TEXT - イメージは語る

イメージは語る ──「資本空間 vol.2 村上華子」展
沢山遼

 

1.
イメージなしの歴史を想定することができるだろうか。とりわけ、人間がイメージ生産の技術とその普及を爆発的に増幅させた20世紀以降の歴史を語るときに。
歴史は、もはやイメージなしには語り得ないものになった。人間の存在様式は、イメージの歴史と深く結託することになり、そのため、イメージの解読が、テクストや証言と同等か、あるいはそれ以上に、歴史や文明についての克明な言辞となりうるような局面を迎えることになる。言い換えれば、写真、映像、印刷媒体などの技術的展開とともに、20世紀において人は、「イメージによる歴史記述」という新たな歴史記述の様式の獲得を模索してきたのである。
ここ十数年来、日本にも積極的に紹介されてきたジョルジュ・ディディ=ユベルマン、ハンス・ベルディング、ジョナサン・クレーリー、ジェフリー・バッチェンらのイメージに関する学は、まず、なによりも美術史的な抑圧から人類学的・文明論的なものとしてのイメージを開放しようとする企図に支えられたものであり、さらに、イメージこそが、主体を編成し、無意識と意識を縫合し、あるいは主体の安定性の崩壊や危機に関与するものであることを示そうとしてきた。それは、しばしば主体による美学的な静観・観想の対象=客体として伝統的メディウムを記述してきた美術史学的方法論との立場の違いを明示することになるだろう。つまり「イメージの歴史」を記述することは、客体の歴史の記述に終始する「美術史」とは決定的に異なり、人間あるいは主体の編成それ自体の歴史的過程に関与するものになるのである。
上記した者らの研究において、フーコー的な「考古学(アルケオロジー)」がしばしば参照されるのは、フーコーの歴史学が、主体の存在様式をその都度発明し、編成する技術(テクノロジー)の歴史的様態を問うものであったことと無関係ではない。すなわち、人間がテクノロジーを客体的に維持し、あるいはコントロールするのではなく、人間こそがテクノロジーによって編成されるものであったということである。そしてそのような主体の編成はもちろん身体を主要な場として行なわれる。そのためフーコー的な枠組みに従えば、それぞれのイメージの生産技術は、その都度、新たな身体的変容の場を主体に与えてきたということにもなるだろう。
イメージをそのようなテクノロジーとして捉えるならば、イメージそれ自体は決して一枚岩的なものではありえず、その都度、個々の技術的・物理的特性を通して主体の身体と切り結ぶ、それぞれに固有の歴史的過程と特異性を備えた歴史的主体であると言える。イメージは、普遍的で非歴史的な超越性をもつものなのではなく、それぞれに固有の起源と身体的な肌理をもつ。いずれにしてもイメージとは、ある歴史的過程において出現したものであり、イメージこそが、客体あるいは媒体として以上に、主体的に自ら歴史を語りうるものになる。すなわちイメージを客体的な資料体として扱うのではなく、イメージの主体的な語りに賭けること。そこにおいてこそ、イメージに関する学は、人類学的な布置を獲得するだろう。

 

2.
イメージの歴史的過程に随伴する、イメージによる積極的な「語り」の次元を賦活化することにおいて、村上華子の実践は、イメージの人類学、あるいはイメージの考古学の系譜の一端に位置づけられるかもしれない。村上の関心は、個々のイメージの歴史的・考古学的「起源」に向けられている。銀塩写真やダゲレオタイプの発明についての考察とその再現、聖ヴェロニカの聖骸布の神学的イメージの脂取り紙による再演、リンカーンの1セント銅貨のメッキ加工された表面の輝きが暗示する金本位制からの脱却など、どの作品においても、ある特定のイメージの起源が語られることにより、イメージとは一個の出来事であり、ゆえにそれは特定の歴史を生産してきたこと、そして――写真や映画が発明されてきたように――イメージは、その都度、固有の時間と空間を生産してきたものであることが語られる。
しかし、それ以上に村上の作品において問題とされているのは、イメージの起源の探究においてそのイメージを現在時に甦生させるその手続きである。今回の個展では、いずれも村上が、すでに時代遅れになったその技術を再度復活させ、もう一度つくり直すことによって作品が制作されている。作品の傍らに添えられたテクストを引用する。

