長)
Guest Curator: Mika Kuraya(Chief Curator of Programs Development, The National Museum of Modern Art, Tokyo)

アーティストトーク
9月1日(土)18時~
Artist Talk: September 1(Sat.) 18:00-
Kyoko Murase × Mika Kuraya

協力:タカ・イシイ ギャラリー

《アザミ》2016年|紙に顔料、色鉛筆|48x36cm


今日、この目をつぶる:村瀬恭子の作品について

蔵屋美香

1
連続企画『絵と、 』は、2011年の東日本大震災からその後の7年におきた社会の変化までを引っくるめて仮に〈震災〉と呼び、その〈震災〉の現実に対して絵画はどのように関わりうるかを考えようとするものだ。
これまでの二人の出品作家、vol.1の五月女哲平と vol.2の藤城嘘にとって、〈震災〉はわたしが想像した以上に大きな意味を持った。五月女は、揺れによって床に落ちた自らのキャンバスを目にして、鮮やかな色彩や具体的な対象を指し示すかたちの使用を止めた。藤城は、実在はしないが人の心を動かす力を持つものとして「キャラクター」をコンセプトに据えてきたが、震災によってこの「キャラクター」の範疇に膨大な犠牲者の「幽霊」の存在が加わることに気づいた。3月11日は、その後の7年の彼らの現実の捉え方を規定し、制作に変化をもたらす起点となった(1)。
しかし村瀬恭子は3月11日の揺れを経験していない。そのとき村瀬は、1989年から20年以上にわたって在住するドイツにいた。2016年に活動の場を日本に移したので、今日の〈震災〉の状況の当事者ではあるのだが、〈震災〉についての何度かの問いに対して村瀬は、何かやってみても自分にはしっくりこない、と小さな声でコメントした。
だがこれは予想したことだ。村瀬の作品と現実との関わりは、五月女や藤城とは違う角度から考える必要がある。
わたしは絵画の色を、かたちを、構図を、マチエールを、論理的に、美術批評の諸理論も参照して読み解くのが好きだ。読み解きの知的興奮が、わたしが絵画を享受する際のよろこびの一定の部分を占めるといっていい。しかし、そのやり方では説明できないにもかかわらず気になる作品というものがある。村瀬の作品はその一つだ。わたしがいま持っている手段では、村瀬の作品の肝心の部分が説明できない。肝心の部分とは、肌を刷毛でなでられるような、髪の毛の先をどこかへ引っ張られるような、村瀬の作品が与える生々しい体感作用のことだ。それはおそらく、色やかたちや構図やマチエールだけから生じるものでも、少女や植物や鳥といったモティーフへの物語的な想像力だけから生じるものでもない。村瀬の作品が持つ、五月女や藤城とはまた異なる現実への関与の仕方を、これを機になんとか理解しておきたい。これが村瀬を『絵と、 』の企画に招いた動機である。



