荒木優光|そよ風のような、出会い
「ファーストバースデイ」
荒木優光×千葉真智子
トーク定員25名を予定(予約者優先。メールにて「10/8イベント希望」と明記の上、氏名とご連絡先をご連絡ください)
※トークイベントの開始時刻は、パフォーマンスの状況により多少前後する場合がございます。
※トーク中は作品のサウンドの音量をOFFにします。ご了承いただけましたら幸いです。
「木村くん」または、「あんた誰?」のためのサウンドトラック
ある距離を持った出会い。そして、出会い直し。スマートフォンやSNSを通して垣間見る出来事や、人のこと。そこへ、サウンドトラックを付けてみようと思ったのは、2022年6月の半ば。そんな折に、絶妙な距離感を保ったまま必然のように出会い直したのが、「木村くん」だった。
誰かさんから誰かさんへ、そよ風のようなメッセージの集積としてのサウンドトラック。距離感抜群God hand you。
蝉が鳴き始めたときに初めて、それまでのシンとした無音を思い知る。
機械音がおさまったときに初めて、耳を圧迫するように低音が鳴り響いていたことに気づく。
私たちは常に外部に晒されていて、そのちょっとした外部の変化がトリガーとなって、感覚のスイッチは切り替わる。
「切り替える」ことなく「切り替わる」
風景が、世界が、新鮮に発見される。
「ほんの少しのエピソードの種」を、最近の僕は広義のサウンドトラックの1つと捉えている。・・・それは音のないサウンドトラックのようなものであり、なんらかの「開かれ」のトリガーとして機能する
(荒木優光『「大声で叫びながら自転車に乗っている人」というサウンドトラック(世代を超えて)』)
音の場を立ち上げようとする荒木さんは、彼自身が受信機のように外部に開かれているのではないか。だからその作品は、外部との交渉の結果であり、外部との接触面としてある、と言えるかもしれない。
さて、仮にも作品というものが私を超えて共有され、何がしかの良さを持ち得るのだとすれば、そこには必ず、私以外の他者、外部の了解が成立していることになる。作品を作るとは、大袈裟に言えば、その判断を私以外のものに賭することであり、いまここを超えた時間・空間にいる人や事物を考慮し、作品を判断しようとする態度だとも言える。私を超えたそのような賭けは可能だろうか。
制作する私が否応なく外部を感受するように、作品も否応なく他者に感受されるものとしてある。
トリガーとしての作品。
私は私の外側にあるものとどのように付き合い、判断を重ねていくことができるのだろうか。
1981年山形県生まれ。視聴覚空間の多様性を踏まえた新たなフェーズとしての「再生」を軸として実践と考察を進め、独自の音場空間を構築する。主な個展に「わたしとゾンビ」京都市京セラ美術館 ザ・トライアングル(2020)など。主なグループ展に「200年をたがやす」秋田市文化創造館(2021)、「としのこえ、とちのうた」旧豊田東高等学校(愛知、2019)など。主なパフォーマンスに「サウンドトラックフォーミッドナイト屯」KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭(2021)、「パブリックアドレス – 音場」Kunstenfestivaldesarts(ベルギー、2021)など。音楽グループ NEW MANUKEのメンバー。2022年度セゾン文化財団セゾン・フェロー。