判断の尺度 vol.5

高嶋晋一+中川周|無視できる

Have something that defines my judgment vol. 5 Shinichi Takashima + Shu Nakagawa: Negligible

2023年1月14日(土)~3月11日(土)
January 14, 2023(Sat.) - March 11, 2023(Sat.)

12:30〜19:00
日月祝休 入場無料
12:30-19:00
Closed on Sun., Mon., Holidays.
Entrance Free

ゲストキュレーター:千葉真智子(豊田市美術館学芸員)
Guest Curator: Machiko Chiba(Curator, Toyota Municipal Museum of Art)

アーティストトーク 2月4日(土)18:00〜
高嶋晋一×中川周×千葉真智子
Artist Talk: February 4(Sat.) 18:00-

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お寄せいただいた内容は、作家やキュレーターをはじめとした展覧会関係者と共有させていただきます。

無視できる

高嶋晋一+中川周

物理学や工学で、「無視できる」という言葉は、誤差の範囲内、許容範囲に収まる計測対象に対して用いられる。また数学ではしばしば、無限小の概念に関連して、この語を用いる。無視の対象は差異である。「無視できる」といってもそれは特定の関係として記述されなければならず、その記述の形式下において影響力のない差異であると表現される。そして、無限がそうであるように、そもそも私たちが直に経験できないものでも「無視できる」とみなされうる。
一般に、「無視すること/無視しないこと」の関係は対称的である。それゆえ、どちらかを選ぶことも含めて行為になる。つまり「無視できる」の「できる」とは「見ないことができる」というよりも「見ることも見ないこともできる」を意味する。その際、無視の対象は感覚され把握されていることが前提になっており、先取して測られている。感受できるから無視もできるのだ。それにしても、感受できるから無視できるのではなく、感受できないものであっても無視できるとは、一体どういうことなのか。
「無視できる」と似た言葉で、計算では「数字を丸める(切り上げ・切り捨て・四捨五入の操作)」という言い回しもある。だが制作においては、何なのかわからないまま扱っているという事態も起こるのだから、いわば「使用への丸め」が重要になるだろう。


「犬って象くらいの大きさになれるかしら」「なれないわ。だってもし犬が象くらいの大きさになったら、その犬は、象のように見えるでしょ、だからよ」。


小さすぎる砂粒には躓けない。大きすぎる岩にも躓けない。そもそも私は自分から躓くことはできない。私を躓かせるのは石だけだ。


誰もが皆本当はパリに行こうとしている。なるほどパリに行かぬ人もいる。だが、そうした人たちの動きはすべてパリに行く準備なのだ。


ハチは渦を巻く。しかし渦を巻く姿を誰も目撃していないので、ハチは飛ぶことができる。ハチは飛ぶ。しかし飛ぶ姿を自分自身が見ることはないので、ハチは渦を巻くことができる。

主体不在の作品

千葉真智子(豊田市美術館学芸員)

高嶋+中川による映像作品を見ると、いつも「カメラ」の存在を、「カメラ」が撮っているということを、強く意識させられる。

近年、映像の使用はアートにおける常套手段となり、もはや誰もが気安く手を出すことのできるメディアになったが、そのことは却って「カメラが何であるか」を、「映像が何であるか」を、「なぜ映像で表現しなければならないのか」を不問にしたともいえる。そこでは何を語るかが主要な関心事であり、カメラは透明なメディウムと化す。おそらく多くの場合。そして私たちはといえば、流れる映像だけでなく、ともするとそれ以上に、そこで話されている言葉、流れる字幕に注意を払うことになる。
映像経験とは何だろうか。

比較のために古い例を持ち出すと、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』の衝撃とは、その内容にではなく、肉眼では経験不可能な視覚を「キノ・グラース(カメラの眼)」が明るみにしたことにあった。私たちはカメラの眼に自分の眼を重ね、カメラが私たちの視覚経験を補完し、変容させる。映像の溢れる現在において、私たちはもはや違和やギャップを自覚することさえなくなったが、そのなかにあって高嶋+中川は、あえて「カメラの眼」から問いを先鋭化させる。彼らの映像作品が——彼らの狙いではなかったとしても——、しばしば、肌理というべきテクスチャーや崇高と呼びたくなるような感情を引き起こすとしたら、それはその映像が、私たちの日常的な視覚経験との間に決定的な亀裂を引き起こすからだろう。持続する違和のなかで、私たちはカメラの眼に、身体に、決して同化できない。

カメラはいっそう機械として顕在化しながら、まるで操作する撮影者にも、被写体にも関心を払うことのない、独立した生き物となる。私たちが映像作品として見ているのは、一心不乱に動き回るカメラの眼に映り込んだ荒涼とした世界の姿である。
主体不在の映像。それは私たちの判断をも不問にするのだろうか。

▊高嶋晋一+中川周 たかしま・しんいち+なかがわ・しゅう▊
カメラの運動性を基軸とした映像作品を2015年より発表。個展に「視点と支点――最短距離のロードムービー Perspective and Pivot Point: The Shortcut Road Movie」MEDIA SHOP|gallery(京都、2019)。主なグループ展に「それぞれの山水」駒込倉庫(東京、2020)、「IMG/3組のアーティストによる映像作品展」Sprout Curation(東京、2019)、「第10回恵比寿映像祭」東京都写真美術館(2018)、「引込線 2017」旧所沢市立第2学校給食センター(埼玉、2017)など。主なビデオ・スクリーニングに「Experimental film culture vol.3 in Japan」space&cafeポレポレ坐(東京、2021)など。

(左)《Dig a Hole in a Hole (Homogenize) 》2018年|4K/UHDビデオ(カラー、サイレント/一部音声あり)、21分30秒
(中)《Landed》2019年|4K/UHDビデオ(カラー、サウンド)、28分36秒
(右)《standstill》2017年|HDビデオ(カラー、サウンド)、40分28秒