絵と、  vol.5

中村一美

Painting and … vol.5 Kazumi Nakamura

2019年1月26日(土)~3月23日(土)
January 26, 2019(Sat.) - March 23, 2019(Sat.)

11:00~19:00
日月祝休 入場無料
11:00-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free

ゲストキュレーター:蔵屋美香(東京国立近代美術館企画課長)
Guest Curator: Kuraya Mika(Chief Curator of Programs Development, The National Museum of Modern Art, Tokyo)

アーティストトーク
1月26日(土)18時~19時 
中村一美×蔵屋美香
Artist Talk: January 26(Sat.) 18:00-19:00

オープニングパーティー
1月26日(土)19時〜
Opening Party: January 26(Sat.) 19:00-

中村一美《破庵43(無垢路岐山)》2018年|アクリル、綿布|227.4×162cm 作家蔵


地すべり、期すべし:中村一美の作品について

蔵屋美香(東京国立近代美術館企画課長)

「Caught in a landslide, no escape from reality(地すべりに巻き込まれ、現実から逃げ出せない)」(1)

1.
 今回のシリーズ企画「絵と、 」は、東日本大震災後の状況を踏まえ、「絵画が現実に関わるよりよい方法」を問う、というテーマを掲げている。
 このテーマはvol.1の出品作家、五月女哲平との2017年の会話をきっかけに発想された。このとき五月女は、安易に震災のモチーフを描くのではなく、直截的ではないやり方で震災の経験を絵画化することはできないか、と語った。五月女もわたしも、原子力発電所や倒壊した家を描いて現実に関わる素振りをすることにも、それを否定して画面の中の色や形にのみ意識を向けることにも、賛成できずにいた。結果として五月女は、積層構造と幾何学形態、そして足尾銅山の鉱毒被害対策として大正期に作られた渡良瀬遊水地という主題を用いて作品を制作した。詳しくは「逃げも隠れもせず隠す:五月女哲平の作品について」を参照してほしい(2)。
 さて、中村一美展は五月女から始まったこのシリーズの最後となる展示である。みなさんは中村の作品をどのように捉えているだろうか。画面の大きさ、枚数の多さ、絵具の物量、そして千変万化の色彩、タッチ。とりわけ「中村一美展」(2014年、国立新美術館)の印象は強いだろう。
 中村は、1970年代を席巻したコンセプチュアル・アートの動向の後、1980-90年代に起こった世界的な「絵画の復権」ともいうべき流れの中で活動を開始した(3)。この動向は日本において、とてもざっくり言うと、アメリカ抽象表現主義の再考と乗り越えを企図する作品群と、具体的なモチーフを用い、ときに「物語」というキーワードで語られた作品群の二つの系統によって主に担われた。中村は前者の代表的な作家として、「現代美術への視点:形象のはざまに」(1992-93年、東京国立近代美術館他)、「視ることのアレゴリー1995:絵画・彫刻の現在」(1995年、セゾン美術館)など、「絵画の復権」を代表する展覧会に次々と出品した。しかし中村は2002年、強い調子でこう書いている。
 「私は、抽象絵画という呼称は廃棄すべきと考えるに至った。それは二十世紀に考案された概念であり、私の絵画に対する様々な誤解の多くは、私の絵画を単なるフォーマリスティックな抽象とのみ把えようとする偏見に基づいている。私の最初の『Y型』の絵画から既にそれは抽象でもなく、具象でもないSocial Semanticなレヴェルを扱う絵画なのである」(4)
 ソーシャル・セマンティック、つまり中村によると「社会的意味論的」な絵画。それは、モチーフとして社会的な事象を描くのではなく、一見抽象的な色や形の組み立て自体が社会的な事象を指し示す絵画である。そして中村の絵画が指し示そうとする社会的な事象の多くは、繰り返し到来する何らかの崩壊に関わっている。