  銀メッキした銅板の鏡面に現れるイメージ。これが、写真の最初の姿であったらしい。ダゲレオタイプ。いまでは無限に複製し流通できる写真も、その発明当初は一点物であった。その技術を今も保持しているというダゲレオティピストのもとへ、わたしはインターネットで見つけた雲の写真を一枚持って訪れた。(註1)

村上は、いまでは時代遅れになった技術にもう一度手をかけるため、ダゲレオティピストのもとを訪れる。あるいは1920年代に販売されていた写真乾板「ザ・パーフェクト」をレディ・メイドの変種として展示する。それら時代の遺物は、今度は村上華子の「作品」として、再び現在時へと送り込まれることになるだろう。そこで現象するのは、現在時と過去の時制との交錯である。各作品に添えられた、イメージの技術の始源をめぐる逸話的なエピソードとともに、村上自身の経験が語られるテクスト群は、そのような事態を曖昧に指し示している。個々の作品を支えるのは、このような複数に逸脱する時制の交錯である。
そのような事態は、作品それ自体のありようにひとつの亀裂をもたらすことになるだろう。たとえば観者は、展示された写真乾板を見て、それが倉庫に眠っていたレディ・メイドなのか、それとも作家自身によって2000年代に制作されたフェイクなのかを知ることができない。このような複数の時制の錯誤は、時の流れの一義的な方向性を転倒させるという意味での、アナクロニスムに貫かれている。さらに、このようなアナクロニスムは、インターネット上の雲の画像をダゲレオタイプに焼き付けるというプロセスにおいて、複数のイメージの歴史を交配させるという行為に及ぶことにも注意しておきたい。そこでは、過去と現在の複数のイメージ生産の技術が交錯することになるのだ。
村上は、ダゲレオタイプによって映画をつくるという計画を構想したことがあるという。だが、もちろん歴史的には、写真のあとに、映画の発明が行なわれた。複数の写真をつなげたものが動画になるという過程は、歴史的なものであり、通常逆行することができない。その意味で、もしダゲレオタイプによる映画が実現するとすれば、それは時間の関節を外す試みとなるだろう。すなわち、村上の作品は、複数の時間が交錯することによって、それらの時間を支える固有の体制が破壊される、その一瞬に掛けられているのだ。

 

3.
そこでは、起源がすでに終末であり、終わりが始まりであるような複数の時間の共存可能性が探られることになる。たとえば、マヤ暦が言う「終末」のあとに、世界の終末が来なかったことの記念として刷られたポスターは、世界の終末こそがはじまりであるという二重性を語る。

  世界の終わりに関して言えば、マヤ暦は2012年12月22日を最後として、続きがなかった。これを世界の終わりと解釈する者もいれば、新しい時代の幕開けとする者もいた。あるいはよりフレキシブルで非物質的なテクノロジーへの転換を意味するという解釈もあった。私はこの日をマヤ人たちの末裔の国、コロンビアで迎えた。その翌日、世界が滅亡しなかったことを祝福するべく私は木版の印刷屋に行った。印刷工は、踊る男女と二羽のニワトリを私のポスターに選んでくれた。そのニワトリは私のポスターの上で啼いてくれた。「世界の終わりは来なかった」と。

あるいはこのようにも語られる。ダゲレオタイプを発明した、つまりその「起源」に立ち会っていたダゲールは、同時に、水銀による中毒によって、世界の「終末」に立ち会っていた。

  現像に水銀蒸気を用いるこの撮影技術では、危険に曝されているのはむしろ撮影者の方である。水銀の害が知られていなかった当時、ダゲールは大量に蒸気を吸っていたらしい。この発明家をめぐる言説によれば、彼は神経を侵されたあまり世界の滅亡が近いという考えにさえ強迫されていたという。

写真技術の始原は、「終末」への妄想と強迫に苛まれていた。そして、このような、行き違い交錯する時間の感覚は、村上がこれまで追究してきた、イメージそれ自体の真偽の不確かさという問題にも触れるものである。たとえば村上は、過去作において、ある人物になりきり、歴史的な遺物として偽装された写真などを制作してきた。そのようなイメージは、過去の残骸のなかから甦生した「フェイク」としての遺物であった。過去につくられたと思しきものは、実は過去を擬態したものに過ぎず、そのことによって時間のモンタージュが行なわれる。すなわちここでは、時間の複数性を折り畳むという行為が、イメージそれ自体の真偽の問題へと折り返されているのだ。