2
まず村瀬が今回の個展に寄せたステートメントを手がかりにしよう(2)。
それは「目に見えるイメージを信じてる。/ホントのところ/見えてない。そもそも見ていない」と始まる。絵画は視覚の芸術だ。しかし冒頭で早々に見ることの放棄が宣言されるのだ。
次いで「蝉の声」、つまり聴覚に関するくだりが続く。その音が遠くから近くへと降りてきて、「私」の身をかがめさせ、「気」や「胸」を直接圧迫するものにまで強まったところで、一度「私」は死に至り、「何処にだっていない」存在と化す。最後に「私」は触覚を伸ばして遠くの音を聴く深海のナマコになり、「地下にあるあの場所」(つまり、階段を下りると空気がひんやりし、湿度が上昇する今回のギャラリー)で「cave(洞窟)」を主題とする作品を展示する意思が告げられる。
この文章は、たとえば五感に関するこんな説を借りて解釈することができる。
少々古い考え方らしいが、五感はおおむね三つの種類に分けられるという(3)。「遠感覚」は離れたところにあるものの情報をもたらす感覚で、視覚や聴覚がこれに当たる。「近感覚」は近くにあるものの情報をもたらす感覚で、触覚と味覚が相当する。嗅覚は両者の中間に位置し、「近傍感覚」と呼ばれる。
上記は「遠刺激」「近刺激」という考え方によっても説明される。たとえ遠感覚であっても、遠くに生じた光や音といった刺激は受け取る人の感覚器に到達してはじめて感じられる。したがって遠感覚とは、遠刺激と身に感じた近刺激との間に距離がある、空間性を前提とする感覚ということができる。反対に、何かが身に接触したとき生じる近感覚は、遠刺激と近刺激との間に距離のない感覚である。
あるいは、外界の事物の高度な識別を行う遠感覚を「特別性感覚」、そうした特別性を持たない近感覚を「非判別性感覚」と呼ぶ立場もある。特別性感覚の代表は、言うまでもなく、空間において物体を認識し、その位置を知る知的過程にとって主要な手段となる視覚である。
こうした考え方を受け、遠感覚に相当するものを「高等感覚」、近感覚に相当するものを「原始感覚」と呼ぶ場合もある。近感覚は刺激とその知覚がほぼ同時のため、生命の危険をもたらす痛みなどに対処する時間が得られない。対して遠感覚は、遠くの危機の情報をいち早くもたらすため、人に身を守る策を立てる時間を与えてくれる。実際に、近感覚は脳の古い部分、つまり脳幹系や大脳辺縁系で、遠感覚は脳の新しい部分、つまり大脳新皮質で感じ取られるという。遠感覚は、人が環境の中で生き延びるべく進化する過程で比較的新しく獲得したものということができそうだ。
このような認知科学上の知見の助けを借りると、村瀬の文章、そして作品が伝えようとするのは、おおむね次のようなことだと理解できる。
村瀬の作品は、ステートメントがはっきりと述べるとおり、絵画であるにもかかわらず視覚を放棄するところからスタートする。画面には植物の枝や葉、水や風の渦が層を成して重なっており、空間の見通しが効かない。手前にあるものが白抜きで、奥にあるものが比較的濃い色調で描かれるのも、奥行きの感覚を一層混乱させる原因となる。要するに画面は、視覚が空間を把握することも、その中にモノを定位することも許さないよう作られているのだ。そのシンボルのように、画中に登場する少女はい つも目を閉じるか後ろを向くかしている。
また、薄く溶いたメディウムを用い、刷毛を少しずつずらしながら絵の具の粒子を置いて作られるうろこ状のタッチは、村瀬の作品に特徴的なものだ。このタッチは水や風の渦をかたち作りながら、植物や少女やそれらの間にあるはずの空間を区別なく横切って進んでいく。これにより、やはり空間内でのモノ同士の位置関係の把握が難しくなるとともに、見る者は、タッチに導かれて異なるモノとモノが接触しあう面へと注意を引き寄せられる。少女の視点から見れば、周囲のモノや空間が身体を包み込み、じわじわと圧が寄せてくるようでもあるが、同時に少女の髪やぐにゃぐにゃと長い四肢は、よく似たかたちをした水や風の帯に乗り、それこそナマコの触覚のごとく遠くへ伸びて行くようでもある。髪や手足は、一望可能な空間を見取り図に従って進むのではなく、視覚を持たない原始の虫のように、先端に触れたものを感知するたび進路を変えながら進んで行く。
こうして村瀬は、画面、テキストとさまざまな手段を使って、視覚に代表される遠感覚または特別性感覚、高等感覚を手放し、触覚に代表される近感覚または非判別性感覚、原始感覚に身を明け渡した状態を描写し、それを見る者に伝達しようとする。地下にある会場の性質を感じ取り、洞窟というテーマを選び、個々の作品の展示位置を決める作業までがこの目的のために使われる。
このような近感覚への接近を、たとえば具体的な対象を指し示さない色やタッチだけで表すことももちろん可能だろう。しかし村瀬の場合、少女や植物、鳥、水、岩といったモティーフを使用することもまた、見る者に近感覚を確実に伝達するための重要な手段である。
少女の姿は、表立っては語られないが、ドイツの同窓生で精神を病んだ香港の女子学生、姪の写真、映画で見た樽の水に浸かる女性、旅先で目にした渓流の岩に寝そべる女子学生など、さまざまなルーツより生み出されているという。そうした情景に出会うたび、村瀬は、それらにまつわるエピソードではなく、そのとき生じた皮膚の感覚を記憶する。少女は、人のかたちを備えているがゆえに、たぶん村瀬自身がそうだったのと同様、見る者が画面内の特殊な世界を触覚的に感知するための何よりのよすがになる。また枝や風や水は、細かく分節された一望不能な空間を作るのに便利な形状を持ち、かつ村瀬が重視する流動性を表すのにも適したモティーフだ。だが、こうした機能面の使いやすさだけでなく、やはり冷たく重い水、乾いてがさがさする樹皮、手を切りそうな葉の縁など、具体物の存在が参照項となって見る者の中に引き起こす触覚的な記憶が、村瀬の伝達作業を大きく手助けする。



