1989年6月27日~7月22日
この三作家(笠原恵実子、河西立雄、高津美絵)の作品は、どことなくデザインのベールを被る。そのことをここでは積極的に眺めてみよう。
この場合、デザインはいわゆる純粋美術に対置させられるものではなく、むしろたがいに交流するものとしてある。デザインが純粋美術のゾーンに深く介入しはじめたのか、あるいは純粋美術そのものがデザインの視覚、表現法に活路を見出そうとしているのか。現代では、それらの関係は見究めがたく存在している。
ただし、大切なことはこの三作家の表現は口当たりのよいアイデアや他の表現法の“デザイン”ではないということであろう。言葉を換えれば、第一義的表出に対置させられるもうひとつの表現の機構ないしはモードが、今日的な切り口をともなって現象してきているということである。
それは、従来のデザインという大局的なフレイムからはみ出してしまうことはもとより、純粋美術の既成概念をも、やわらかく組み換えることに役立つ。剛直でヴォルテージの高い表出の構造に代わって、そこではやわらかい意味のネットが築かれようとする。その方が視覚への浸透性が高まる場合も往々にしてあるのだ。
笠原恵実子は、ネコプリントで表現した壁に掛かる大輪のバラや、大理石、皮革、木、プラスリックなどさまざまな素材によるベッド状の立体、あるいはタイル張りの立体とそれに納まる大理石による花びらのオブジェなどの造形により、概して室内調度品のようなイメージをかたちづくってきた。
しかし、どのような作品においても日常的・身体的な感覚をかきたてるようなものではなく、むしろ、それらから離脱ししょうとしているかのように、作品は冷めた客体性方向をもっている。あるいは、素材の生々しさは極度に抑え込まれ、加工度の高い素材の“質”が調度品のようなフォルムを通して現象してくる。
河西立雄は、元来、建築、デザイン畑での仕事も多い。そのため平面や立体という美術特有の切り口よりも、スペースをトータライズしてデザインするという作品の傾向が多く見られた。
しかし、建築のパースやヴィジュアルなスペース・デザインと異なり、河西の表現は現実の建造物を予測して形成されるものではない。むしろ、そうした脈略を一担は保留し、美術作品としての独自性を高めようとしている。
建築パースやスペースデザインのセンスのためであろうか、河西の作風はシンプルで構想がよく伝わるように仕組まれている。建造物という現実原則のスタイルを半ば援用した構想の面白さというべきかもしれない。
高津美絵は、主としてアクリルによる絵画を発表しつづけている。
もし高津についても強いてデザインのフレイムを被せるとしたら、さしずめ現代人の心性をデザインしているということになろうか。必ずしもそれほど重くはないだろうが、高津の作風は寓意的イメージを盛り込んだものが多い。漆黒の闇をのぞき込み、画面の外に向かおうとする動物の姿勢は抑圧されたアール・ヌーヴォー調の植物模様のイメージと連続して、人にかすかな不安を呼び覚ます。
だが、それはつぎなるステップの希求の姿と読み換えられるのかもしれない。