2.
 今回の展示には、90年代に始まった二つのシリーズ〈連差-破房〉と〈破庵〉から、90年代の作品と2018-19年の新作が展示されている(加えて70年代、90年代の記録写真2点が添えられている)。「破房」も「破庵」も中村の造語で、どちらも破れた、つまり壊れた部屋や小屋、建物を意味している。
 二つのシリーズはどのような経緯で生まれたのか。くわしくはこの展示に寄せた中村自身によるコメントに譲る。そこには繰り返し起こる実際の崩壊と、それに対する中村の制作との連鎖を見ることができる。第二次世界大戦に遠因を持つ家族の崩壊。山登りに由来する学生時代からのフォッサマグナや滑落、活断層やズレへの関心(1980年)。一点透視法とは異なる《清園寺縁起》(14世紀、清園寺蔵)の空間の作りに刺激を受けて始まった〈連差-破房〉のシリーズ(1993年- )。〈連差-破房〉の制作中にやってきた1995年の阪神淡路大震災と、その経験を踏まえて制作された〈破庵〉のシリーズ(1995年- )。〈破庵〉が続くその間に起こったアメリカ同時多発テロ事件(2001年)。そして2011年の東日本大震災を経て、〈破庵〉の制作再開(2016年- )。
 まずわたしが驚いたのは、画面の抽象的な構造によって厄災を表す、という冒頭の五月女の課題に、中村がすでに30年以上前から取り組んでいたことだ。しかも、わたしたちの意識はつい直近の東日本大震災に向きがちだが、たしかにこの30年あまりは地震やテロ事件など、文字通りの崩壊が相次ぐ時代だった。中村はこの繰り返す崩壊のパターンを捉え、間をつなぐようにして制作を行ってきたのだ。



3.
 では、具体的にどんな画面の作りが、どのようにして画面の外の世界で起こった崩壊を示すのか。
 〈連差-破房〉や〈破庵〉に先行するシリーズとして、1986年から制作された斜めのグリッドを用いたシリーズがある。これは、日本絵画に現れる平行遠近法(線が消失点に向かってすぼまらず、平行に走る描法)による蔀戸(寝殿造などに用いられた格子戸)の表現から発想されたもので、画面いっぱいに斜めのグリッドが引かれている。これを中村は、抽象表現主義に代表される水平・垂直構造とは異なり、「視線が画面から常に斜めに逃れ出るようなイリュージョンを与え続け、画面を全体性によって把握させることを回避させる。つまり、視線を画面からズラし、はずさせる機能を有する」もの、と述べている(5)。
 その後に続くのが〈連差-破房〉のシリーズだ。出品作のうち《連差-破房(柿色のファサード)》(1995年)では、斜めの線はそこここに見られるものの、そこに《清園寺縁起》の建物の屋根の反りから取られたと思しき曲線が覆い被さり、斜線は断片化している。《破庵Ⅴ(東吾妻山)》(1996年)では、地となる薄塗りの紫が濃淡により空間のイリュージョンを生み出そうとするのを、斜めに散らばるハードエッジの線が阻止し、厚く絵具を盛り上げた線がさらに上から地とハードエッジの線を抑えつける。
 そして今回新作として制作された、6点のうち5点に福島の山の名を冠した〈破庵〉だ。これらの画面すべてに走る斜めの線は、木材による立体作品《破庵(藤野町破庵)》(1995年、現存せず)に基づいている。すべり落ちる二つの立方体を重ねたようなその形から線を抽出して構図を作り、その構図が6点全体をつなぐ共通の基礎を成している。それらの線は四角い画面を不安定な三角形や台形に分割している。そうして生まれたおのおののセクションの中に、沈んだ後退色から彩度の高いオレンジや黄緑、メタリック色まで、また筆をなすりつけたような薄塗りから複数の色の絵具が地層のように重なるものすごい物量の厚塗りまでが詰め込まれている。太い刷毛でぐいぐい引かれた線は縦横に重なって水平・垂直のグリッドを作ろうとし、一部は骨組みとなる斜線を破壊して前面に出ながら、別のところでは斜線に上からのしかかられ、グリッドを断ち切られている。こうして立体から得られた基本構造は、他の色や線に負けて見えづらくなったり、一部破壊されたり、しかし思わぬところとつながっていたりして、6点の中で完全に同じ分割の構図を持つものはない。
 しかも今回の展示では1点1点の間に柱があり、共通の構図内にひしめく色や形やタッチのめまいがするような変奏を一度に目にすることはできない。見る者は6点の間を行ったり来たりしながら変化を追い、脳内でそれらを結び合せるしかない。斜めのグリッドが画面の外へと視線をずらしたように、連作もまた、1点の画面の外へ、連作内の別の作品へと、つまりは常に外の空間へとわたしたちの意識を追い立てる。
 このように、崩壊をかたどった立体から得られた斜めの線が、静的な水平・垂直のグリッドを打ち壊す中村の絵画は、安定した秩序をくり返し襲う地震やテロ事件の構造をなぞっている。加えて斜線や連作の形式は、わたしたちを絵画の中に立ち止まらせず、絶えず画面の外へ、つまり実際に崩壊が起こっている世界へと連れ出していく。