 

4.
以上のプロセスによって、村上華子の作品空間では、聖ヴェロニカの聖骸布に「見立てた」脂取り紙に顕著に見られるように、それ自体が、「偽=フェイク」であるイメージがそこここに立ち上がることになる。リンカーンの肖像が刻印されたメッキ加工された硬貨もまた、フェイクであること、銀貨に「見立てた」偽のものであることにおいて共通する質をもつ。

  ダゲレオタイプに用いる板を得るには銅板を銀メッキしなければならない。銅板を青酸カリの溶液を満たした水槽に浸し、電流を流しながら銀を化合させるのである。文明の歴史と同じくらいの歴史を持つというその技術を眺めながらわたしは、リンカーンについて考えていた。初めて紙幣というものを政策として導入し、同じ通貨価値の硬貨と同等のものとしたのが彼である。リンカーンは、奴隷を解放するだけでなく、貨幣を金属から解放したのだ。「リバティ」。アメリカの1セント銅貨のリンカーンの肖像の横にはそう銘記されている。わたしはその銅貨に銀メッキを施すことにした。

リンカーンは、金属の実体的な価値に拘束された硬貨から、「信用」という非実体的な価値に担保された紙幣の流通へと貨幣を解放した。紙幣とは、「信」に裏付けられた、いわば「仮の」貨幣である。その行為をなぞるように、村上は、銅貨を銀メッキし、フェイクの銀貨をつくりあげた。翻ってここでは、自己言及的に、村上の活動それ自体もまた、一種の「偽金づくり」にほかならないことが示唆されているのだろう。銀塩写真やダゲレオタイプの始原の再演は、技術と創作、事実とフィクション、過去と現在の境界を溶かす。
『知覚の宙吊り』でジョナサン・クレーリーが報告するように、19世紀末の視覚文化は、催眠やトランスといったファンタスマゴリアに浸食されていた(註2)。その意味で、村上は、イメージの技術的起源の探究において、水銀中毒に冒されたダゲールをはじめとするそれぞれの技術の始原に孕まれていた、いかがわしさやトランス的夢想、オカルト的様相をも正確に捉えている。そして、このようないかがわしさにおいて、イメージの起源の探究と、「偽金づくり」としての村上のこれまでの作品との共存が図られることになるのである。村上が作家としてイメージの「起源」を問うことの正当性もまた、そこにおいてこそ確保されなければならない。
今回の個展でヴェロニカの聖骸布が取り上げられたのは、キリストの「痕跡」である聖骸布が、イメージのもっとも原始的なありようを示す、イメージの初源的なモデルとして参照されてきたことに加え、聖骸布それ自体の真偽が謎に包まれてきたことに関係しているだろう。キリストの染みが痕跡として写し取られたとされるトリノの聖骸布は、科学的検証の結果、実は、表面に特殊な薬剤を塗布した人体を布で包み、その状態のまま屋外にさらし太陽光に当てて「感光」させたものであるという報告がなされている(註3)。つまり、驚くべきことに、トリノの聖骸布をつくりあげた技術者は、写真の発明以前に、写真の原理を知っていたことになるのだ。聖骸布とは、写真以前に写真的技術が用いられた最初期の事例であり、その目的は、フェイクをつくりあげることだったのである。写真の始原は、すでにして「偽金づくり」だったわけである。
そのプロセスは、今回の村上の制作とまったく同じ様相を呈している。イメージは、真偽の別をなし崩しにする幻視によって捉えられた、逸話的空間において生起するだろう。そのような逸話的空間における思弁こそ、ほかでもない、イメージの語るところのものなのだ。イメージの歴史とは、イメージが自ら語るところのものの歴史なのである。

 

(註1)本稿の引用は、すべて村上の個展で展示されたテクストによる。
(註2)ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り―注意、スペクタクル、近代文化』岡田温司監訳、平凡社、2005年、第3章参照。
(註3)リン・ピクネット、クライブ・プリンス『トリノ聖骸布の謎』新井雅代訳、白水社、1995年参照。