1988年5月31日~6月25日
撮影:小松信夫
青木野枝の立体は、いつも「彫刻」の“外部”を巡る。
「彫刻」のミメーシスとしての立体なのではない。むしろ立体であることを必然づけられた姿態として現象する。多くの場合、抽象形態(円錐、円柱、あるいはそれら幾何形態を崩壊感に導くコンストラクションetc.)にあやかっているとはいえ、時に、彼女の作品イメージは、幾何形態の安定感そのものを遠ざけてしまう。
「彫刻」の観点からすれば、その姿態は余りにも不備だということになるのだろうか。たしかに、そういうこともいえるだろう。作品のフォルムに加え、鉄という、彼女が多用するマテリアルの意志に反して、時に、彼女の作品は人の視覚を不安定感に導くようにゆらめく。
“立体であることを必然づけられた姿態”も、多分に今日においては不安定さをかこつ。それはあたかも「彫刻」が伝統的に背負ってきたコンテキストと対決しているかのようでもある。
青木野枝の主要な姿態は、「外皮」と“相即”の関係にある。そうであること自体、「彫刻」のコンテキストと離反しようとしているかのようだが、実は、それとは別な意味の組み換えの方法によって誕生してきた造形といえよう。
彼女の作品をこのように見る時、一見シンプルな彼女の作品の「外皮」には、予想以上の意味の多義性が訪れる。「外皮」は、第一義的には、彫刻的マッスと外界との接点であり、マッスを輪郭づけるフォルムということになるが、彼女の作品において「外皮」がそれ以上の意味をもって踊りだすのは、フォルムが造形プロセスの手段とダイレクトに結ばれた時である。
“かたどる”(空間を輪郭づける)という方法にもとづくフォルムが、彼女の制作法になかったわけではない(たとえば1985年の、かねこ・あーとG1個展など)。しかしながら、多くの場合、彼女にとってフォルムを練成する手段は溶断、あるいは溶断してできた鉄の単子(細片)の集積、連鎖というプロセスを経るものであり、このプロセスが視覚化させる意味が大きい。この方法は、やがて作品全体のフォルムを決定づける要因ではあるものの、一種の不規則な織物のように、しだいにその全貌をあらわしていく。
いいかえれば、部分が担うリアリティが、作品全体の形状を不可測なものに変えようとするのである。それは構想のフォルムとは別の、集積あるいは連鎖という方法がもつ“成りたちの意志”であり、フォルム以前の痕跡の持続なのである。
もっと軽く判断してもよい。鉄というハードなマテリアルを用いながら、むしろそれに背反するカジュアルな現代のイコンを生成させたえということを楯にとって。しかし、その場合でも、彼女の作品は“存在危機のアポカリプス”ということに変わりはない。