4.
 地すべりには「地すべりの輪廻」という考え方があるという(6)。
 地すべりは、ちょうど二つの歪んだ立方体を重ねた形の《破庵(藤野町破庵)》のように、異なる地層が重なった地形で起こる。接触部分に「すべり面」という面ができ、そこがずれるのである。意外なことに、地すべりの多くは長期にわたって少しずつずれを生じている。そこに大雨や地震などの力が加わると、上に乗っている地層が一気にすべり落ちる(「活動期」)。それは人間に大きな被害をもたらすが、一方地すべりの側から見れば、すべり落ちることによって形態上の安定を得ようとする運動である。こうして一度起こった地すべりは「消耗期」と呼ばれる動きのない時期に至る。しかししばらくするとまたエネルギーを蓄え始め(「潜伏期」)、やがてさらなる安定を求めて再び地すべりを起こす。地震などの自然現象はもちろんのこと、テロのような人災も、あたかもこうした周期をたどっているように思えるときがある。そして中村の崩壊する絵画の構造もまた、こうした周期を追ってすべりと安定、活動、消耗、潜伏の形をくり返し生み出す。
 しかし、崩壊する世界に対して崩壊を描く、そのことに何かの意味(救いといってもいい)はあるのだろうか。軽々に答えることはできない。しかし少なくとも人はこれらの作品を手がかりに、目の前のことだけ見ていては気付けない崩壊の構造と連鎖のしくみに思いを致すことができる。また中村の制作のなかには、次の周期的崩壊に向かって斜めにすべり落ち続ける〈連差-破房〉や〈破庵〉と並行して、垂直に伸び上がったのち斜めに上昇する形態を持つY字型、〈織桑鳥(フェニックス)〉〈存在の鳥〉などのシリーズがある。斜線はまた、上方に向かってツリー状に伸びていく可能性を持つものでもあるのだ。


(1)クイーン(作詞:フレディ・マーキュリー)「ボヘミアン・ラプソディ」1976年 
(2)蔵屋美香「逃げも隠れもせず隠す:五月女哲平の作品について」http://gallery-alpham.com/exhibition/2018_1/ 2018年1月24日閲覧
(3)当時よく使われたこの言葉の出所ははっきりしないが、宇佐美圭司『絵画論―描くことの復権』(1980年、筑摩書房)の出版が由来の一つと思われる。
(4)中村一美「ソーシャル・セマンティクスとしての絵画」『透過する光 中村一美著作選集』2007年、玲風書房、p.221
(5)中村「斜行性・示差性」前掲書、p.158
(6)岩崎暉「地すべり学入門」http://eniac.sci.kagoshima-u.ac.jp/~oyo/landslide/ 2019年1月22日閲覧

▊中村一美 なかむら・かずみ▊
1956年千葉市生まれ。1984年東京藝術大学大学院美術研究科油画修了。
主な個展に、2017年「Kazumi Nakamura」(Blum&Poe、ニューヨーク、USA)、2015年「Kazumi Nakamura」(Blum &Poe、ロスアンゼルス、USA)、2014年「中村一美個展」(カイカイキキギャラリー、東京)、「中村一美展」(国立新美術館、東京)、2003年個展(クムサンギャラリー、ソウル、大韓民國)、2002年「中村一美展」(いわき市立美術館、福島)、1999年「中村一美展」(セゾン現代美術館、長野)、1988年個展(南天子画廊、東京)など国内外で多数。主なグループ展に、2016年「JUXTAPOZ ×SUPER FLAT」(Century Link Field Event Center、シアトル、USA)、「Imago Mundi」(プラット・インスティチュート、ブルックリン、USA)、「1995年「Japan Today 」(ルイジアナ美術館、デンマーク、他北欧巡回)、「日本の現代美術1985-1995」(東京都現代美術館、東京)、1993年「‘90年代の日本」(デュッセルドルフ市立美術館、ドイツ、他ローマ巡回)、1992-1993年「形象のはざまに」(東京国立近代美術館、東京、国立国際美術館、大阪)、1990-1991年「Japan Art Today-日本現代美術の多様展」(レイキャビク市立美術館、アイスランド、他北欧4カ国巡回)、1989年「Japan‘89」(ゲント市立現代美術館、ベルギー、ゲント)国内外で多数。

(左)《連差ー破房Ⅺ(斜傾精神)》2002年|アクリル・綿布|400×900cm(3枚組) 豊田市美術館蔵
(中)《連差ー破房(茶とエメラルド)》1994~95年|油彩・綿布|83.2x89.2cm
(右)《破庵31(糠馬喰山)》2016年|アクリル・綿布|162.1x130.5cm

アーティストトーク 中村一美 × 蔵屋美香