3
わたしたち美術に関わる者は、〈震災〉のかなり生きづらい状況に直面し、せめて美術作品がこの現実に対して何らかの実効的な力を及ぼさないだろうかとしばしば願う。だが村瀬の作品が可能にする現実との関係は、こうした期待とは明らかに異質だ。それは、社会という大きな見取り図を描かず、目を閉じて、触覚の先に触れるものに意識を託したときにだけ生々しく体感される世界に関わろうとする。
〈震災〉の状況下で近感覚へと身を投げ出すことの持つ意味が明らかになるのは、もしかしたらもっと先の時代のことかもしれない。しかし少なくともわたしたちは、今〈震災〉のただ中で、村瀬の作品の前に立っている。そして、画面を見ているにもかかわらず、外の光や音が届かない水中に潜ったときのように「見えてない」状態に身を置き、まちがいなくこころを揺さぶられている。

(1)αM2018『絵と、 』vol.1、蔵屋美香「逃げも隠れもせず隠す:五月女哲平の作品について」およびvol.2、同「嘘のウソはほんとかな?:藤城嘘の作品について」、いずれも2018年を参照。

https://gallery-alpham.com/exhibition/project_2018/

2018年9月1日閲覧
(2)村瀬恭子、αM2018『絵と、 』vol.3 村瀬恭子における村瀬のステートメント、2018年を参照。村瀬の文章は一読すると詩的な比喩のようだが、実は遠感覚から近感覚へ、上方から下方への移行という絵画の構造を正確に語っている。また、たとえばセミのくだりは、夜、灯に誘われたたくさんのセミがアトリエの窓に音を立ててぶつかるのを見た/聞いた経験をもとにしているという具合に、文の内容は思った以上に具体的な出来事と結びついている。全文は以下の通り。

目に見えるイメージを信じている
ホントのところ
見えてない。そもそも見ていない。
耳が聞いた。
蝉の声は何年ぶりだろう。
虫が鳴かない夏を永いあいだ過ごしていた。

圧倒的な音量で空から降ってくる、
宇宙船が降り立つ効果音みたいに。
少し身をかがめる
夕刻のヒグラシ、山の奥から押し寄せて気が遠のく
真夜中の窓を虫が叩き胸が脈打つ
私は死んだのか?

もう何処にだっていない。
触覚を伸ばすのだ、小刻みに震わして、丁寧に。
海底に沈んだナマコになって
彼方の浜音を聞かなくてはならない。

9月。
地下のあの場所に「百万年Cave」を掛けてみようと思う。
(3)感覚についての概説は次に拠った。三星宗雄「遠感覚・近感覚再考」『人文学研究所報』44号、神奈川大学、2010年、pp.73-88

▊村瀬恭子 むらせ・きょうこ▊
1963年、岐阜県岐阜市に生まれる。86年、愛知県立芸術大学卒業、89年、同大大学院修了。
90年から96年まで、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー(ドイツ)に在籍。93年には、コンラッド・クラペックよりマイスター・シューラー取得。主な個展に、「海の土の雲のかたち」(2013/タカ・イシイギャラリー)、「Fluttering far away」(2010/豊田市美術館)、「セミとミミズク」(2007/ヴァンジ彫刻庭園美術館)など。また、1996年以降、国内外の美術館にて開催されたグループ展にも多数参加してきた。

(左)《Flowery Planet》2009年|Oil on cotton|180x170cm
(中)《窓辺(コウモリラン Pink)》2014年|Guache, color pencil on paper|40x30cm
(右)《Swimmer》2016年|Oil on cotton|140x150cm

アーティストトーク 村瀬恭子 × 蔵屋美香