1988年3月15日~4月16日
この二人の作品には、いつも何かの去来を持ち続けているようなおももちがある。それが、多くの場合、生身の人間であるのか、たとえば仮面で偽装した身体であるのかの違いはあろう。前者は府川廣和の手口のひとつであるインスタレーションの空間を想起させ、後者は川越悟の作品空間を思わせる。
去来の待望は、自律した作品観からすれば常に不安だ。時間的でもある。たとえば府川の作品においては、去来を待望するというムーヴで眺めるとコトの始まる予感、あるいは コト ・・が去った 跡型 あとかたを連想させるし、川越の作品においては コト ・・の追憶を助ける装置として作品は機能している。
また府川の作品では、そうした“去来場”が自然や日常と地続き的に構成されるのに対し、川越においては、劇場空間的に、つまりオーナメント(装飾)のベールを介して場が仮設される。
平常値に異変を投ずるという意味では、府川の作品はシュールを基とし、オーナメントの過剰が引き起こす異空間という意味では、川越の作品はバロックである。
府川廣和の作品は、1985年までは主として絵画による展開だが、1986年以降はレリーフやインスタレーションによっている。インスタレーションでは、1986年の「へのへのもへじ大明神」や”Installation for four Musicians”のようにパフォーマンスまたは演奏の場づくりに関わった作品もあるが、むしろその作風を特徴づけるのは同年の”Bow River Rebellion―Fort―”という作品である。細い木組みといい、不気味なかたちで吊り下げられた爬虫類もどきのオブジェといい、ジャコメッティの「午前4時の宮殿」を思わせるが、府川の作品では逆に白日のもとで「環境」は無防備にとり込まれている。シュール的テクネと無防備な環境の取り組みは、おの存立の不安定さを受けて1987年には二様の極に分裂する。ひとつは「森の系譜」や「鳥の主張」に見られるシュールなオブジェ、もうひとつは自然な丸太を主要素材にした骨太な構成への転換である。今回の作品はその次のステップに立つ。
川越悟は1983年の初めての発表(儀式から戯式への言説展)以来、ほぼ一貫した主張をとり続けた。ひとつの範囲をもった作品場として放擲されつつ、川越の作品はディテールで“触知感”を漂わす。骨格をばらし、それを再構成したおももちがあるのもこれと無縁ではない。ディテールはたとえ物量的に小さくとも無駄なく全体の構成に関与するのである。これまでの展開を見ると、初期(1983年)の直線もしくはメアンダー(雷文)もどきの形象は、1984年の個展(ルナミ画廊)を期に硬直しつつ独特のカーヴをもった形象の多彩な導入に向かい、縁部で過剰な曲線的巻き込みのあるカルトゥーシュに到達して、彫刻化する。バロックのようにではなく、オーナメントの過剰がほぼ主張を崩さずに、それを整理して彫刻化しためずらしい例といえよう。そのステップは1986年の二人展(ギャラリーなつか)と1987年の個展(ギャラリーK)での展開によって跡づけることができる。このことは今年のトレンドを成すといってもよい。