東京計画2019 vol.1

毒山凡太朗 RENT TOKYO

Plans for TOKYO 2019 vol.1 Bontaro DOKUYAMA RENT TOKYO

2019年4月6日(土)~5月18日(土)
April 6, 2019(Sat.)-May 18, 2019(Sat.)

11:00~19:00/日月祝休 入場無料
[特別休廊 4/28-5/6]
11:00-19:00 Closed on Sun., Mon.,
Holidays and April 28-May 6
Entrance Free

ゲストキュレーター:藪前知子(東京都現代美術館学芸員)
Guest Curator: Tomoko Yabumae (Curator, Museum of Contemporary Art Tokyo)

アーティストトーク
4月6日(土)18時~
Artist Talk: April 6(Sat.) 18:00-

オープニングパーティー
4月6日(土)19時~
Opening Party: April 6(Sat.) 19:00-

(c)Bontaro DOKUYAMA


東京の「空」は誰のものか ー 毒山凡太朗論

藪前知子(東京都現代美術館学芸員)

毒山凡太朗は、福島第一原発の事故によって生まれ故郷が汚染されてしまったことをきっかけに、仕事を辞め、新たな名前とともに現代美術の発表を始めた作家である。先日彼は、「作品になるのかわからないけれど」と笑いながら一枚の戸籍謄本のコピーを私に見せた。「本籍」の欄に描かれた「千代田区千代田一丁目一番地」の文字――。彼は現在の「東京」の諸相を映し出すこの展覧会に際して、自分の戸籍を皇居に移したのだった。未曾有の事故によって変貌させられてしまった故郷の風景に、自らの存在を媒体として、東京の中心にある「変わらない風景」を、やすやすと接続させてしまったのである。福島の事故は彼に、これまでの知識や価値観の全てを疑い、キャリアや名も刷新するほどの衝撃を与えたはずだが、そこで彼が、脱原発運動などの直接的な行動ではなく、アーティストになることを選んだのは、ひとつの示唆を私たちに与えてくれるだろう。その後の毒山は、韓国の元慰安婦や、日本統治下で教育を受けた台湾の人々など、日本の負の歴史に関わる人々に会いに行き、インタビューに基づいた作品を制作するが、カメラのこちら側に立つ毒山の視線は常に中立で、個人の記憶に基づく証言者たちの言葉は、時に私たちの認識に揺さぶりをかける。彼は摩擦の歴史を、現場の声から学び直しているのだ。軽々と人生を変え、戸籍を変える足取りが示すように、毒山は変容し続ける透明な存在として、複数の歴史や社会の構造を可視化する媒体となる。思考の枠組みは規定のイデオロギーに導かれるのではなく、その作品の鑑賞者ひとりひとりの経験の中で事後的に立ち上がる。「東京計画2019」と銘打った本展覧会シリーズは、「東京」を舞台に、計画や管理、目標といった概念に代表される、人の行動や経験を先立って支配する原則に対抗するアートの可能性を示す試みでもある。声高な主張はいずれ同じ隘路に陥ることを見抜きつつ、彼は、人々に不断の変容をもたらす一滴の「毒」=ア ーティストとなることを選んだのではないだろうか。

ここで注目したいのは、毒山の作品に頻繁に現れる、歌ったり、指差したり、叫んだりする人々の主張や発信が、虚空に消えて行くようなあてどなさを持つことである。例えば本展では、旧作である「智恵子抄」をモチーフにした映像作品《千年たっても》(2015)と、対となる新作《あどけない空の話》(2019)がそれである。前者は、「智恵子は東京に空が無いという」という高村光太郎の「智恵子抄」の誰もが知る一節にちなんで、毒山本人が、雨が降り注ぐ安達太良山上空の「ほんとうの空」を指差し、智恵子に呼びかける作品である。後者では、オリンピック直前の開発が続く東京の工事現場で、一人の男性が、空を埋めつくすことを煽情的に呼びかける。ここで強調されるのは、主張の内容というよりは、主張するという振る舞いや、その身体の現れ方である。「空」というモチーフは、展示室奥の空間にも続く。東京の各所で、無くなりつつある空から降ってきた雨によって生み出された「絵画作品」である。東京と福島の不均衡な因縁は毒山作品の重要なモチーフだが、これらの一連の作品が持つ抽象性は、その直接的な糾弾ではなく、主張や所有といった力の行使そのものに対する批評的な眼差しへと私たちを導く。「空」とは誰のものなのだろうか?智恵子とビルを埋め尽くそうとする力の対比は、皆のものでもあり、誰のものでもない公共的空間としての「空」を浮き彫りにする。

ここで、公共的空間を可視化させつつ、場所と権利について問うという、福島の抱える問題から出発した毒山作品に通底するもう一つのテーマが現れる。出世作で本展にも出品される《経済産業省第四分館》(2016)は、経済産業省前の公共空間に出現した「脱原発テント村」を、理想的な恒久施設として(その住民たちの「目的」はいつまでも達せられないという矛盾も含みつつ)提案するものだ。毒山によれば、テント村内で開催された同展を経済産業省の職員がSNSで見つけ、「美術展なら」と2名で訪れ、テント村の人々と初めて交流した一幕もあったという。まさに異なる声の交差する場としての公共的空間の出現である。それに加えて本展では、近年爆発的に発達した、Airbnbに代表される都市のシェアシステムに着想を得た新作も発表される。各地がレンタルされるという思考の実験により、複数の力が行き交い分有される架空の東京の姿を、私たちは脳裏に描くことになるだろう。付け加えると、冒頭で述べたような一つの権利を獲得することで、毒山は閉ざされたその「中心」すら、究極の公共的空間となりうることを鮮やかに示して見せるのである。

▊毒山凡太朗 どくやま・ぼんたろう▊
1984年福島県生まれ。東京在住。 主な個展に、2018年「Public archive」(青山目黒、東京)、 2016年「戦慄とオーガズム」(Komagome SOKO、東京 )、「経済産業省第四分館」(反原発美術館、霞ヶ関、東京)。 主なグループ展に、2019年「「情の時代」‒あいちトリエンナーレ2019‒」(四間道・円頓寺、名古屋市、愛知)、「「つないでみる」‒六本木クロッシング2019‒」(森美術館、東京)、2018年「Assembling」(K11 Art Mall、瀋陽、中国)、「HARSH ASTRAL ‒ The Radiants 2」(Halle Fuer Kunst Lueneburg、リューネベルグ、ドイツ)、「The Dictionary of Evil ‒Gangwon international Biennale‒」(Green City Experience Center、韓国)、2017年「他者と出会うための複数の方法 ‒黄金町バザール2017‒」(八番館|黄金町、神奈川)、「Human Landscape: If only radiation had color. The Era of Fukushima」(X and Beyond、コペンハーゲン、デンマーク)、2015年「今日も きこえる ‒二人展‒」(いわき市、福島)など。

(左)「Public recording -Censored-」2018年、ビデオ|03分22秒、© Bontaro DOKUYAMA
(中)「経済産業省第四分館」 2016年、ビデオ・インスタレーション|18分37秒、© Bontaro DOKUYAMA、会場撮影=森田兼次
(右)「戦争は終わりました」 2017年、ビデオ|05分13秒、 © Bontaro DOKUYAMA

アーティストトーク 毒山凡太朗× 藪前知子