
vol. 1 曽根裕
2020年8月29日(土)– 11月14日(土)
vol. 2 永田康祐
2020年11月27日(金)– 2021年3月5日(金)(冬季休廊:12/20-1/8)
vol. 3 黑田菜月
2021年3月16日(火)– 6月5日(土)
vol. 4 荒木悠
2021年6月18日(金)– 9月22日(水)(夏季休廊:8/1-8/23)
vol. 5 高橋大輔
2021年10月2日(土)– 12月18日(土)
※新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、会期を4月25日(土)開始から8月29日(土)開始に変更いたしました。
キュレーターズノート(2020.1.16)
αMでゲストキュレーターをしませんか、と連絡をうけて、最初に考えたことは、「絶滅」についての展覧会だった。風の谷のナウシカの原作漫画を繰り返し読んでいて、タイトルは仮で「ノーマンズランド」とつけていた。それはとても暗いように見えるけれど、別に悲観的であるわけではなくて、むしろそれを避けてアートはできないんじゃないか、という中途半端にリアルな手応えに基づいたものだった。他方で、できるだけ具体的であろうとも考えていて、開場時間を13時~20時へと変更したり、初日のアーティストトーク(とその文字起こし)をやめてカタログをもっといろんな読み方ができるようにしようとか、オリンピックシーズンの鑑賞/労働条件を鑑みて、展示はせずに別の時間の使い方ができるようにしよう、と決めたりもしていた。このちぐはぐさはなんなのだろう、と自分でもよくわからなかった。でもいまははっきり書けることがある。
各位が培ってきた技術は、「妥協」のために、つまりは部分的であったり矮小化されて行使されるべきではない。アートは、「アートなんて無意味だ」とか「どうせいつか死ぬ」とかいう地点にたどり着いてしまってから、むしろそこから、そこをどう折り返して、還ってくるか、という、いわば「帰還の技術」の連続である。虚無と相対化の荒野は、到達地点であったとしても、目的地では決してない。無意味かもしれない、けど、やりたいんだ、と踵を返す。
妥協を「約束の凝集(Com-Promise)」として、途方もなく前向きに考える。それが妥協ではなく約束の凝集である限り、そこには未来の時間が含まれている。今回のαMは、5人のアーティストが、自分が生きて死ぬ時代に、それぞれのやり方で、未来を確信する技術の、研鑽と共有です。
追記(2020.7.29)
半年前のキュレーターズノートを見返すと隔世の感があります(恥ずかしいですがそのまま再掲します)。それでも、「はっきり書ける」と書いた部分は今でもはっきり書けます。「約束の凝集」には、確信もあれば、矛盾もあります。アーティストの実践は社会と同じくらい複雑だし、社会はアートと同じくらい吹っ切れている。そういう潔さを心がけたい。でもそれ自体を見せたいわけじゃなく、問われているのはあくまで、どう還ってくるか、です。5人のアーティストの「帰還の技術」を目撃しにきてください。
インディペンデントキュレーター。1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒。「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI-交錯する現在-」(2013-2014、大阪、東京、金沢)のチーフキュレーターを務める。主な企画に「無人島にてー「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」(2014、京都)、「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」(2015、京都)、「クロニクル、クロニクル!」(2016-17、大阪)、「不純物と免疫」(2017-18、東京、沖縄、バンコク)、「STAYTUNE/D」(2019、富山)、「GRAND REVERSE」(2019-、メキシコシティ)など。美術評論家連盟会員、国立民族学博物館共同研究員、日本建築学会書評委員、日本写真芸術専門学校講師、PARADISE AIR ゲストキュレーター。